皆さんこんにちわ!ロニサランガヤでございます。本ブログでは1936年に上梓され80年間、誰の目にも触れることなく眠っていた人類大救世主大塚寛一先生の秘蔵図書「暗夜の光明」を中心に発信しており、特定の団体にコピーライトのあるものは発信・公開を控えております。

さて、今日は、大変貴重な資料をご紹介させていただきます❗これは、1954年に現代流義太夫金川文楽さんが、歌人柳原白蓮さんを連れ赤坂霊南坂上にあった大塚寛一先生真理教室を訪問時の貴重のお話です❗数回に分けてロニ如是我聞形式(原文そのものではありません)にてご紹介させていただきます‼️

神軍リクルーターロニサランガヤ



◎天皇政治は「自然の法則」に適(かな)っている

大塚寛一先生「日本の国が3000年来続いているのは、皇室があるからなのです。天皇政治ほど自然の法則に適(かな)った政治はないのです。政党がいくつもあるのは大きな間違いであります!」

「天皇政治は他の国ではできない。日本独自の仕組みです。日本は長い間の伝統で国民全部が天皇陛下への信頼を持っておりまして、 国民と為政者の利害が一致している理想的な国柄です」

「他の国のような政治のやり方をすると、強い者が出て勢力を張ると、必ず次の者が出て、引き降ろして上がろうとする。上がった者は自分が落とされまいとして、下の者を束縛してしまう。ところが日本の天皇陛下は一番上で、落とされることがありません。下、国民の喜びは天皇の喜び、天皇の喜びは下、国民の喜びと利害が一致してくるのです。そこに天皇政治の偉大さがあるのです」

「中心になる人に実力があればなおさら結構です。全国から最も優秀な人を大臣にする。優秀な者が総力を挙げて政治をすると、この国の立ち直りはできると考えています!」

「これからは真の宗教から出た政治でなかったらだめです。宗教は一切を総合した指導原理に立つものです。昔から日本の国はそうなんです。祭政一致(さいせいいっち)といって、政治と祭りごとが一体なのは、日本の国だけなんですよ」

「(世界を一つにするには)基礎石を固くしておいて、それから建設に入る。日本は3000年からの伝統的な非常に良い本質を持っているので、それを基礎としていくと世界は一つに纏まります‼️」



「明治陛下がおっしゃっているように、軍人は政治に関与してはならぬというのに、政治家が腐敗して軍人が入っていって、軍人の色と圧力で崩れてしまい、日本は神の道から外れ、わしの警告を無視して戦争に進んだのである。」

さて、この最後のお話について戦前の大塚寛一先生先生の「不戦必勝の建白書」のことについご紹介します。

大東亜戦争―この戦争の評価をめぐり、今、日本の世論は真っ二つに分かれています。「あの戦争は無謀な侵略戦争であった」とする意見と「国を守るために避けられない、自衛の戦いであった」とする意見です。しかし、今から80年前、世界中が大戦争に巻き込まれつつあった時代に「侵略はもちろん、自衛のためにも日本は戦争をする必要はない。戦わずして勝つ『不戦必勝』の道がある」と説かれた人がいました。のちの人類大救世主、真の日本神道を開かれた大塚寛一先生です。昭和14年、中国大陸に渡り支那事変の情勢を視察された大塚先生は、帰国後、政府要人に対する建白書の起草に取りかかられました。こうして作成されたのが大塚先生の建白書『大日本精神』です。昭和14年9月11日に発行された「第一号」では、次のような宣言が発せられました。


「大日本精神」(建白書)
(昭和十四年九月十一日発行)
大日本精神 宣言

真の大日本精神は即ち世界精神であり世界構成の根本原理であって、かつ全宇宙を活動せしめて居(お)る原動力の現われが即ち大日本精神である。故(ゆえ)に世の始めより世の滅したる後と雖(いえど)も不変不滅の大道である。その根元を把握せざる所には真の大日本精神は絶対存在せず、世界も亦(また)之に遵(したが)わねばならぬ。これを世界に宣布すべき大任は日本にのみ課せられたる大使命にして、これを世界に広むるには先(ま)づ日本の一切制度機構を真の大日本精神に復帰せしむべきである。而(しか)して統一完備せる国力を以(もっ)て人類社会の大混乱の解除救済に乗出さねばならぬ。これは一部自己民族の為に他を顧(かえり)みざる欧洲諸国の如き利己本意の精神に非(あら)ず、真に人類の味方となって世の矛盾を伐(た)ち真の大同和による人類最高の目標に到達せしめ万人の欲する摩擦なき世界を出現せんが為、大日本精神による聖戦を茲(ここ)に宣言す。

大塚 寛一
(昭一四、九、一一、於橿原)





大塚先生は日本の国に古来から伝わる「大日本精神」に基づき、まず日本の制度を改めること。そして「大日本精神」を世界中に広めていくことが、世界平和実現への道であると説かれました。大塚先生が建白書を送られた先は、時の内閣の閣僚や陸・海軍の幹部たち、知識人や経済界の中心人物たちでした。例えば賀屋興宣(かやおきのり)。第一次近衛内閣や東条内閣で大蔵大臣を務め、戦時中の経済政策を方向づけた人物です。小林一三(こばやしいちぞう)は阪急電鉄や阪急百貨店など、阪急グループの創業者。第二次近衛内閣では商工大臣を務め、論客としても知られていました。政財界を影で動かす実力者といわれた頭山満(とうやまみつる)。孫文や蔣介石と親交が深く、当時の日本において中国との太いパイプを持っていました。陸軍の大将でありながら、軍部の独走を抑えようとした宇垣一成(うがきかずしげ)は当時、東京・銀座で大塚先生からお話を伺っていたといいます。建白書は日本の政財界を代表する人々に毎回千通以上に渡り、送り続けられました。当時は言論統制が大変厳しい時代でしたが、不思議なことに、大塚先生が弾圧を受けることはまったくありませんでした。大塚先生の「不戦必勝」の道は、今日の観念的な平和論とは異なります。もともと「神の国」としての役割を持つ日本が、戦争を回避し国家として発展すること、さらに、「大日本精神」を広めて世界の国々を指導することを目指されたのです。例えば日独伊三国同盟に関して大塚先生は、ヒトラーの野望をはっきりと見抜いていました。「ドイツは自己の利害以外いかなるものも、犠牲にして、かえりみざる利己主義の権化なり」とし、軍事同盟の締結に強く反対されています。さらに、「日本が厳正に中立を守れば、イギリスや アメリカ、ソ連などの国々も日本の要求に応じるだろう。その結果日本は戦争に巻き込まれず、国力を充実させ、大日本精神を世界に広めていくことが出来る」と説かれています。大塚先生はその時々の状況に応じ、日本が進むべき道を具体的に示されました。しかし、時の指導者たちは大塚先生のご警告に耳を傾けることなく、昭和15年には日独伊三国同盟を結び、昭和16年にはアメリカ・イギリスと戦争を始めてしまいました。大塚先生は、終戦まで建白書を送り続けられましたが、日本の指導者はこれを受け入れず、ついに建国以来初めての大敗をきっしてしまったのです。

歴史に「もし?」はないといわれます。しかしもし、当時の政府が大塚先生のご警告どおりに進んでいたならば、日本は戦争に巻き込まれることなく発展し、今ごろは世界の先頭に立つ最高の国家になっていたかも知れません。

大塚寛一先生の建白書は、外交問題だけでなく、政治・経済・教育から宗教まで幅広い分野に及んでいます。大塚寛一先生が説かれた「大日本精神」は戦後、先生が開教された真の日本神道の教えの中に引き継がれています。私たち日本人と世界人類が生きていく上での人生の羅針盤として、永遠に輝き続けることでしょう。