(70)「『真の宗教』となってはじめて、人が救われる」
アナウンサー:今朝も、昨日に続きまして、真理教室の大塚先生にお話を伺ってまいりたいと思います。先生に昨日もお伺いしたんですが、私たちに「宗教」が必要であるにもかかわらず、それに頼っても完全適切に救われない理由について、お話を伺ってまいりたいと思うんですが。
総裁:お釈迦さんやキリストは、信仰の対象物となり、そして大先覚者のように見えておるがその人でさえも、地球の引力に気づかないし、この地球が24時間に1回、自転しておることさえ気づかないで、そうして、無限に偏平(へんぺい)な土地のように思っているような浅薄な考えで、取りたくても取れない、見たくとも見えないこの宇宙の「真理」の本当の実体を、つかむことは絶対不可能である。
しかし、そんなら永遠に不可能かといえば、そうではない。今さっきも言ったように、動物の原始生活から、それから次第次第に進んで、今日(こんにち)の文化をつくっているのである。
今日はもう、お釈迦さんやキリストが夢にも想像にもつかないところまで進んでいて、そうして、物質科学は原子作用のところまで入り込めてきておることは、まあ柿で言えば、有史以前までは渋柿もない。それが有史以来から渋柿が出来、そうして、それが今まさに熟して、完全なものになるところまできてしまっているのである。
その時になってはじめて、本当の「真理」の究極が把握でき、そうして、そこまで入っていってはじめて、真の人類の「指導原理」が、現実と一致した「指導原理」がつかめるのである。
そうして、その時にキリストやお釈迦さんが理想として得られなかったものが、「理想」即「現実」すなわち「実証」となって現れていって、その時にはじめて「真の宗教」となって、そうして、人が救われることになってくる。
アナウンサー:大塚寛一先生、今日も貴重なお話、誠にありがとうございました‼️