みなさん、おはようございます。今朝の人類の大救世主:現人神大塚寛一先生のみ教えのロニ如是我聞は下記でございます。「心の眼」で拝読されてくださいませ。大塚先生は1891年神国日本の四国阿波(あわ)にご降臨され、1972年に「神の座」にお戻りになられましたが、皆さまの心が神界に佇立される大塚寛一先生に通じますれば、素晴らしい幸福がもたらされると確信しております。下記は如是我聞ですが、大塚先生の教えの多くの原文は国会図書館へいきますと「鶏鳴新聞」(1984-1993)「神霊時報」(1984-2014)という2つの新聞で過去数十年の多くの教え原文を閲覧することができますことも申し添えさせていただきます。

神軍リクルーターロニサランガヤ


ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)

 


国民の覚醒を促す


物質科学による指導原理は


全面にわたって矛盾を生ずる


 


最近、新聞・雑誌・ラジオ・テレビ等で、ガンの恐ろしいことを絶えず一般に伝えているため、大衆はガン・ノイローゼにかかりつつ戦戦兢兢としている。


 


ガンの手術には根本的な誤りがある


 しかし惜しいことに、まだガンの原因が発見されていない。そして治す方法がない。結局現在のところ、悪いところを切って捨てるより術がなく、しかも切除して必ず治るとは決まっていない。ひどいのになると二度、三度と手術し、さらに高見順という人などは、莫大な金をかけて四回も手術して、亡くなってしまった。そして恐ろしいことには、この現代医学で不治の病と言われるガンは日増しに急増している。最近、ある町会で自主的に集団検診をやったところ、百人中ガンになる恐れの注意人物が十数人出ている。このように、全部の人が危険な立場に置かれているとすると大変な問題になる。現在この病を治そうとして手術する。そして、肝心の必要な内臓を惜しげもなく切りとってしまう。甚だしい場合には、胃袋をとって食道と腸を直結してしまう。また大腸等がガンでふさがってしまうと、横腹に穴をあけて腸をつなぎ、そして排便は横腹から定期的でなく不自然に出通しに行なっている。


 


■流行の外科手術も方法と手腕が問題


 あるいは池田前総理のように咽喉ガン等になると、手術後には咽喉としての機能を失ってしまう。そのために、鳩尾(みぞおち)に穴をあけて、食べ物を噛んで流し込まなければならない惨状である。もし、手術がうまくいったとしても、その後は、割れた陶器類を抱えているように非常に不安定で、いつ再発して死ぬか分からない。全く生きた屍(しかばね)同様である。しかも、その手術をするのには莫大な金がかかる。手術も非常手段としては肯(うなず)けるが、洋服の仕立職人にしても、あるいは料理屋の板前にしても、綺麗に仕立てができ、万人の口に賞美されるだけの一人前の名人になるには、相当の年数をかけて訓練と経験を積まなければならないということを、手術に関しても考慮する必要があるだろう。仮にドイツか英国か、あるいは米国かで、名医が治療法をいろいろ研究して、その結果成功したとする。すると現在では、もう交通通信機関が発達しているから、その治療法がいいとなると、全世界の医学界に忽ち広まっていく。しかし、たとえその治療方法を用いるにしても、洋服の仕立ての名人や一流板前と同様に、十分の経験を積み、そして確信のある者が、それをとり上げてはじめて、いくらか安心もでき、また成功するかもしれない。また仮に、その治療方法によりガンが治ったと発表して、その時は成功したように見えても、ある程度の日数が経ってみなければ本当に確実とは言えない。と言うのも、この前にも人工心臓を入れていったん成功したように新聞に報道されたが、間なしに亡くなってしまった。故に、もしその成功した方法を採用したとしても、その手術に相当な経験と手腕と自信のある人によってのみはじめてそれがなし得られる。それからまた、非常に精力の旺盛な抵抗力の強い人にそれをほどこし成功したから、誰にでも同じ結果が得られるかというと、その点も疑問である。


 


■貴重な生命をまかす前に医者を選べ


だから、どちらにしても、医者から診察治療を受ける場合には、その医者を先に診察して、そして信頼のできる人に治療を受けることが先決問題である。であるから、手術する時どういう方法にすればいいか、まず医者に聞いてみて、完全に責任を持って治してくれると言い得られる自信のある医者にかかることが必要であり、それが安全な方法と言える。自信が持てない、さらに、甚だしいのは、開いてみなければ分からないというような頼りない医師にかかることは、考えるのも恐ろしい。人間の大切な命は二つないのである。請け合うこともできず、自信もない医師に軽々しくかかって、そして開いてみたらもう手遅れと言われ、胃袋を取り、あるいは子宮を取ってしまったでは、後の祭りでどうにもならない。それならいっそ、手術をせずに天寿を待つ方がはるかにましである。しかし、そのような放任主義でなくとも、幸いここに、「最善最上の道」を神が残してくれてある。


■病を治すには原因を看破し善処せよ


そもそも、万病いかなる病でも、生来のものでなく生まれて後の病は、何か「神の道・自然の法則」に反した結果生理機能に障害を起こし、そして健康を損なっているのである。故にその不自然な状態を正しい自然の法則にかなった正常な状態に引き戻していけば、神の偉大な力が流入して万病がたちどころに癒される。その妨げをしているのは何が多いかというと、先祖代々からの悪因縁である。人類が発生して今日まで、いろいろの良い因縁を残してはいるが、その反面にまた悪い因縁を積み重ねてきている。その悪因縁のためにものの判断を誤って、そして正しい軌道から外れて進んでいくとき、事故災難ともなり、悪質の業病にもかかる。そして苦しみ抜いてこの世を終わっていくことになる。その「過去の悪因縁」を断つことは、人間の力でどれほど努力しても不可能である。その努力をしていること自体が狂っている。それは、過去の悪因縁によって心の鏡に曇りや歪みを生じ、ものの正しい判断ができないためである。その狂った心眼でものを判断していくときは、旅先で方角を間違えた人のように、東へ向かって行こうとしているのに北や南へ行ってしまう如く、とんでもない方向に進んでしまうことになる。すなわち恐ろしい罠にかかって、ガンにもなり結核にもなり、災難にも遭って、そして再起不能の結果に陥ってしまう。その迷い苦しんでいる様相が、そのままこの世の地獄となる。


■迷いから覚めれば地獄が極楽となる

ものはどんな良いところにいても、迷い誤り用いたら、たちどころに災いとなる。悪因縁によって、自分の心に狂いを生じてきた場合には、全部のものが正しく映らない。一つ間違えれば、どれほど重宝なものでもみな災いと変わる。ものに固定した善悪はないが、その運用の如何によって善悪が生ずる。それほど日々のことは重大な岐路に立っていると言える。それを正しく見極めて、善処する時には、現代の迷える人類が最悪の地獄のような状態から一変して、この地球上が即極楽になり、天国の境涯となる。なぜならば、この地球は天体のどの星よりも結構で、住みよい星だからである。ところが、正しい道を自力によって看破するということは殆ど不可能である。が、「非常手段」として神の配剤によって出現している、本当の神の力を体得した偉大な指導者の指揮のもとに、疑わずしてついていく時には、その軌道に従い、太陽に照らされた霜や氷が融けるように、過去の悪因縁罪障がたちどころに消滅して本然のきれいな姿となって、そしてあらゆる矛盾が解消し、この世そのままが極楽となる。


■神の声に目覚めれば何人(なんびと)も救われる


キリストや釈迦はその理想の世界をはるか天の彼方に見て、キリストは東方の天国の理想郷に父なる神を認め、釈迦は西方の浄土に阿弥陀如来を認めて、それに近よらんとした。そして霊格の高い指導者は近よらしめる道を説いて、長い間努力してきたが、時来たって今は、その信仰の目標としておった神が地上に到達して、皆が直接接することのできる好機が展開したのである。それにふれていく時には、何人(なんびと)も労せずして救われる。太陽の光に照らされて植物が生育伸長するように、智者も愚者も、年寄りも幼児も、平等に救われる時代が展開しつつある。それが神霊教である。そこに入れば、今までガンで命を落としたり、神経衰弱になったりして恐ろしい思いをし、あるいはまた生体解剖同様の悪い結果に陥らんとしている人々が、皆救われる。そして世の中には、このような憐れな人がどれほど多いか分からない。そういう人に早く神霊教を知らしめて、この偉大なる神の御光のもとに連れ立って来たならば、たちどころに、その最悪の地獄から最善の世界へと出てこられる時期が来たのである。今は皆、全世界の人々が神を見失ってしまい、一枚の紙を隔てたならば向こうの見えないような肉眼、五感の常識をもって、そして事をしようとしているところに、いまだ人類発生以来経験したことのない恐ろしい地獄相が現われてきている。この際、すべての人々が早く「神の声」に目覚めて、もう扉が開かれている新天地の世界に入ることが必要である。そのことが、この人類の終末的な悩みを救う唯一の残された道である。

大塚寛一先生

<御道話口述筆記>禁転載