出雲大社の立派な「しめ縄」

天津祝詞と言霊について、少しお話しさせて頂きます。

11月13日の名古屋でのかめちゃんと40さんの音声ファイルの販売も現在終了したようです。

その冒頭部分で40さんは約10分の間「人間の声とその周波数について」色々お話しされました、その中身について少し考察させていただきたいと思います。

以前から40さんは言霊(ことだま)には大変な力がある、魔力がある、と言っておられましたがかなり具体的な内容に踏み込んでおられました。

例えば、レプティリアンは非常に賢い生き物で声の周波数を使って人心を掌握することができる。

声で人を動かしたり、無条件で人を従わせることもできる。

声は兵器にもなる、人の記憶を消すこともできる、過去を変更することも出来る、人格を崩壊させることも可能である。

逆に言えば声でしかそれをする事が出来ない。

声は周波数そのものである。

今までの音楽で人が心地よいと感じるものは、その周波数を利用して全て金儲けに使っていた、人気のあるアーティストというのは、ほぼほぼそういうものです。

祝詞(のりと)というものもそういうもの、祝詞一つで痛覚切ることもできる。

麻酔ですよ。

お正月に神社に行って聞いている祝詞も、聞いたら不幸になるものも含まれています。

お経の中にもそういうものが含まれています。

火渡りなんかで火傷しないのもそう言う言霊の働きです。

この話を聞いて以前ラジオで聞いた次のような話を思い出しました。

TBS でお化け番組だった「ドリフだよ全員集合」という番組がありましたが、裏番組でいろいろ挑戦するのですがどうしても勝てない、この番組を一人の話術でひっくり返したのが「欽ちゃんのドンとやってみよう」という番組でした。


この頃の萩本欽一さんの話術の力というのは突出していて、言葉ひとつで自由自在に人を操っていたというのは、当時の番組を知っている方はよくご存知だと思います。

その頃欽ちゃんは街頭インタビューなどでお年寄りに話しかけると相手を自由自在に操れたというのは有名な話です。

彼は話術で相手の足腰が立たなくさせたり、歩けなくさせたりなどは自由自在に出来たそうです。

さて祝詞に戻りますが、超太古から神様はスメラミコトを人類に使わしてその教育教科を行なってきた訳ですが、その媒体役としてスメラミコトは非常に大切な役柄ではありましたが、人民は直接に神様と交流することも可能だったわけです。

神様との通信や祈りは祝詞を通して行われていました。

「祝詞」と言うのは神と人との繋がり、媒体としては極めて重要なものであり、この関係性を16サイドはどうしても断ち切りたいと言う願望があったわけです。

その中でも一番重要なのは「天津祝詞」です。

この中で「高天原」を「たかまのはら」あるいは「たかまがはら」と読ませています。

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何故この「天」を「まの」あるいは「まが」と読ませるのか、ここに明らかに悪意ある意図を見ることが出来ます。
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「まの」は神と人との繋がりを「間延びさせる」また「まが」と言うのは正しい天の神から「禍津神」「曲津神」等の邪神系の神々への誘導を行う騙しだと思われます。
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古神道で言う、いわゆる神に反逆した勢力である「堕天使」と言うのは一般的には「天若彦神」ではないかと推測しています。 
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「天」はどう読んでも「あま」か「てん」としか読めないはずです。
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ですからここにも16勢力による呪詛が込められているということです。

また「天津祝詞」を「あまつのりと」という読み方も本来は言霊的に言うと「あまつのりごと」と読むのが正しい読み方であり、「のりと」と言い換えることによって、「祈りを止めてしまう」という意味に置き換えられていると言われています。

実は以前から述べているように現在の神社庁というのはすべて16により支配されており色々な儀式は本来の正しい神様への繋がりを遮断するように操作されています。

代表的なものが「しめ縄」(正神の神々を神社から締め出す呪詛)、「節分の豆まき」(正しい神を追い払う儀式)拍手の数やお参りの際の二拝、二拍手等も本来の数霊から変更されていると言われています。

当然16サイドは「お経」等にも手を加えて、本来であればその言霊により霊界で救いが行われるための内容を逆に使い、不幸貶めるための道具にしているだろうと想像出来ます。