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神軍リクルーター ロニサランガヤ
ラジオ放送『今日も楽しく』<大塚寛一真理先生教室> (昭和38年6月~11月30日)
(28)「『術』と『道』について」
アナウンサー:先生、今朝は「術」それから「道」この二つについてお伺いしたいんですが。
総裁:この「術」というのは、為して成る(なしてなる)間が術。「道」に入った達人になってくると、為さずして成る(なさずしてなる)。
だから、宮本武蔵もはじめ剣術から入ってそして剣を使うことの非常な名人になって、最後には剣、「道」の奥義(おうぎ/おくぎ)に入ってしまうと剣の必要がなくなってしまうのである。
だから、西郷(隆盛)なんかもよほど優れた人だから、あの殺伐(さつばつ)な明治維新の中におりながら、ほとんどあの人は剣を使う必要がなかった。
だから、戦争でも、本当の「道」に入って達人になってくると、戦わずして相手が頭を下げて、そしてそこへなびいてくる。医学の方でも、もう道に入れば為さずして成るのである。
為して成る間は、その人が名人にならないと用いる場所の全部に効果があると思い用いて、弊害が起きて、そして過不足によって効果もありまた害にもなる。
それで術の間で一部が効果があるからと思って、何にでも効果があると思い、用いるときにそれが迷信となって、非常に多くの災いを起こしてくる。
だから「術」為して成る間は過不足によって功罪が分かれてくる。それを、全面に効果があると思ってやると迷信に陥って、宗教にしても医学にしてもどの方面にしても、かえって災いをなすことが多いのである。
けれども、本当の「道」に入ったものは、為さずして成るときには、全部のものが完全に効果を表してくる。そこに大きな違いがあるのであります。
アナウンサー:大塚寛一先生、今日も貴重なお話、誠にありがとうございました‼️