みなさん、おはようございます。今朝の人類の大救世主:現人神大塚寛一先生のみ教えのロニ如是我聞は下記でございます。「心の眼」で拝読されてくださいませ。大塚先生は1891年神国日本の四国阿波(あわ)にご降臨され、1972年に「神の座」にお戻りになられましたが、皆さまの心が神界に佇立される大塚寛一先生に通じますれば、素晴らしい幸福がもたらされると確信しております。下記は如是我聞ですが、大塚先生の教えの多くの原文は国会図書館へいきますと「鶏鳴新聞」(1984-1993)「神霊時報」(1984-2014)という2つの新聞で過去数十年の多くの教え原文を閲覧することができますことも申し添えさせていただきます。

神軍リクルーターロニサランガヤ

☆国民の覚醒を促す

 自己の誇りを失った民族は地上から消滅する

 

 

 

□無批判的な模倣は奴隷化して亡ぶ

 

 明治の頃を振り返ってみると、その初めから中期にかけては、よく、「和魂漢才」ということを言っていた。「日本魂」に、中国の聖賢の道をとり入れて、そうして、国民を指導してきている。けれども、どこまでも、日本人としての日本魂ということを中心にして、それに、他の特長をとり入れて、肥料として国民を教育してきている。そこに、明治の中期から今日までの間に世界の大国と変わらぬところまで発達してきた根源がある。

 

 ところが次第に、物質科学文化に眩惑されて、「和魂」ということを忘れてしまい、何もかも全部が他国の模倣をするようになった。欧米の良いところもとり入れ、また、東洋の優れたところもとり入れなければならないにもかかわらず、東洋にあるものはみな時代遅れで、無価値のように思って、その特長を見逃してしまい、そうして日本本来の優れた特長までが忘れられてしまって、もう今は、世界で最も収拾のつかない混乱状態に陥ってしまっている。

 

 

 

☆我が国は一度の敗戦で自己を見失う

 

 今この際、目覚めて、日本本来の姿に立ち帰らなかったら、この世界の大動揺・大転換期に際して、日本はその重大な役割を課せられながら、破滅寸前に迫ってしまっているのである。実に、これほどよい機会はないのに、これほど混乱状態に陥っている国はない。どこの国に比較してみても、現在の日本ほど、拠りどころを失っている民族は見当たらない。ベトナムのような、あの悲劇を起こしているその民族でも、焼身自殺してまでも、民族と国を守ろうとする。そこに偉大な精神力が結集して、その結果、現代の金力と、人口と、それにあらゆる兵器をもって押えようとしても、押えきれないでいるのは、その民族の結集した偉大な力によって持ちこたえているからである。それが、日本の国は外敵を待たずして、内部的にあらゆるものが対立摩擦を生じて、統一を失ってしまっている。実に恐ろしいところに入り込んでしまっている。それは、どの方面を見ても、一つとして中心点を把握しているものがなくて、みな無軌道状態になってしまっているからである。何故、そういうふうな状態になったかというと、日本の国は三千年来外敵に侵された前例がない。それがために一度戦争に敗れると、まるきり自己本来の本質を忘れてしまって、そうして夢遊病者のような具合になっている。

 

 

 

☆他の国民は強烈な民族の自覚を持つ

 

そこへゆくと中国は易姓革命。常に強い者が出て来ては天下を取り、それが満足に治まっていっているうちに太平に馴れて、そうして腐敗堕落してゆくと、また新たな者が出て征服する。それを繰り返し繰り返ししているうちに、次第次第に国民が洗練され、いかなる時にも動じないだけの訓練ができて、そうして一般の人の気づかないところに、民族の結束というものが偉大な力となっている。日本の国は惜しいことに、そういう訓練を受けていないために、収拾がつかなくなってしまっている。ユダヤ民族にしてもかつて国を失い、世界中漂泊の旅に出て、流浪に流浪を重ねている間に、次第次第に民族が結束、それとまた、自己の民族の誇りを失わないで結束している。だから、国はなくても、世界的に偉大な勢力を持っているのである。それが日本の国は、まあ言えば、温室育ちのようなふうになって来たために、国が一度大敗すると温室が破れて、吹きさらしの嵐にあって縮み上がっているようなものである。そこで、その一つの現われを見ても分かるのは、昔より中国では裁判所や、警察や、国法そのものが当てにならないかわりに、民衆全部の者が法に頼らずして、自ら自分を治めてゆく訓練ができている。それを特に感ずるのは、中国には日本以上に酒の種類がたくさんあり、特にきつい高粱酒(こうりゃんしゅ)などは、アルコールそのものである。ソ連のウォッカより強い酒である。それにその他いろいろたくさんの酒の種類があるが、自分が十年間支那大陸の満蒙から四川省と、全土にわたって歩いたが、いまだ一人の酔っぱらいも見たことがない。それは、自ら治める力を持っているからである。寺や神社にしても、落書き一つない。道を歩いて行っても、道端の木を無意味に折ったり、叩いたり、傷つけるというようなそんな軽率なやり方は見当たらない。それがひとたび、日本の兵隊が中国に踏み込んで行くと、もう、寺と言わず、お宮さんと言わずに、空いたところなしに落書きをしている。しかもそれが、自分の名前を書いたり刻み込んでしまってある。それが、自分は随分中国の奥地まで入ったが、中国人でそのような例を見たことがない。

 

☆商売のうえでも根本的な相違がある

商売を一つするにしても、日本人が商売をやるのと中国人がやるのとは大変な開きがある。日本は欧米ばかり模倣して、賃金値上げをしているけれども、このまま進んだら、足下に七億の中国民衆がいることを忘れてしまって、そうして、無軌道なやり方をしていると、遠からずそれが日本にとって取り返しのつかない状態に陥る恐れがある。自分たちが中国に行ったのは大正の頃であったが、当時、日本人が向こうで商売をしているやり方を見ると、仮に日本人が上海や青島、あるいは天津などで店を五軒なり十軒なり出しているとすると、その中の甲が、日本製品で目新しい売れ易い物を陳列していて、それが売れていると、乙は日本に帰って来てあちこち漁り回って、そうして、同一の物を持って来て、甲が百円で売っている物を乙は九十五円で売る。そうすると今度は丙の者がそれを見て、また内地へ帰り、探して持って来て、今度は九十円で売る。自分たちで勝手に競争して売り崩してしまう。そうして、一人一人が皆、思い思いに仕入れて来ている。ところが、中国人の方は日本品を買うのに、大阪の川口なら川口にアパートのような建物を借りて、そうして山東省全体の、まず日本でいうなら商工組合みたいなものであるが(内面ははっきり分からないが)、その全体の代表者が来て、そのアパートの中の一部屋一部屋に、雑貨を仕入れる者、金物を仕入れる者、繊維製品を仕入れる者、そういうふうな者がその部屋部屋に陣取って、全体を代表して買い集め、これをまとめて船会社等に交渉して、多量に故郷の方へ送っていく。その仕入れ方がまた、日本の人が仕入れるのと違って、現金を持って、そうして日本人の何百倍ものまとまった品物を買い付ける。したがって、買いたいと思う物があると、大きな信用のあるところへ行って、数量のまとまることと現金で買うことを条件に交渉して、そこで甲のところが百円でできれば、その見本を持って乙のところへ行き、甲の店は九十五円で売るがお前のところはどうか、現金で何万ダース買うからと言って、そこが九十五円から多少でも切ると、また次々と見本を持って交渉に当たっていく。中には、金融関係で困り、高利の金を借りたりしているようなところに出くわすと、その店は商売の利潤は別として、金融のために原価スレスレか、場合によっては原価を切ってでも売るというふうにする。このようにし、ギリギリのところまで値切って、そうして持って帰る。それがどの品もみな、その筆法で買い漁っていく。それで、日本人の店と中国人の店がそこに並んでいると、日本人が皆、日本人の店へ行くよりも、隣の中国人の店で買っていく。そうすると同じ品物でも必ず値段が安い。ところが中国人や外国人、特にドイツ人などは、値段の少々ぐらいの違いは別にして、自分の国の者の店で買う。また、日本の製造会社や問屋にしても、中国人へ売るのと、内地で日本人に卸すのと大変な値段の開きがある。内地で買うのは数量が少ない上、掛け倒れ等の心配もある。それで、日本人と中国人とに売るのでは、違いが出てくる。同じ日本人なら、日本人に安く売るはずであるのに、日本人の方が高く買わされて、中国人の方が安くなる。そういうやり方をしているから、結果において大変な違いが出てくる。                   (つづく)