皆さんこんにちわ!ロニサランガヤでございます。本ブログでは1936年に上梓され80年間、誰の目にも触れることなく眠っていた人類大救世主大塚寛一先生の秘蔵図書「暗夜の光明」を中心に発信しており、特定の団体にコピーライトのあるものは発信・公開を控えております。大塚寛一先生は、実は昭和38年(1963年)当時、半年間だけ、ラジオ番組にご登場され「今日も楽しく、大塚寛一先生真理教室」なる題目にて日本人に貴重なお話をされておられました。これは、その時の貴重な録音テープお越しでございます。一部、口頭表現にて、わかりにくい処は表記を変更しておりますが、すでに対外的に一般公開されたものということで、ロニのブログ読者の皆様にも公開させていただきます。「心の眼」で拝読願います。尚、本シリーズは全部で76回となります。(ちなみに「暗夜の光明」は、全48ページを23回に分けて皆様に発信しております。)
神軍リクルーター ロニサランガヤ
 


ラジオ放送『今日も楽しく』<大塚寛一真理先生教室> (昭和38年6月~11月30日)

 

(28)「『術』と『道』について」


アナウンサー:先生、今朝は「術」それから「道」この二つについてお伺いしたいんですが。


総裁:この「術」というのは、為して成る(なしてなる)間が術。「道」に入った達人になってくると、為さずして成る(なさずしてなる)。


だから、宮本武蔵もはじめ剣術から入ってそして剣を使うことの非常な名人になって、最後には剣、「道」の奥義(おうぎ/おくぎ)に入ってしまうと剣の必要がなくなってしまうのである。


だから、西郷(隆盛)なんかもよほど優れた人だから、あの殺伐(さつばつ)な明治維新の中におりながら、ほとんどあの人は剣を使う必要がなかった。


だから、戦争でも、本当の「道」に入って達人になってくると、戦わずして相手が頭を下げて、そしてそこへなびいてくる。医学の方でも、もう道に入れば為さずして成るのである。


為して成る間は、その人が名人にならないと用いる場所の全部に効果があると思い用いて、弊害が起きて、そして過不足によって効果もありまた害にもなる。


それで術の間で一部が効果があるからと思って、何にでも効果があると思い、用いるときにそれが迷信となって、非常に多くの災いを起こしてくる。


だから「術」為して成る間は過不足によって功罪が分かれてくる。それを、全面に効果があると思ってやると迷信に陥って、宗教にしても医学にしてもどの方面にしても、かえって災いをなすことが多いのである。


けれども、本当の「道」に入ったものは、為さずして成るときには、全部のものが完全に効果を表してくる。そこに大きな違いがあるのであります。


アナウンサー:大塚寛一先生、今日も貴重なお話、誠にありがとうございました‼️