皆様、こんにちわ!ロニサランガヤでございます❗今日の人類大救世主大塚寛一先生の教えのロニ如是我聞はこれです‼️


如是我聞とは、コピーライトに抵触する原文とは違いがあります!


神軍リクルーターロニサランガヤ

□東洋の特長を活かせ

物質文明偏重の混乱は

精神文化によって救わる


ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)

 


世の中の一切は、相反したものが寄って調和がとれている。個人の上から見ても、陰陽相反した男女によって、そして特長を生かし欠点を補い合うことにより、永遠の発展がある。

植物にしても、また動物にしても何にしても、全てその原則から外れているものは一つもない。全人類の上から見ても、表半球と裏半球は相反した素質を持っている。その相反した両方がその特長を生かし合い、欠点を互いに助け合うところに、そこに世界の真の平和が得られる。


☆相反する双方の均衡を失えば滅ぶ

ところが、このごろはその根本的の差別を忘れてしまって、西洋の物質文化を東洋人までが模倣して、そして、全部が一方へ片寄り過ぎてしまっている。それ故に、均衡を失って、人間のために発達した物質科学文化により、人間が滅びようとしているのが現代の状態である。また個人の上においても、女が男の領域に入り、婦人が男の職場に進出して、そして家庭内部の女の重大な役目を忘れてしまって、そして男と対等に働いている。特にその顕著な現われとしての例が、昨年新聞紙上を賑わした。婦人が検事で、父親が大学の教授をしている、まことに外観を見たら最も進んだ家庭のように見えている。しかし惜しいことには、母親が子供を愛育していく点が零となったために、兄弟が争って殺し合いをしている。

まったく外見の美観は一変して、間違った結果を表わしている。このように男の職場に出て、女が堂々と実力を発揮して働くのは、よほど良さそうに見えている。しかし母親が家庭にあって立派に子供を育て上げることは、男が社会に出て働く社会的功績や働きに少しも劣らない重大役割がある。しかしながら、この立派に子供を育て上げるという重責を忘れて、女が男の職場に出て肝心の家庭や、また子孫を永遠に栄えしめる重大役割を怠っているところに、大変な間違いがある。


☆異なる東西文化が調和して平和生まれる


今日の物質文化にしても同じことが言える。裏半球の欧米人は女性的物質文化であり、その反面の東洋民族は男性的精神面に非常に優れた特長を持っている文化である。にもかかわらず、今日の文化が一方に偏して物質万能であるところに間違いがある。その陰性の欧米の文化に、東洋の陽性の精神文化が加わり、各自の特長を最高度に発揮して、両方が夫婦関係のように助け合い、調和していく時にはじめて世界の理想平和が実現できる。それにもかかわらず、今の東洋アジア人、特に日本なんかの優れた民族が、自己の立場を忘れて欧米を模倣追従することに専念し、自己本来の特長を見失っていることは、これは日本民族ばかりでなくて全人類にとっても非常に大きな損失である。この際、東洋人、特に日本人は自己本来の使命を自覚して、そしてこの極度に発達した物質文化との均衡、中心を失わしめないように、舵取りをすべき重大時期に直面している。ちょうど時計の振子でも、一方へある程度行けばまた中心に戻り、また反対へ行き、それを繰り返している。その反動期が来ているにもかかわらず、すなわち、物質から精神の方へ返るべき時に直面しながら、気づかないのは大きな間違いである。それ故に、世界国際上のうえにも、文化のうえにも、教育のうえにも、どの方面をとってみても精神、物質両方の中心軌道、調和点を見出しておらず一方に片寄っているために、どれ一つ満足なものは得られなくなってしまっている。


☆自然に現われた根本的な彼我の相違


一見すると、表半球・裏半球は同一のように見えてはいるが、よく注意して見ると、出発前にすでにその本質の相違が現われてきている。子供を見ても分かるが、女の子供は本能的な素質により、炊事のまねや、人形をこしらえたり、背負ったりしている。男の子は棒切れを持ってチャンバラをやる。教えずして本能的にそういうふうになっているのである。それと同じように、表半球と裏半球の本質の相違は、手紙を一つ書くにしても分かる。東洋では右上から下へ向けて左へ左へと書いていく。封筒には宛名を上に書いて、自分の方を下へ書く。そして国名・県・郡・町・番地を書いて、最後に苗字を書き、名を書いている。それが裏半球の欧米の方は、上の左から横書きにし、宛名を下に書いて、自分の方を上に書く。そして、名前・苗字・番地・町・区・州の順序で書いて、最後に国名を書く。また鉛筆を削るにしても東洋人の方は刃物を前に向けて、欧米の方は刃物を手前に向けて削る。ノコギリにしてもカンナにしても東洋では手前に引くが、向こうではノコでもカンナでも前へついていく。そして女に大きな力があって、英国の女王のように王位につくことができる。東洋ではその反対に男に大きな力があり、徳川時代など男児がない場合は絶家されていた。このようにどれを見ても全部反対になっている。それが計画的にではなく、期せずして自然にそのような状態に現われているのである。

☆精神文化に帰納せんとする物質文化


 西洋は、有形の物質を微に入り細に入り分解に分解をして、末端へ末端へと無限大に分析・追究していく文化で、今日では、原子から素粒子のところまで入ってきている。東洋の方は、目に見えない、手に取れない精神的方面の領域で、奥へ奥へと行って、最後の「真理の究極・極点」を目指して進んできている文化である。ちょうど人間の体が精神と肉体とにより成り立っている関係である。今日の人類文化は物質科学の世で、有形の表面的世界の分野は非常に大きく成長して、月の世界までも発展しようとしている。しかし惜しいことに、人類があまりにも外部の物質文化に気をとられ、集中し過ぎてしまい、その反面の、すなわち、内面のもっと価値の本源である精神・生命の分野がお留守になってしまっている。そして、ちょうど気狂い状態になり、今まさに破滅せんとする非常に危険なところに入ってきている。

☆精神文化に対する日本人の重大責任


この際、重大な責任のあるアジア人、特に日本人は、自己の持ち前・天分を発揮して、そしてこの膨大に成長発展した物質科学文化に魂を入れなければならない。そして、全世界を統一した精神力の下に組織立てていく時に、今日の対立摩擦は解消して、過去に前例を見ない一大理想社会が実現するのである。換言すれば、特に重大な責任を負わされている日本人は、「心眼」を開いて、そして「不動の中心」を把握して、この人類の危機を転換救済すべき重大時期に直面しているのである。その一部の先端が、今、真の日本神道神霊教によって、あらゆる悩める者を救済し、そしてその結果を着々と積み重ねつつあるのである。これは、いかに物質科学文化が進んでも、また全世界の者を動員しても模倣し得ない偉大な力であることを実証している。この精神・生命の究極の原理であり、力であるところから人々を救っている神霊教の指導原理を基点とし、足場として、そしてこの道を大いに開くところに、今日の混乱状態が救われ、真の平和実現への端緒となるのである。