
前回のブログの中でお伝えした~40さんがおっしゃった「目というのは見えているようで見えていない、半分以上は脳が勝手に作っている幻想」について考察してみたいと思います。相当小難しく、難解なことを手短に説明しようと思いますので、かえってわかりにくくなる可能性がありますが、理屈っぽいのが嫌いな方は無理に読まない方が良いと思います、あんまりお得にはならない情報だと思います。まぁそんなものかなと、思って読んでみてください。最後のところで少しだけ40さんに、同意できないところについてお話ししておきます。ずいぶん以前のブログで「目に見えるもの全て幻」と言う内容と今回のお話はかなり重複しますのでよろしくお願いします。1970年代にロンドン大学のデヴィッド・ボームという物理学者とスタンフォード大学の生理学者カール・プリブラムの二人の研究が発表されました、その中で物質は目に見えない世界の投影であると言う考え方「暗在系と明在系」と言う全く新しい理論が提唱され、物理学会に衝撃を与えたと言うところからお話が始まります。
以前にもお話ししたことがありますが私はこの話を「投影された宇宙・ホログラフィックユニバースへの招待」と言う本で知りましたので、一応「本レビュー」の目的には合致しているかとは思います。最初にどうしてもホログラフィックモデルについて説明しなければいけません。いわゆる「立体映像」(ホログラフィー)の作り方ですが、写真を添付しておきます、リンゴにレーザー光線を当てます、次に2本目の光線を最初の光の反射光と衝突させると干渉パターンが生じます、それをフィルムに焼きつけるとそれがいわゆる立体映像のネガになります。そうするとQR コードのような縞模様の、一見何か分からないような干渉波のネガが出来上がります、このネガに再びレーザー光を当てると立体映像が現れるという仕組みです。このネガのユニークな特徴がこのネガを例えば小さく切ってレーザー光線を当てると暗い映像にはなりますがやっぱりりんごが浮かび上がってくるのです。これはどういうことかと言うと部分の中に全体が含まれているフラクタルな構造になっているということ、どれだけ小さな部分の中にもその一部分の中に全ての情報が含まれているということです。ちょっと話が逸れますが、私たちの集合意識というのは個々に一人一人が神と繋がっているわけですが、実はすべての人類と深層心理の奥底では繋がっているので、やはり魂の構造は同じようなフラクタルな構造になっていると言えると思います。

「ネズミの実験」~カールプリブラムはネズミを使って、記憶というものが脳のどの部分に記録されているのかを調べる実験をしました。ネズミを訓練し一定の行動を学習させる、その後に脳の一部を切除し、もう1度その行動をさせる、そして脳のどの部分を切り取った時に、行動が変化するのかを調べたわけです。ところが驚いたことに脳のどの部分を切り取っても記憶は喪失しなかった。これは今までの脳が単なる機械的な物質であると考えるとどうしても説明できないわけです。この二人の研究者がこの結果について考察した結果、目に見えない世界に別のフィルム(ネガ)がありそれが目に見える物質世界に反映していると考えるのが一番合理的であると。この目に見えない世界を「暗在系」と名づけたわけです。脳を動かし肉体を形作っているのは、実は目に見えない世界の反映だということ、脳は装置であり、魂や霊体が本質的なものであるということを科学的に立証したわけです。話はそれましたが実は「視覚」も同じようにホログラフィクに機能しているということです。ネズミの視覚中枢をの90%を除去しても、複雑な視覚能力を必要とする作業が依然可能なことを発見したのです。又人間の場合にも、脳の視覚中枢と思われている部分を事故や手術などによって、ほとんどの部分が損傷したり、欠損したりしても普通に物が見えると言う報告が多数されているそうです。目から入って来る情報と脳の中に結ばれる映像が今までは一対一の対応関係であると思われていましたが全くそういう仕組みではないということが分かったのです。
脳は記憶を、脳全体の波動として蓄積している、この波動はどのように作り出されるかと言うと脳の中に無数に存在する一つ一つの神経細胞(ニューロン)どおしの間で交わされる電気的なコミニュケーションが無限に近い干渉パターンを作り出し、脳全体の波動としてフラクタルに蓄えられているということです(記憶は非局在化して存在している)。私たちが今地球の波動上昇に合わせて自分たちの波動も上げて行かなければいけないと言う考え方とリンクしてくると思います。さらにややこしくなりますが、目がものを見て、見た物事を脳が認識する時、「認識ホログラフィー」というシステムを使っている、これはどういうことかと言うと、久しぶりに会った幼馴染なのに顔がかなり変わっているのに同一人物だと認識することができる、これは何故かと言うと、過去に自分が見た幼馴染の画像を記録したホログラフィックフィルムの中から、似た部分を探し、自分の脳でその画像を組み立てて認識していると言うこと。ですから人間の目で見える画像というのは、自分の過去の記憶とか、自分の想念で見え方が違ってくるということなのです。目で見た映像を脳の中で選別、想定、変換した上で認識しているわけです。相当ざっくりと話していますので、本当ならこの数倍の説明が必要なところ、あまりにも短縮していますので何のことかわからなくても仕方ないと思います。興味のある方はぜひこの本を買って読んでみてください。神様や霊界や目に見えない世界を科学的に考察、解説して、結びつけた本としては、私はこれ以上すごい内容の本を見たことがありません、興味のある方にとっては絶対におすすめの内容です。
40さんが言うように、レプや宇宙人が目の前にいても、分かる人と分からない人がいる、鈴虫の鳴き声を美しいと思える感性と雑音にしか聞こえない感性がある、それと通ずるものがあるのではないでしょうか、その点日本人は脳の働きが外国のbot よりかなり優れているのではないでしょうか。さて最後に今回の笹原さんとのコラボの中で40さんに次のような質問がありました~質問)ゲームマスターはどんな動機で人類を創造したのですか?~40)動機はありません、感情が無いのです、プラットフォームを提供しているだけ。プレイヤーが自分自身で愛と調和を見つけるためのゲームです。~というお答えでした。・・・私はこれがどうしても納得できない、その理由は、古神道では人間と神様は親と子の関係と認識されています。これは、キリスト教、イスラム教、ユダヤ教などの基本的教理である「人間というのは神様の被造物であって、絶対的な距離感があり、例えば陶芸家が出来の悪い茶碗を気に入らないからと投げ捨て壊してしまうような、そのような関係、実際聖書にはそのような記述が無数にあります」などとは違い、散々悪い事をした子供でも改心したら許してやろう、なんとか立ち直って欲しいと無償の愛を与える存在。日本の神様というのは、古神道の神様というのはそういう存在なので、それを創造したいわゆる創造神もきっとその関係とフラクタルになっているのではないか、と言うことは以前から再三述べています。例えば私たちが何か人形を作ったとしても作っている時にまったく無感情ということはないでしょう、人形ですら自分で作ったら何かしらの愛情を感じる、私にはそう思えますが。もしかしたら40さんのおっしゃっていることは何か別の深い意図があるのかもしれませんが、今のところ私には理解できません。



