\(^o^)/ 皆さま コンニチワ \(^o^)/ 

今日はね、ブログ前掲の
「土器は日本のものが最古だ」というお話に続いて、
文字もそうなんだ!!というお話の講演記録を載せますね。
世界的に有名な吉田先生の講演記録です。
楽しみに御覧ください。

http://www.holonpbi.com/college/tokubetsu/report/200305.php
以下、上質人生大学さんからの転載です。


5月のバーチャルホロン大学公開講座は、吉田 信啓先生による
「超古代、日本語が地球語だった!?―ペトログラフ(岩石文字)が語る岩の謎とパワー」をお送り致します。

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 さて今回は「ペトログラフ」という、普段の生活ではあまり耳にすることのない学問がテーマですが、この言葉の意味をご理解されている方は、一体どれ程いらっしゃることでしょう。

 まず、このペトログラフという言葉ですが、英語表記でペトロは「岩石」、グラフは「文字・文様」を意味し、このふたつの単語を組み合わせたペトログラフという響きは、今回講演された吉田先生が最初に考案された造語であります。
  具体的には巨石に刻み込まれた岩刻文字・文様のことを示しますが、このペトログラフこそは数千年から数万年前に存在した古代文明に古代文字が存在していたことの証明であり、日本のみならず世界中に分布・発見されていることから、古代人の行動範囲を推測する重要な手がかりとして、最近とみに注目を集めている新しい学問なのです。

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【 吉田 信啓 先生 】

 ユネスコ岩石芸術学会日本代表、日本ペトログラフ協会会長。
 昭和11年福岡市行橋生まれ。昭和35年、広島大学文学部文学科言語学専攻卒。
日本のペトログラフ研究の第一人者で、欧米の学術機関・研究所との共同研究・学会活動を展開し、「行動する国際研究者」としての評価も高い。
 著書に「英訳・九州の民話」「神字日文考」「神字日文解」「祭祀遺跡の黙示録」「神々の遺産ー岩録文像の謎」「ペトログラフの超医学パワー」「先史海民考」など多数。

happa.jpg0305_yosida_1.JPG 会場内は講義開始の半時間前から多数の参加者で賑わい、開始予定時間には座りきれないほどの人で一杯になりました。その熱気溢れる会場内に登場した吉田先生は、参加者の中に顔見知りの方を見かけたのか、にっこりと穏やかな表情で話し始めました。 「人間は10万年ほど前から大陸間を移動していた、と思われます。その証拠としてペトログラフの存在があるわけですが…」吉田先生の力強いお話が始まりました。
 ペトログラフとは岩や石に刻まれた文字や文様のことである、とは前述した通りですが、その文字の多くが古拙シュメール文字である点がとても重要なのだ、と吉田先生は力説されます。


 <【解説】シュメール人は推定、紀元前6000~2000年頃にかけて メソポタミアに高度な文明をつくりあげた民族です。世界最初の文字をつくり、法律を定め都市計画を行い その高度な文化は現代文明の基礎となった、とさえ言われております。
  しかしその後アッカド人に追われ、歴史の表舞台から忽然と消えさる運命を辿ったシュメール人のある一派は、海のシルクロードを何世代もかけて移動し、その先々の地で文明を起こしたと推定されます。が、解き明かされていない謎もまた多く、学術的に見てもロマンと想像力を掻き立てる民族なのです。
 世界に点在するペトログラフに描かれている古拙シュメール文字…これは栄華を誇ったシュメール文明の初期の文字と考えられているものです>

 

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 古拙シュメール文字と、神代文字といわれる日本の漢字到来以前の文字(アヒル文字、アヒルクサ文字、トヨクニ文字等)との関係性は、残念ながら未だ解明されてはおりません。しかし大本等の神示にでてくる事柄をみると、かなり太古の事等への言及も有り、多くの場合、神代文字が使用されている神示類等に、太古の日本の先祖を匂わせる文が幾つか見受けられます。

 吉田先生はそれらを証明する状況証拠として岩刻文字を研究する必要がある、と考えておられるようです。

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 その一つの具体例として吉田先生は、熊本県阿蘇群蘇陽町大野にある幣立宮の御神体の鑑といわれる石版解読のお話をされました。これはTV朝日の「ニュースステーション」で古代岩刻文字の謎を追うという企画として放送されたそうです。

 紆余曲折を経て、出雲文字(阿比留草文字=あひるくさもじ)と節墨譜文字(ふしはせじ)のコードを併用してそれらを読み解いた吉田先生でしたが、驚くことにその内容は、日月神示における『ひふみ祝詞』という祝詞と全く同じ内容だったそうです。
  この祝詞自体は意味不明であるものの、比較的日月神示上に散見されるため、重要度としては高いもの、として位置づけられております。

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  しかし日月神示における、ひふみ祝詞は、江戸時代の国学者、平田篤胤という人物が『神字日文伝』において「出雲大社の竹筒に残されていた神代文字として、阿比留草文字(アヒルクサモジ)で書かれた、古代日本人が漢字到来以前に使っていた和文字である」と、発表したのですが「常識として漢字到来以前の日本に文字は存在せず、よってこれらの文字は贋作である」とした明治時代の言語学者らによって、神代文字で書かれた「ひふみ祝詞」を「朝鮮の諺文を基とした贋作」だと断定され、言語学的にその正当性を否定され続けてきたのです。

 吉田先生は、ペトログラフにひふみ祝詞と同じ内容の文字が存在した点を挙げ「漢字到来以前の日本に神代文字というモノが存在したことを証明しうる発見」と力強く説明されておりました。
 また「漢字伝来以前の日本には、各地の豪族にそれぞれの文字があったことも、ペトログラフによって証明されている」とも語っておられました。

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そのペトログラフですが、このレポートをお読みのあなた御自身の手で、一度探し出してみたい、とは思いませんか?実際、吉田先生から見てペトログラフがどのようなところに存在するのかとお伺いすると、「藪の中」や「(山の)頂上」などといった、普段、人があまり近づかないようなところに比較的存在することが多い、とお答えになりました。

 他にも、下関には行けば必ず願いが叶うペトログラフがある、とか、探し物は石に探してもらうのが一番!や、石は生きた酵母の入った本物のビールが大好きで、まるで生き物のようである、などといった楽しげなお話もたくさん披露していただきました。

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 実際のところ、ペトログラフとは遥かに遠い過去と現在と未来とを、時間を超越してつなぐべく存在する、岩に籠めしメッセージである…といった客観的事実にとどまらず、吉田先生の持つ「古代文字を書き記した人々の生き様そのものに夢とロマンを馳せ、その発見と解明に人生を捧げ続ける強い情熱」を会場いっぱいに満ち溢れさせた、とても熱く、そして充実した2時間の講義でした。