みなさん、おはようございます。今朝の人類の大救世主:現人神大塚寛一先生のみ教えのロニ如是我聞は下記でございます。「心の眼」で拝読されてくださいませ。大塚先生は1891年神国日本の四国阿波(あわ)にご降臨され、1972年に「神の座」にお戻りになられましたが、皆さまの心が神界に佇立される大塚寛一先生に通じますれば、素晴らしい幸福がもたらされると確信しております。下記は如是我聞ですが、大塚先生の教えの多くの原文は国会図書館へいきますと「鶏鳴新聞」(1984-1993)「神霊時報」(1984-2014)という2つの新聞で過去数十年の多くの教え原文を閲覧することができますことも申し添えさせていただきます。

神軍リクルーターロニサランガヤ合掌


ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)

 


(神霊時報昭和四十二年六月三日号掲載) 

最悪の裏に最善あり、天理に従い世界の混乱を救え== 


神霊教において前例のない奇蹟が起き、多くの人が救われているわけを少し話してみる。 あなた方は父親と母親との間に生まれてきている。と同様の原則により地上に人類が発生した。すなわち、「有形的物質の太陽」の恩恵と「無形の霊覚的生命の本源」その二つが地上に照らし合って結合し生まれたのが人間である。太陽の方は万人が直接身に感じているが、一方目に見えない偉大な生命本源の力は、その基点があまりにも遠方にあるためになかなか感知できなかった。しかし、その中心が地球へ向かい非常な速さで接近してきたので、数千年前に霊覚の高い人には感得できるようになり、そして今はそれが信仰の対象となっている。すなわち日本では天御中主命、キリストは東方の天の父なる神、釈迦は西方浄土の阿弥陀如来としてあがめている。一見、別もののようではあるが一体異名なのである。本当の神の本源は二つあるべき道理がない。ではなぜ異なった表現になり、また宗派的差別が生じたのかというと、それは当時、地球は無限の平坦地で天体が動いているものと思っていたから、朝昼夕方で太陽の位置が変わる如く、霊覚者の出た時と場所とによって、神の本源を見る角度が変わるから、その表現が異なったのである。故にキリストや釈迦の説いていることに間違いはないが、全体を把握し完全に説いているのではなく、神との間に大変距離があるため、半面をとらえ他の半面を見落としている。そこにその説く原理が現実と遊離して事実が伴わない。換言すれば従来の宗教は「月」の役割をしている。月は光を放っているように見えても、事実は太陽の反射で光っているのであるから霜や氷も溶かさない。つまりキリスト・釈迦・マホメットを通して人々は神にふれようとしたが、真実の神の直射を受けるのでないから過去の悪因縁が消滅せず、したがって現実に救われない。そこで従来の宗教は「一心に信仰すれば、死後、極楽や天国に導かれる」と説いている。しかし今日ではその月もすでに光を失ってしまった。それは太陽(真の神)が昇ろうとしているからである。月も星も、太陽が出るとおのずから光を失い消えうせてしまう。このような時期に生まれ合わせた現代人は、神を信じる人が非常に少なくなった。本物の太陽が出てくると、その反射的光であった既成宗教の存在が自然消滅し、現代人はみな錯覚に陥り、神を信じなくなっている。特に神国日本、また惟神の国と言って最も信仰心の深かった日本人は、世界で一番信仰心の薄い国民となってしまった。本当の「神」というものは、人間や地球や太陽等の発生する以前から現在、さらにそれらが消滅した後々までも厳然として不変、実在しているものである。つまりそれらの物が動く中に絶対不動の原理法則があり、それを真理と言う。また科学的に表現すると万有実在の根本原理、宗教的に言うと神の道である。その理法に順応していくときに、人は神から受けた運命の最高の境涯に入れて最も幸福に過ごしていかれる。ところが現代人は神を見失ってしまっているからその原則に気づかず、浅薄な科学常識によって全てが解決できると思っている。そこに大きな錯覚がある。故に、人間のために創り上げた科学文化により、人類自身がまさに滅亡する危機に瀕していながらどうすることもできずに足掻いている。また今日の物質科学に立脚する医学にしても、教育にしても、政治、経済、その他一切が全て正しい中心軌道から外れているので、ますます世の中が悪化し混乱を起こしている。この「神の道」を無視し人が勝手に考え行ない、そして良くなれる道は一つも残されていない。その証拠には、人間は万物の霊長だと思い得意になっているが、他の動物に比べ今日の人間ほど矛盾した生活をしているものはない。しかし、もしこの万物の霊長たる人間が覚醒して、「神」をはっきり認識し、その道に素直に従っていくときは、他に類を見ない素晴らしい世界が出現する。そして今ではその理想郷が実現できる直前に迫っているのである。しかし惜しいことに、人類は肝心の神に気づかず、そして混沌とした世界情勢を造り出して、このまま推移すれば今年の末ごろから次第に悪化し、一、二年の間に、聖書に書いてあるノアの洪水以上の人災による火の洗礼、すなわち原水爆により恐るべき事態を招来することになる。ノアの洪水のときには箱舟をつくって、そしてそれにより救われた人たちが再び繁殖し今日に至ったが、今はちょうどノアのときと同様に人は神を見失って、神の摂理・自然の法則に反した生き方によりあらゆる苦悩に直面し、また原水爆を造って、人類滅亡の寸前にさしかかっているのである。お百姓が作物をつくるのにも、神の摂理・天の時を違えて米麦の種を反対に蒔いたなら目的通りの収穫はない。しかしその法則に従って努力すれば収穫が得られる。今日会場にたくさんの人が来ているが、各人みな帰る家があり道がある。その道を誤らず行けば二時間ぐらいでみな目的の所へ帰れるのと同様に農夫でも大臣でも、みな生まれたときに神から正しい道を与えられている。この神の摂理に従って進むときに、人は健康で幸福に、天寿を全うし、更に結構な世界に転生できるのである。このことは仏教やキリスト教で説いてはいるが、事実が伴っていない。それは前述のように鋭い霊覚者の釈迦・キリストでも真理の一面しかとらえておらず、究極に到達していないからである。さてその釈迦・キリストが、偉大な生命の本源・神が地上に到達することを予言し、その時は自分の説く教えは廃る。しかし心配するな、キリストは「キリストの再臨」、釈迦は「弥勒菩薩の出現」により、自分が救い得なかった人々をみんな救済してくれる。そして地上天国・現世極楽が実現するということを予言している。そして今日すでに、その生命の本源・神の中心が地上に到達し神霊教と一体化したのである。今日の豪華絢爛たる物質文化は人間が創ったと皆は思っているが大きな間違いである。それは人間が努力し礎き上げた文化に違いはないが、本当は人間の脳裏に世の初めから神により与えられ潜在していた知能が、神の地上到達により、ちょうど春が来ると山野の桜が一斉に満開するごとく、今日の文化を創り上げたのである。しかしその文化はあくまでも物質科学の段階にとどまっていて、肝心の精神的指導理念を失い、その物心の不均衡から現代人類の運命は壊滅寸前に陥っているのである。しかしこれから、その立ち後れている精神文化が正しい軌道に立ち戻るとき、今日の危機は解消し、一変して想像もつかない結構な世界が出現する。すべて最悪の裏には最善が待っている。現代人はいま最悪のところへ落ち込んできているが、このとき神をはっきりととらえ、その道に従って行けば最高の境涯に入られる。その証拠が神霊教の奇蹟である。神霊教へ入信した全ての人たちは、いかなる悪因縁も消滅して本然の姿に戻り、先ほどの体験のようにみな起死回生の喜びに浸っている。しかも今日発表した体験は神霊教で起きている奇蹟の中で、九牛の一毛に過ぎない僅かな実例なのである。さらに神霊教へ入信して本当の神の道に目覚めたなら、人生最後には、みな死期を悟り安楽な大往生をする。それは花見遊山に行くように和やかに周囲に別れを告げ、息を引き取ってから一時間半ぐらいの間に、生前に見ない崇高な相貌に変わる。血色は良くなり、シワの多い年寄りでもふくよかに肉がつき、シワが少なくなってくる。また体は硬直せず、体温がなかなか冷めない。このことは、仏教で言う「極楽往生」、キリスト教で言う「昇天」であって、現世から次の「永遠不死の世界」へ生まれ変わる現象である。 従来の宗教が理想としながら事実の伴わなかったこの驚異的現象を、神霊教により万人が得られるようになったのであるが、そこに到達してはじめて真の宗教と言える。今までの宗教や、専門化に走っている現代医学でも、あるいはまた政治にしても、その根本の「神の原理法則」にしっかりと立脚し、そこから再出発したときに、宗教であって宗教でない一切に共通一致する真の宗教となり、医学ならば万病を癒すことのできる真の医学となる。神の本源中心の偉大な力は宇宙三世に一貫し、全てに通じて現象を現わす。その現われとして神霊教ではハワイやアフリカ等の遠隔地で距離や場所に関係なく奇蹟が起きており、更には人間に限らず禽獣草木から無生物のうえにまでそれが及んでいる。

 今日、人類最悪の危機から救われる道は、皆が、この毎日数限りなく起きている想像を絶した「大奇蹟現象」を見て、真に実在する神をはっきり認識し、その総合指導原理に導かれて行く以外には絶対にあり得ないのである。


(大塚寛一先生御講演大要)

教祖様は名古屋での御講演の最後に、つぎのような高邁な哲理を御道話にされて、平易に、しかも一般人にもわかりやすく、じゅんじゅんと御諭しになられた。〝迫りくる人類の危機〟を警告され、まさに〝原爆の火の洗礼〟をうけんとしている全世界人類は、このさい、如何に処すべきかl救いの道はただ一つ…と、満堂の聴衆に多大の感銘を与えて、この豊田ホールにおける大救世主の御講演を終わったのである。

別項の講演で述べたこの原理を、今日の科学者で知っている者は一人もいない。東洋哲学では老子が「一、二を生じ、二、三を生じ、三、万物を生ず」といって相当深いところまで入ったが、一そのものを割り切っていない。一は拡大するとき天体のごとく無限大となり、縮小すれば一細胞ともなる。ゆえに一を割り切り得て、究極の零の極点に到達しなければ一切は解決しない。零は霊に通じ、零の究極点に入りそこから再出発するときに初めて万方に通じ、すべての答えが出る。そもそも万有はつねに生滅流転を繰り返す。ゆえに「法」の字はシ(さんずい)に去ると書く。つまり水の動きの中にそれがはっきりと現われている。すなわち水は水蒸気の気体ともなれば、冷えて雲から雨となり液体に変わる。また固まって氷となれば、固体である。それと同様、万物はみな生滅流転しているが、ほんとうの神の本源に入ると一切が同一のものとなる。その神の本源・零の極点の存在はどういうものかというと、コマを見ればよくわかる。回転するコマの中心極点は静動一如・有無一如のただ一点である。それと同様、神の本源・真理の中心極点は絶対唯一であって、そこに入ると、宇宙三世・万有一切に通じてゆく。しかしその中心は唯一であるために、そこまで入ることは人類発生して滅亡する間にただ一回しかなく、その中心が幸い神国日本に到達して「神霊教」と一体化したのである。ゆえに神霊教では、その神の原理法則によって万人が残らず救われるばかりでなく、その最高指導原理に従うときは、今日の世界的混乱も解消し、人類最悪の危機から一変して、最高の理想郷が実現できるのである。

(大塚寛一先生の御道話)

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