
(36)「『極楽往生』は実際にあるか」
アナウンサー:先生、今朝は「極楽往生」とよく言われますけれども、その極楽往生が実際にあるものかどうか、これについてお伺いしたいんですが。
総裁:まあ、仏教においてあることはみな事実ありうるですが、でもそれは、なかなか宗教が得ようとして得られない。けれど、多くの中にはそういうなにがあり得られるんですな。ところがそれをみな、磨き方を知らない。知らないからみな、地獄へ逆落(さかお)としになった人でも「極楽往生」したように思って、後に残った人は安心しておられる。
けれど、なかなかそうじゃない。なかなか、本当の極楽往生のできる人は、ちょうど男の精虫(せいちゅう)が何十万あるかわからないのが、この世に出てくるのは3人か4人、5人、非常に稀(まれ)なぐらいです。
そのくらい、この世から死んで「極楽」キリスト教で言う「天国」に昇るということは困難なんです。けれど、そのあり方を知らないから、みな一所懸命信仰しておられる。けれど、磨き方はいたって簡単だ。
どういうふうにやるかというと、野生の動物を見ればわかるが、動物でも虫類にいたるまで真剣なんですよ。定命(じょうみょう)をまっとうして死ぬときは死期がわかる。そして死の不安がなくって、そして亡くなる前には先の状態が映ってくるから、花見遊山(はなみゆさん)に行くような調子で……。
それは死ぬのではなくて、お蚕(かいこ)さんなんか「天の虫」と書いてあるお蚕なんかは、もうお蚕の時代が過ぎると桑を食わないで、藁(わら)の中に入って蛹(さなぎ)になる。脈が止まり、呼吸が止まっても、死ぬのではないのである。
人間でもその通り、定命をまっとうして亡くなるときには、死ぬのではなくて、まあ言えば「定命に入る」ようなものだね。そしてある一定の肉体は、赤ん坊が生まれるときの後産(あとざん)のように置いておいて、そして魂は「超五感(ちょうごかん)」の世界へ入っていく。でもそういうことは、宗教として最高の願うところであるけれど、なかなかそこへ入られないのである。
だから、従来の宗教の理想としていたことが、真理教室ではそれが日々体験できておるのです。
アナウンサー:大塚寛一先生、今日も貴重なお話、誠にありがとうございました‼️







