光透波理論が誕生した経緯からも、また神の御意図を読み解く理論であることからも、実は光透波理論は「神」の世界と切っても切れない関係にあるのです。と言うより時の到来により「神」の御意図によって光透波理論は、生まれ出て来たといえるのです。そのことをいみじくも物語っているのが「日月神示」との関係です。
 「日月神示」とは昭和19年から36年にわたり,画家の岡本天明氏に降ろされた「天之日月之神」からの数字とカナと記号からなる啓示です。書いた天明氏自身が読み解くことが出来なかったと言われています。その後、天明氏自身や仲間の神典研究家の協力のもと少しずつ解読が進み、天明氏亡き後は三典夫人の努力で、一部を除いて殆どが解読されるに到っていると言われています。
 岡本天明氏に降りた「日月神示」は別名「一二三神示」とも言われており、小田野先生が開かれた光透波理論=「天鏡図の一二三文字」と合致しているのも神仕組みと言えるようです。
 また小田野先生と岡本天明夫人の三典さんとは、共に東京女子美術専門学校(現女子美術大学)出身という関係で,生前親しい間柄で東京田園調布の小野田宅と三重県菰野の天明宅をお互いに行ったり来たりして泊まるほどの仲だったといわれています。そこで、天明氏が画家の足場を固めるために、東京での住まいを小田野先生宅を借りることで、同じ家に住む間柄だったのです。
 小田野・岡本両氏の話しの中で,「日月神示」の中に書かれている「九十八(コトバ)」や「二二の仕組み」が「天鏡図」で解けるようになったことでも、「日月神示」と「光透波」との深い結びつきがあることが理解できるのです。
天明夫人の三典さんは生前「『日月神示』の内容を理解するのには『光透波理論』の勉強をすると分りやすい」と述べられていることでも明らかです。そして、日月神示とは光透波の預言書であることも強調されています。
 また、岡本天明氏の後を引き継いで「日月神示」の解釈に尽力された橋爪一衛氏に降りた「日之出之神」の啓示・「九十の三千」には、次のように書かれています 。
 「『言葉は神ぞ』。『○九十八』、『吐』=『口』 『+』 『-』とは、神の現れ・・・。『文字』も神の現れぞ」「言葉は単なる音響ではない、物質的な振動に過ぎないと見るべきでない。言葉は音であり、振動であると同時に思想であり、精神であり、霊である。故に言葉の無いところには思想なく、精神なく、霊も存在しないのである。故に正しい言葉を選んで伝えなければならい・・・」
 「日本の言葉、二本の文字、ひらがな、カタカナ、漢字、漢数字、全て神より降ろされた○九十の贈りモノぞ」
 「漢字は中国より来たのではないぞ。日ノ本の神より降ろされた霊が宿っているぞ。ひらがな、カタカナにも神が宿っているぞ」と記されています。
 このように世の建て替え建て直しのために、元の元の元の大神様である「日月之大神」「ひふみ之神」がこの世に降りられたことと軌を一にして、光透波理論が誕生していることが理解できるのです。そして「言葉は神なり・・・」の深遠な意味が光透波理論によって実証されるようになったのです。正に時の到来によって言葉の神様が世の前面に現れ出られたと言えるのです。