みなさん、おはようございます。今朝の人類の大救世主:現人神大塚寛一先生のみ教えのロニ如是我聞は下記でございます。「心の眼」で拝読されてくださいませ。大塚先生は1891年神国日本の四国阿波(あわ)にご降臨され、1972年に「神の座」にお戻りになられましたが、皆さまの心が神界に佇立される大塚寛一先生に通じますれば、素晴らしい幸福がもたらされると確信しております。下記は如是我聞ですが、大塚先生の教えの多くの原文は国会図書館へいきますと「鶏鳴新聞」(1984-1993)「神霊時報」(1984-2014)という2つの新聞で過去数十年の多くの教え原文を閲覧することができますことも申し添えさせていただきます。


 

 


 支那の諺に「宋襄の仁(そうじょうのじん)」といって、無益のなさけ、時宜(じぎ)を得ぬ憐(あわ)れみは自己を滅ぼすことを戒めている。

 昔、宋の襄公が、楚との戦に、敵の不意を衝き備えのないときに討つことは、非人道的であるといってこれを撃たず、かえって楚のために敗れたという故事からできた諺である。相手が十分の備えをしてから立つときには、こちらが不利になって犠牲を多くする。ゆえに他を救うには、まづ自己は他に侵されない体勢を整えて、余力をもってするところに正しい道がある。

 何事をするにも、自己の利益のみを追求し他を顧みなければ、社会から孤立して没落し、同時にまた、相手をよくするにも、自己の利益を無視すれば永続きせず、また自己が立ちゆかない。人を救うにも、自己がよりよくなるときに今日より明日は、より以上の多数の人々を救うことができる。したがって真の正しい利益は、相手とこちらが常に一致し、どちらかに片寄ると永続性がない。

 一家を治めるにしても、夫婦が互いに長所を生かし欠点を補い合い、そして調和してゆくときに、平和な家庭が築かれて後継者も産まれ、永遠の発展がある。どちらかが極端な利己主義に走り、相手を排斥したならば一代で終わってしまわねばならない。ゆえに他と自己が相寄って、明日の自己というものが出来上がってくる。自分を遡って分析してみれば、父母という二つの自他が相寄って調和がとれ、今日の自分というものが出来上がっている。

 同様にまた明日に対しても、自己と社会なり周囲の者と調和して、そして明日の立派な自己が出来上がってくる。ゆえに過去も未来も、すべて自他の調和で新しい自己が生まれるのである。

 今日、自己が生きているのも、農家があって食糧を得られ、繊維企業家あって衣類が着られ、建築家があって家に住めるのであって、自己もまた世の中のために尽して、よりよきものを他に提供するところに、多くの人が集まって、そこから利潤が生み出され生活してゆける。

 文化にしても同様であって、もし物質文化に片寄って精神文化が伴わぬときは、人類のための文化が人類自身を破滅に導くこととなる。ゆえに物心両文化の全き調和のとれた理想文化が建設されたとき、全人類は共存共栄の理想郷を迎えることになる。このように、すべて世の中のものは、相反したものが相寄って、そこに真の調和を見出だしてゆくところに永遠の発展がある。

 現代人が今日のごとく、目前のただ利己主義にのみ走ってゆくことは、自己破滅になるばかりでなく、世の中の対立摩擦は永遠に消えない。そして世はまさに修羅場(しゅらじょう=戦乱闘争の悲惨な場所のこと)と化してきている。

 その自他の中間の、正しい中心点を把握するときに、はじめて真の平和と共存共栄の道が開かれてくる。
大塚寛一先生


.