(34)『因果の法則』について
アナウンサー:先生、今朝はですね、先日は因縁についてお伺いしたんですが、今朝もやはりこの因縁と関係あります「因果」について、具体的な例を挙げて説明していただきたいんですが。
総裁:このなんですな、野球でも玉突きでも何を見ても、全部一つの「因果の法則」によって秩序整然とした原則があるのです。
ちょっと玉突きなんか見ておられても、慣れない素人(しろうと)が玉を突くと、その玉がどっちへころげてゆくやらさっぱりわからない。
玉突きを見てもわかるんですが、慣れない人が突くと玉が思うようにいかずにでたらめにあっちこっちへころげ回っているのであります。
ところが名人が突くと、手前の方に玉があるのにずっと向こうの方へいって当たって、そうして思う通り自由自在に玉が動いている。
けれど、よく考えてみたら、どんな下手な人でもその突き出す力と、棒と、それと玉との当たり場所によって正確にその突き出した通りに玉が走るのであって、偶然に走ることは一つもないのです。
人生の世渡りでもその通り、皆が失敗したり成功したりするのは、玉突きの名人と玉突きの下手な人とがあることと同じです。
そうして、その中にはしかし、名人がうまく当たるのと、下手な人が思うように動かず無軌道に走るようではあるけれども、それは突き出す突き出し方の通りに秩序整然として、どれ一つとして非合理的に走る玉は一つもないわけです。
だから、人生でもその通り。そこに名人のように法則を「因果の法則」をはっきり自覚してそれによって踏み出していく時に、目的と結果が一致してくるわけです。
それを考えずして無軌道に出る時には、終生、頭が上がらなくなる。その原理をこちらの方で説いて、そして皆の心構えが整(ととの)って来る時に、予想外に未(いま)だ前例のない幸福な境涯に入られていく。
だから、この法則を知ってやれば、どういう人でもちょうど昼間、道を歩いて、そして自分の家(うち)へ帰られるのと同じことです。
ところが「神の道」は肉眼では見えない。肉眼の奥にある「心眼」でないと見えない。それは、真理教室にて指導してもらって初めてそれが得られるわけなのです。