あれ、そうだったっけ…。自分の記憶違いなだけなのか、それとも…?と思えたことを3件ほどメモしておく。 今日の記事は備忘録をかねて…。

 

 それは去年のこと。白い朝顔が双葉までは育ったが、その後、本葉が出てこない…。そうこうしているうちに双葉も元気が無くなってきて…、もうだめなのかも…と思っていた。それから雨が続いたりして、あまり庭の植物を観ていない日が続いた後、庭に出てみると、白い朝顔はいつの間にぐーんと育って、つぼみまでつけていて…。あれ、これ、本当にあの死にかけていた朝顔なんだろうか…。と、きつねにつままれたような気がした。(でも、まあ、これは植物の話なので、何等かの環境条件で急に元気を取り戻したのかもしれない…。)

 

 お次はお皿の話。うちには大きめの鉢が2つあって、それらをそうめんとか、煮物をどんっと出したい時に使っていた。その2つともちょっと欠けてしまっていたけれど、柄が気に入っていたのもあってそのまま使い続けていた。が、そのうちの1つに大きくひびが入った。これはちょっと危ないな…と思い、処分した。もう1つもちょっと欠けてるけど、これはそのまま使うか…と、取り出してみると、欠けがない。あれ?こちらも欠けてたよね…。でも、今見てみると欠けていない。何で?私の記憶違いだろうか…。

 

と、ここまでは私単独での話。

 

 さらにもう1件は、今年の春に実家に帰った時のこと。廊下に見慣れぬ絵が掛けてあり、「新しく、絵を掛けたんだね。どうしたの、この絵?」と母に聞いた。すると母は「えー、これは何十年も前からここにあるよ」と言う。え、ウソでしょ。姪っ子のみーちゃんに似ているなぁと思った少女の絵。この絵、前から掛かってたかな…。いやいや、そんなことは無い。初めて見たぞ…。うーん。


 それで、理論物理学者の保江邦夫先生の著書にもあった話を思い出した。人と記憶が異なってくるというお話。保江邦夫著「予定調和から連鎖調和へ」にこんなふうに書かれている。

 

 

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 そんなことを考えて迎えた正月元旦、僕をエジプト旅行に誘ってくれた方から電話がかかってきた。年始の挨拶から始まって、エジプトの話に及ぶ。なによりハトホルの秘儀、次元転移を成就させてもらった恩人である。僕は、

「ありがとうございました。1人で行くはずのピラミッド旅行に誘ってくれたおかげで僕もピラミッドに行けて、しかもあんなにすごい体験があって、その後もすごいんですよ」と、自然に感謝の言葉が連なる。ところが、受話器からは、予期せぬ言葉が発せられる。

「いや、ちがうよ。誘ったわけじゃないよ。俺はピラミッド旅行のパンフレットを見て、ちょっと行ってみたいなと思ったけれど、1人で行くのは嫌だったから、君を誘ってみて、もし君が行くと言ったら行こうかなと思って誘ったんだ」

おまけに

「だから君が僕に礼を言うことはないよ。どっちかといったら礼を言うのは僕のほうだよ」とまでも。

 僕の記憶の中では、お誘いの電話があったのは昨年の8月のことだった。僕は記憶力もそんなに悪いほうではないから、彼の言ったことはいまだにはっきり憶えている。たしか、

「ピラミッド旅行に行くことにしたんだ。1人で行くことになっているんだけれど、日にちが近づいてきて、もし君も一緒に行ってくれるなら楽しいから、どうだい、行く気はないかい」といった言い方だった。

 すでにご本人は行くことを決めて申し込んであったというのが、僕の記憶にある。その電話を受けた時、周囲で聞き耳を立てていた仲間のみんなにも、直後にそう説明しているくらいだ。僕の頭の中ではそうだったし、今もずっとそう思っている。でも相手がそう言うので、「ああ、そうですか」と雑談してから電話を切った。

 考えてみると、どうもおかしい。僕の記憶と相手の記憶が完全に食い違っている。これ、何だろう。相手の記憶がおかしいわけもない。東大出の数学者で頭がよいし、嘘をつく必要もない。

 そのとき、僕にピンとくるものがあった。

 世界はほんとうに変わったのだ!

 前の次元世界(リーマン面の葉)では僕が記憶していたとおり、相手が先に申し込んでいて、出発日が迫って来るにつれて、1人旅もつまらないからと僕に声をかけた。でも、(2012年)12月22日に変わったこの新しい次元世界で、こちらの過去をさかのぼっていくと、そこでの相手は前の次元にいた相手ではなかった。そこでの相手はついさっきの電話にあったように、僕を誘って、僕が行くなら自分も行こうと決めていた。

 そんな具合にこの世界が変わっていたのだ! 

 そう、このわずかな差異が以前の次元世界と今の次元世界との違いなのだ。
 

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 このお話は2012年の12月、マヤ暦が終わる時に、地球が滅亡するとか、アセンションが起こるとか…そんな話題があった頃のことで、そちらに結び付けておられる。保江先生の場合、その後、本にいろいろと書いたことが、その登場人物から「いや、あれ、違う」と言われることが増えてきた…と、どこかで読んだ(が、どこにあったかは忘れた)。

 

 はせくらみゆきさんも、先日、ブログ記事 【常識を疑ってみる】 にマンデラエフェクトとの例として、ベートーヴェンの肖像画のペンと、ツタンカーメンのマスクを例に挙げてこんなふうに書かれていた。

 

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マンデラエフェクトが現れるというのは、

人の意識が拡大して、進化してきたからこその、

パラレルワールド的な現象の一つなのだけれど、

 

こんなふうに、いつの間にか、さらっとさくっと、

世界が変わっている…なんてことも多々あるんだよね。

 

ということは、未来を不安や怖れで満たすのではなく、

今この瞬間に意識を向け、たんたんと、ひたむきに

すごしながら、その周波数が示す現実を生きる、と良いのだと思う。

 

そうすると、知らないうちに、クォンタムリープ(パラレルジャンプ)

が起こって、ときおり「あれ? なんか変だな」と思いつつも、

驚くほど自然に、新しい現実が、さくっと目の前に現れるから。

 

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 私の「記憶違いかも…事件」も、実はこんな風にさくっと世界が変わっていたとか…。母のいた世界と私のいた世界が違ったとか…。そんなことが実際に起こるのだろうか…。

 

 ならば、コロナワクチンなど存在しなかった世界に突然さくっと移行できたら…なんて思う。マイナカードもいつの間にか立ち消えになっている世界。うんうん、いいじゃん…ね。

 

 はせくらさんおっしゃっている「今この瞬間に意識を向け」というのは「中今」という神道の世界で使われる言葉だろうな。たんたんとひたむきに…とはせくらさんは書いておられるが、それはもちろんのことであり、さらに、利他的に生きるのがいいのでは…と私は思っている。

 

さて、皆さんも、こんなこと…ありますか?