皆さんこんにちは❗人類の大救世主大塚寛一先生1936年発刊「暗夜の光明」の抜粋です。この秘蔵書は現在、国会図書館にPDFだけが存在、80年間、人類の誰の目にも触れることなく眠っていました。ロニが、ある不思議なルートで情報を入手し、コピーを入手して友人と写経し80年ぶりに、人類に復刻、発信させていただきました。人類のアセンションの鍵、「神格化する」、覚醒する秘密が書かれています。心の眼で拝読されてくださいませ

神軍リクルーターロニサランガヤ


ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)

 34-36ページ:今の世の姿諸君、世の中も大分混乱して参りました。此の先に来るものは、如何なるものでありましょうか。先ず上から眺めますと、各国の軍備の拡張ですね。こうもお互いの国が競争で殺人器を製造して、それで人が安心できましょうか。皆が生きんが為に、人殺しの器具を造るとは実に不思議でなりませぬ。それから内を見ますと、丁度親父の品は高いから、息子は他人の品を買ふて、喜んでゐる有様で、それで家の経済がどうなるのでしょうか。又折角人間の為に発明した、機械の為に、多くの人が次々と失業して行く。仕舞には、人間を此の世からへらして、全地上に優秀な機械を据え付けて、飯も食わずに活きる薬を発明して、働かず、食わず、飲まずに行ける所迄進めねば、今の人間は、現代の競争を食い止められぬらしいです。歩いて間に合わないで、自転車で間に合わず、汽車で間に合わないで、飛行機で間に合わないで、とうとう仕舞には、生まれるとすぐ死ななければ間に合わなくなるのではないかと思います。それにお金ですね。お金は大変結構なものではありますが、それは思う物が得られるからであって、万一思う物が得られなければ、却って無用の邪魔物となるばかりでなく、今は其の金を、真に有効に使うことを知らず、罪を犯して迄、金を溜める者が日増して増えて参りました。これがまたまた生存競争が激しくなりますと、飯を食う暇もなく、金袋を背負ふて、一生走らにやならなくなりそうです。此の儘で進むものなら、遠からず、白昼人間の皮で覆面なし、鋭い枝の生えた角に白い牙をむき出し、赤い口から火のような舌を、人肉に差し込み、生き血を吸う者が至る処に横行する時が来はしないかと案ぜられます。今の世の人に、それ程悪人は見受けられませんが、万一悪い人があって、それが人を裁いたり、人の脈を取ろうものなら、覆面の鬼と化せはせぬか。若し覆面の鬼が黄金を得る為に脈を取ろうものなら、病を癒す事よりも、如何にして黄金をより多く、絞り取ろうかと、工夫しだすでしょう。其のメスは生命の際を流れて居る。血管の中より黄金を白昼選り出しているのです。若しそういう様な時が来たら、皆、人間の皮を冠っていますから、鬼と人間の見分けがつかず、安心して見てもらっているうちに、骨と皮になり、気付いた時は、財布も空になり命の綱も九分九厘切れ。地獄に陥る外、すべがなくなります。其の悪鬼は大軍を率いて、垣根の際まで押し寄せてきました。もうぐずぐずしていると皆さんの御體の中迄、食い入って来そうです。そうなっては大変です。万一そうなると、悪魔を追い出すには、自分をも垣根外に締め出さねばならなくなります。そうなっては全くおしまいです。垣根の外に居る間は防ぎ易いが、各自の心中に這入りこまれては、命懸けの療法を加えぬと、魔病の退治は出来にくくなります。悪魔は大勢です。一人の力では決して防げません。協力一致、大魔軍と戦かおうではありませんか。それには利己的な考えを捨てた真道に立ち帰るより外に絶対他に良法はありません。人間の考えはきっと利己的になります。他人を縛るべく造った縄は、却って自分が縛られる事になります。 


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■今 の 世 の 姿
諸君(しょくん)、世の中も大分(だいぶん)混亂(こんらん)して參(まい)りました。此(こ)の先(さ)きに來るものは、如何(いか)なるものでありませうか。
先(ま)づ上から眺(ながめ)ますと、各國(かっこく)の軍備の擴張(かくちょう)ですネ。かうもお互(たがい)の國(くに)が、競爭(きょうそう)で殺人器を製造して、それで人が安心できませうか。皆(み)なが生きんが爲(た)めに、人殺しの器具を造るとは、實(じつ)に不思議(ふしぎ)でなりませぬ。

それから内を見ますと、丁度(ちょうど)親父(おやじ)の品は高いから、息子は他人の品を買(こ)ふて、喜んでゐるといふ有樣(ありさま)で、それで家の經済(けいざい)がどうなるのでせうか。又(また)、折角(せっかく)人間の爲(た)めに發明(はつめい)した、機械の爲(た)めに、多くの人が次々と失業して行く。仕舞(しまい)には、人間を此(こ)の世(よ)からへらして、全地上に優秀(ゆうしゅう)な機械を据(す)へつけて、飯(めし)も喰(く)はずに活(い)きる薬を發明(はつめい)して、働かず、食(く)はず、飲まずに行ける所(ところ)迄(ま)で進めねば、今の人間は、現代の競爭(きょうそう)は止(と)められぬらしいです。歩いて間(ま)に合(あ)はないで、自轉車(じてんしゃ)で間に合(あわ)ず、汽車で間に合はないで、飛行機で間に合はないでとうとう仕舞(しまい)には、生(うま)れるとすぐ死ななければ間に合はなくなるのではないかと思(おも)ひます。

それにお金(かね)ですネ。お金は大變(たいへん)結構(けっこう)なものではありますが、それは思(おも)ふ物が得(え)られるからであつて、萬一(まんいち)思(おも)ふ物が得られなければ、却(かえ)つて無用(むよう)の邪魔物(じゃまもの)となるばかりでなく、今は其(そ)の金を、眞(しん)に有效(ゆうこう)に使ふ事を知らず、罪(つみ)を犯(おか)して迄(ま)で、金を溜(た)める者が日增(ひま)して增(ふ)へて參(まい)りました。

これがまだまだ生存競爭(せいぞんきょうそう)が激(はげ)しくなりますと、飯(めし)を食ふ暇(ひま)もなく、金袋(かねぶくろ)を背負(せお)ふて、一生(いっしょう)走らにや(はしらにゃ)ならなくなりそうです。

此(こ)の儘(まま)で進むものなら、遠(とお)からず、白晝(はくちゅう)人間の皮(かわ)で面なし、枝の生(は)えた角(つの)に白い牙(きば)をむき出し、赤い口から火の樣(よう)な舌(した)を、人肉に差込(さしこ)み、生血(いきち)を吸う者が、至る處(いたるところ)に横行(おうこう)する時(とき)が來(き)はしないかと安(あん)ぜられます。

今の世の人に、それ程(ほど)惡人(あくにん)は見受(みう)けられませんが、萬一(まんいち)惡(わる)い人があつて、それが人を裁(さば)いたり、人の脈(みゃく)を取らうものなら、覆面(ふくめん)の鬼と化(か)しはせぬか。若(も)しふく面の鬼が黄金(おうごん)を得(う)る爲(た)めに脈をとらうものなら、病(やまい)を癒(いや)す事よりも、如何(いか)にして、黄金をより多く、しぼり取らうかと、工夫(くふう)しだすでせう。其(そ)の時のメスは生命(せいめい)のきはを流れて居る  血管(けっかん)の中より黄金(おうごん)を白晝(はくちゅう)ゑり出してあるのです。若(も)しそういふ樣(よう)な時が來たら、皆、人間の皮をかむつてゐますから、鬼と人間の見別(みわ)けがつかず、安心して見てもらつて居るうちに、骨と皮とになり氣付(きづ)いた時は、財布も空(から)になり命のも九分九厘(くぶくりん)切れ、地獄(じごく)に陥(おちい)る外(ほか)すべがなくなります。

其(そ)の惡鬼(あくき)は大軍をひきいて、垣根(かきね)の際(きわ)迄(ま)で押し寄せて來(き)ました。もうぐずぐずしてゐると皆さんの御體(おからだ)の中迄(なかま)で、食入(くいい)つて來(き)そうです。そふなつては大變(たいへん)です。萬一(まんいち)そうなると、

惡魔(あくま)を追ひ出すには、自分をも垣根外(かきねがい)に締(し)め出さねばならなくなります。そうなつては全(まった)くおしまひです。垣根の外に居る間は防(ふせ)ぎ易(やす)いが、各自(かくじ)の心中に這入(はい)り込(こま)れては、命懸(いのちが)けの療法を加へぬと、魔病(まびょう)の退治(たいじ)は出來(でき)にくゝなります。

惡魔(あくま)は大勢(おおぜい)です。一人(ひとり)の力(ちから)では決して 防(ふせ)げません。協力一致(きょうりょく・いっち)、大魔軍(だいまぐん)と、戰(たたか)はふではありませんか。

それには、利己的(りこてき)な考(かんが)へを捨(す)て眞道に立ち歸(か)へるより外(ほか)に絶對(ぜったい)他(た)に良法(りょうほう)はありません。

人間の考へはきつと、利己的になります。他人(たにん)を縛(しば)るべく造つた繩(なわ)は、却(かえ)つて自分(じぶん)が縛(しば)られる事(こと)になります。

■眞 の 自 己 の 働き

世(よ)の一切(いっさい)は決して、過去(かこ)の人々(ひとびと)が考(かんが)へてゐる樣(よう)な、確定的(かくていてき)なものではなく、又(また)同一物(どういつぶつ)が二つは有り得ない(ありえない)のであります。同一(どういつ)でも昨日(さくじつ)と今日では大いに異(ことな)つて居(お)ります。

隣(とな)りの太郎さんは、昨日の太郎さんに少しも變(かわ)りはない樣(よう)ですが、よく調べて見ると、大變(たいへん)な變(かわ)りがあるので、今日生(うま)れた赤ん坊が、六十年後には白髪(はくはつ)の老人と變(かわ)る、その、一日だけの變(かわ)りは必(かなら)ずあるので、百年の間には、精蟲(せいちゅう)より胎兒(たいじ)となり、生(うま)れ出て成人し、やがて白髪(はくはつ)より墓穴(ぼけつ)の土(つち)となるまで、一日として一刻(いっこく)として變化(へんか)せずには居(お)りません。

變化(へんか)限(かぎ)りなき此(こ)の世(よ)を、變化なきものと、誤認(ごにん)する處(ところ)に、一切の迷(まよ)ひが生(しょう)じるのであります。

然(しか)らば、迷(まよい)はない正しい途(みち)は何處(どこ)にあるのでせうか。それは、變化(へんか)の一大法則により萬事(ばんじ)を遂行(すいこう)する外(ほか)に正しき途(みち)は、絶對(ぜったい)に存(そん)しないのであります。

波浪(はろう)に對(たい)する水平線の如(ごと)く、一切萬有(いっさい・ばんゆう)を一貫(いっかん)して、此(こ)の一點(いってん)より萬方(ばんぽう)に進展し、又(また)此(こ)の最終一點(さいしゅう・いってん)に萬有(ばんゆう)を歸着(きちゃく)せしむる處(ところ)の、その不變(ふへん)の一點(いってん)に立脚(りっきゃく)する處(ところ)にのみ、迷(まよ)はざる眞(しん)の居(お)り場所(ばしょ)があるのであります。

此處(ここ)に初めて、永劫不滅(えいごうふめつ)の一大生命(いちだいせいめい)があり、自他超越(じたちょうえつ)せる大我(たいが)に生(い)くる道(みち)があるのであります。

萬有進展(ばんゆうしんてん)は歸一(きいつ)の初(はじ)めであり、分解は綜合の元(もと)です。萬物(ばんぶつ)は最初の最少一點(さいしょういってん)に出發(しゅっぱつ)なし、進展分離(しんてんぶんり)して、現(あら)はれた萬有は、又同時に綜合統一して、最後の一點に歸納(きのう)しつつあります。

此(こ)の法則(ほうそく)の許(もと)に、萬物は一瞬にして展開歸納(てんかい・きのう)しつつあります。

今や人類は其(そ)の、一大轉換期(いちだいてんかんき)に直面して千歳(千載)一遇(せんざい・いちぐう)の時に逢著(おうちゃく/ほうちゃく)しました。

人類も、細胞(さいぼう)より生蟲(せいちゅう)、生蟲より個人(こじん)、個人より社會(しゃかい)、最後には綜合統一せる、自他超越(じたちょうえつ)の大我(たいが)の域(いき)に進まんとして、一大轉換期(いちだいてんかんき)に直面して居(い)るのであります。

此(こ)の自然の法則たる、變化(へんか)に順應(じゅんおう)せざる時は、滅亡(めつぼう)あるのみです。一生物を内觀(ないかん)すれば、無數(むすう)の細胞が綜合統一して、各一細胞の小觀(しょうかん)を離れて、自然の一大法則の元に運行する處(ところ)に一小生命が生み出されてゐるのであります。

今や、地上の人類は個人を超越せる一大生命に生(うま)れ出(い)でんとして居(い)るのであります、これが最後の最大なる綜合統一の時です。こゝに至(いた)つて始(はじ)めて自己の爲(ため)は社會の爲(た)め、個人の爲めは國家の爲(ため)となり、差別の中に眞の平等があり、萬人共(ばんにんとも)に一體(いったい)となり各自(かくじ)神(かみ)の御體(ごたい)の細胞の如(ごと)く、個人は社會の一細胞となって動(うご)く時に始(はじめ)て今の世(よ)の矛盾(むじゅん)は解消(かいしょう)出來(でき)るのであります、かくして原子(げんし)より細胞(さいぼう)、細胞より精蟲(せいちゅう)、精蟲より胎子(たいし)、胎子より個人、個人は社會の一細胞となつてこゝに一大神格(いちだいしんかく)が生(うま)れ出(で)んとして居(い)るのが 今の吾れ吾れ(われわれ)の姿(すがた)であります。

■世 の 爭(あらそい) の 姿
近頃(ちかごろ)は到る處(いたるところ)に爭(あらそい)が起(お)きて來(き)ました、大別(たいべつ)しますと物質文化と精心文化(せいしんぶんか)、資本家と無資産者(むしさんしゃ)(階級)の爭(あらそ)ひ、國は國との爭ひ、同業者同士の爭、親子は新舊思想(しんきゅうしそう)の爭、自己心中(じこしんちゅう)には進退二派(しんたいには)の爭ひの、大は國家(こっか)より小は自己心中(じこしんちゅう)に至(いた)るまで爭ひの無(な)い所(ところ)はありません。

此(こ)の爭(あらそ)ひの罪(つみ)は決して相手方(あいてかた)のみにあるのでなく 其(そ)の大部分(だいぶぶん)は 自己心中(じこしんちゅう)に發生(はっせい)して居(お)ります。萬一(まんいち)有産者階級(ゆうさんしゃかいきゅう)を惡(わる)く思(おも)ふ者(もの)があるとしますと「事實(じじつ)に於(おい)て惡人(あくにん)もありますが其(そ)の惡人の數(かず)は無産者中(むさんしゃちゅう)の惡人と正比例(せいひれい)します」其(そ)の者(もの)が幸(さいわい)にして百萬(ひゃくまん)の富(とみ)を得たとしたならば、其の時(とき)心境(しんきょう)に變化(へんか)を來(き)たしはせぬでせうか、萬一(まんいち)、一般有産者階級(いっぱんゆうさんしゃかいきゅう)と同じ心理狀態(しんりじょうたい)になるとしたなれば、有産者(ゆうさんしゃ)其(そ)の者(もの)に罪(つみ)があるのでなく、もつと深(ふか)い所に根差(ねざ)して居(い)るのではありますまいか、そうであるとしますと階級(かいきゅう)の上下(じょうげ)に向(むか)つて流れ出て居る惡(あく)の源(みなもと)を斷(たた)ねば駄目(だめ)であります、其(そ)の惡(あく)の種(たね)は上下の別なく日增(ひま)しに成長してきます、又(また)有産者も富の價値(かち)の何處(どこ)にあるか眞(しん)に自覺(じかく)せぬ時は其の財(ざい)の下敷(したじき)となつて禍(わざわ)ひの淵(ふち)に沈み行く者(もの)もあり、又(また)巨萬(きょまん)の富(とみ)を集め尚(なお)飽(あ)く事(こと)なく、社會組織(しゃかいそしき)の不合理(ふごうり)を惡用(あくよう)なし取返(とりかえ)しのつかぬ犯罪者となり鐡窓(てっそう)の中に呻吟(しんぎん)する者が益々增(ふえ)て參(まい)ります。それ故(ゆえ)社會現象(しゃかいげんしょう)を皮相(ひそう)のみで觀察(かんさつ)なし輕率(けいそつ)に事(こと)を計(はか)れば人類は滅亡に向(むか)ふ外(ほか)ありません。

此處(ここ)に二人の旅人があつて、道中で出逢(でお)ふた、正直な一人の話を聞いて居(お)りますと、此(こ)の先に險阻(けんそ)な山路(やまみち/やまじ)の中程(なかほど)で年老いた旅人が永旅(ながたび)に寄せ集めた財寶(ざいほう)を持ち行倒(ゆきだお)れて居(い)る事(こと)を聞き、二人は心中(しんちゅう)小躍(こおど)りして、互(たがい)に心の内を祕(ひ)しつゝ出發(しゅっぱつ)したが何分(なにぶん)一人が非常に足達者(あしだっしゃ)でどうしても追ひ越す事が出來(でき)ず遂(つい)に現場に來(き)て見た處(ところ)が老人は事切(ことき)れて寶物(たからもの)は何一物(なにいちぶつ)も殘(のこ)されて無(な)いので後の旅人は殘念(ざんねん)がり早速(さっそく)其(そ)の事を村人に訴(うった)へて大勢(おおぜい)して追ひかけましたが何分(なにぶん)先の男は非常な大力で一人同士では、とても及ぶところではなかつたが村人(むらびと)の應援(おうえん)を得て遂(つい)に大喧嘩(おおげんか)となり、お互(たがい)の身(み)は血塗(ちぬ)れとなり 耳(みみ)は缺(か)け鼻は歪(ゆが)み手足の自由(じゆう)さえ思ふ樣(よう)にならなくなり、気附(きづ)いた時は折角(せっかく)目的にして居(お)つた財寶(ざいほう)は大部分(だいぶぶん)は踏(ふ)み躙(にじ)られ、多少ましな物は何人(なにびと/なんぴと)ともなく持ち去られてしまいました。

其處(そこ)へ一人の婦人(ふじん)が我が夫と息子二人の歸(かえ)りの遲(おそ)いのを案(あん)じ村堺(むらざかい)まで來(き)て此(こ)の噂(うわさ)を聞き、駈(かけ)つけてよくよく見ると二人の旅人(たびびと)は紛(まご)ふ方(かた)なき我が子であつた。それはまだ二人が幼少(ようしょう)の頃(ころ)父に連れられて遠國(えんごく)に旅立つたが 一人は智(ち)の修業 一人は肉(にく)の修業の爲、兄弟を離れ離れ(はなればなれ)の處(ところ)に置き 歸(かえ)る時刻(じこく)のみ言ひ聞かせて自分は、それより當て所(あてど)もなく旅に出てしまつたが、可愛(かわいい)我が子や家に居る女房を喜ばさんと永年苦勞(ながねんくろう)して集めた財寶(ざいほう)を持つて我が子等の歸(かえ)る一足(ひとあし)先きに出發、途中あの險阻(けんそ)な山路(やまみち/やまじ)に差(さし)かゝつて遂(つい)に命(いのち)を絶(た)つてしまつたのであります、其(そ)の事(こと)を聞かされた二人は全く驚(おどろ)き悲(かなし)む外(ほか)ありませんでした、あの老人(ろうじん)に逢(あ)つた時、兄の智慧(ちえ)の力と弟の肉(にく)の力で介抱(かいほう)すれば充分(じゅうぶん)に蘇生(そせい)出來(でき)三人連れ立(つれだ)つて母の元(もと)に歸(かえ)り四人打ち揃(うちそろ)へば奪(うば)ひあつた財寶(ざいほう)に數倍勝(すうばいまさ)る喜びがあるものを、知らぬ事とは言ひながら、財寶(ざいほう)慾(ほ)しさに助かる老人も見殺(みごろし)に、そして死を待(ま)ち兼(か)ねて持ち去つた財寶(ざいほう)の爲(ため)に遂(つい)に兄弟共(きょうだいとも)に見る影も無き姿となつて永年苦勞(ながねんくろう)して集められた財寶(ざいほう)は 互(たがい)に奪(うば)はずとも與(あた)へられるものを奪合(うばいあ)ひした故(ゆえ)寸前(すんぜん)にして遂(つい)に一切(いっさい)の喜びを破壞(はかい)し、身(み)は淺(あさ)ましい姿と變(かわ)つてしまひました。而(しか)し 母(はは)は何人(なにびと/なんぴと)をも憎(にく)む事が出來(でき)ぬのみか  留守中に歸(かえ)り來(きた)る、夫(おっと)や子等(こら)を喜ばさんと谷々山々(たにたに・やまやま)と探(さが)し尋(たず)ねる其(そ)の内(うち)に世(よ)の始(はじめ)より藏(かく)されてある、寶(たから)の山を見出(みいだ)してありました。母は早速(さっそく)其處(そこ)へ兄弟を導き 不思議の三つの鍵(かぎ)を取り出し、智の鍵を兄に 肉の鍵を弟に 母は愛の鍵を持ち 三人(さんにん)の力(ちから)によって寶庫(ほうこ)を開き 中(なか)より三世(さんぜ)を見(み)る眼鏡(めがね)や 不死(ふし)の靈薬(れいやく) それから 如意(にょい)の玉や 三界飛翼(さんがいひよく)の羽根(はね)を得ましたので 早速(さっそく)父の死體(したい)の處(ところ)に來(き)て其の靈薬を呑(の)ますと 不思議(ふしぎ)にも蘇生(そせい)致(いた)しました。 之(こ)れで末永(すえなが)く平和(へいわ)な 日送り(ひおくり)が出來(でき)る事(こと)になりました。 偖(さ)て 之(これ)わ  何(なに)を 物語(ものがた)つて居(い)るのでせう。


昭和十一年四月十五日 印刷   昭和十一年四月二十日 發行  定價金十錢

發行兼編輯・印刷人 
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新興社印刷部