昭和43年6月12日発足「日本精神復興促進会」発足当時の主な賛助会員

 

(肩書きは歴任のもの)

 伊藤宗一郎 元衆議院議長

 稲葉修  元法務大臣・文部大臣

 潔    元奈良女子大学名誉教授

 小渕恵三   元総理大臣・外務大臣・官房長官

 劔木亨弘   元文部大臣

 郡 裕一 元法務大臣・郵政大臣・自治庁長官

 迫水久常   元経企庁長官・郵政大臣

 菅原通済   元財団法人・三悪追放協会会長

 田中栄一   元警視総監・衆院議員

 田中卓     皇學館大学名誉教授

 藤山愛一郎 元外務大臣・経企庁長官

 堀津圭佑   元弘前大学教授

 武藤嘉文  元外務大臣・通産大臣・農水大臣

その他、国会議員計42名・有識者多数


神軍リクルーターロニサランガヤ


『日本精神復興促進会』設立に向けて

大塚寛一先生が政財界の要人や文化人、著名人を前に御講演されました。戦争、政治、教育、病気、質疑応答など多岐にわたるお話でしたが、下記がその後の参加者からの質問に大塚寛一先生が答えられました。


ー 昭和43年4月11日 パレスホテルにて ー



聴衆の質問に答えられた大塚寛一先生!
質問者1 先ほどの「日本精神」というものをもう1回お話しください。

「日本精神」とは自然に出来上がったものである。国家社会でも、世界組織にしても、何でも世の中の事を合理的にしようと思うと、自然の姿を見るのが一番よく分かる。皆さんの体の組織を究極まで突き詰めていけば、その中にきちんとした合理性がある。一番理想的に出来上がっているのが皆さんの体だ。一輪の花を見ても分かる。真ん中が雌しべだとすれば、雄しべがその周辺にあり、さらに花弁があり、萼(がく)があって、雌しべを囲んでいる。一軒の家でも、お爺さんやお婆さんが中心になって、子どもたち、娘や息子が寄って、そして真ん中を守るように出来上がっている。日本は皇室が中心になって、そしてその周囲に国民がある。これが初めからずっと続いているのは日本だけだ。そこに国家と国民との利害が一致する。お爺さんやお婆さんと息子の利害が一致する。利害が一致しないというのは、よそから間違った思想が入り込んで狂いを生じているのだ。ものは言葉をもって表現できるものと表現できないものと、二つがある。肉体のほうは物質的に試験管や物差し等で測れる。ところが、一方の精神と生命は測っても測れない。試験管でも捉えることができない。そういうものが、陰陽両方の均衡が取れて、生存できている。だから人間の体ひとつはっきり掴(つか)むことができれば、国家の政治など問題でない。労資などを取ってみても、頭が資本家なら足は労働者だ。人間の体は均衡がちゃんと取れている。だから、そのものそのものに応じた立場に満足すれば、働いたら働いただけちゃんと配給が来るようになっている。手足ひとつ動かしたら、それだけの養分が行き渡る。だから資本家と労働者を人間の体の組織のように組み立てていけば、何ひとつ文句なしに出来上がる。けれど人間の組織というのはみな利己主義になるから、資本家の中には下の方へ栄養を与えるのを渋る者がいる。そんな会社は潰(つぶ)れる。労資が対立、争いをしている情勢だと、労働者は「資本家と労働者は対等だ」と叫んで、資本家に「わしに一生楽をさせてくれ」などと言われたのなら、「お前のような奴」と言って資本家の頭を長靴の中に入れて歩かせ、自動車に轢(ひ)き潰されてしまうだろう。理法に即応していった会社は栄え、家も栄えて、国は富んでいく。



質問者2 なぜ物質だけ進んで、精神との均衡が取れないのですか。

 皆さんは肉眼でものを見ているが、肉眼ではものの表面しか分からない。「心眼が開く」と言っても、その心眼はいろいろの因縁によって歪(ゆが)みが生じたり、濁(にご)ったりしているから、良いと思ったことが間違っている。縄と間違えて毒蛇を握っているようなものだ。その証拠に、皆さんがやっていることの目的と結果とが違ってきてしまう。本当に心眼が開いてものの真相が分かってくれば、目的と結果が一致すべきものだ。だから動物は、人間よりもはるかに理想的に生存している。たくさんの動物がいるが、胃袋を切られたり、横腹へ人工肛門を付けたり、そんなことをしている動物はひとつもない。まして富の上にもいろいろの問題を起こしているのは人間だけだ。そのように知恵が誤り用いられているのは、因縁によって心の鏡が歪(いびつ)になり、心眼が狂っているからだ。物を見ている人が色盲にかかっているのと同じことである。

質問者――――人間というものの組織、機能が、実に良く出来ているので、毎日神に感謝しています。そういう面から見て、お話はよく分かります。

大塚寛一先生/ よく分かるというのは当たり前のことだ。ただ、普通の人は当たり前のことを見逃している。皆さんにとって世の中で一番大切なものは金か、ダイヤか・・・一番大切なものを皆忘れている。「奇蹟」というと、たまにあるもののように思っているけれど、花一輪咲いても偉大な奇蹟である。卵が20日ほど温められて、半流動体のものから羽が生え、クチバシが出て歩き出す、これは奇蹟だ。歯が生えてくる、爪(つめ)が生える、髭(ひげ)が生えてくるのも、目が見えるのも、みな奇蹟だ。奇蹟でないものはひとつもない。慣れてしまって鈍感になって、誰もがそれを見逃しているが、世の中は奇蹟によって充満している。だから人間は、知恵よりも自然の姿を見て、それに対して素直に自分を見つめていく時に、最も良い道を得る。
 


質問者3 全世界における自動車の無制限な生産によって、人が殺されている。現代の交通戦争をどう考えますか。

 今日は車の1輪を失って、芯棒(しんぼう)を地べたに引きずって走っているようなものだから、それが起きている。原因はどこにあるか。物質科学文化ばかりで精神文化が伴っていないところに今日の災いがある(聴衆より拍手)。皆は自動車が大変便利だと思っているけれど、ますます生存競争を強めているだけだ。一方だけが自動車を使っているのならよろしいが、一方が使うと、金持ちがよりいいのを使
う。日本ができれば外国もできる。よそがやるからこっちも、それが競争になってしまう。その争いに没頭する。それは精神が足りないからだ。文化が発達する根本にある精神指導原理を失っているからだ。今の政府は、税金を取れるから良いということか、どんどん車を増やして事故を起こして、運転手ばかり罰している。車を増やしていたらそれだけ良くなるか。その次がそれ以上の物を売り出しているから、いつまでも競争していって、昔の弥次喜多道中(やじきた・どうちゅう)の当時と大差ないまま災いのみが重なってきている。それは精神的方面が遅れているからだ。その均衡が取れてくれば、これはみな解消してしまう。そして大勢死ぬと言っても、それはただ時間の違いだ。早く死ぬか遅く死ぬかの差で、いずれは皆その関門を通
らねばならない。だから、いかに運営していくかということ。今日の文化の発達に応じて精神面を育てて発達していけば、交通戦争はひとりでに解消してくる。

質問者4 大塚寛一先生の御力の発揮は、気合いをお放ちになるのですか。

 最後の究極の一歩になると、所作(しょさ)や一切のものは必要なくなる。一切のものが本源の姿になり、霊体霊子(れいたいれいし)になって一つのものになる。物が運動を停止すると、三種の神器の鏡の姿になる。有って無く、無くて有るところ、そこまで行くと、静動一如(せいどういちにょ)有無一如(うむいちにょ)になって、ここで思うことがどこまでも通じていく。だからわしの開いた真の日本神道では加持祈祷(かじきとう)などの類(たぐい)は一切しない。そのようなことを行っても、ハワイやアメリカやブラジル方面の信者は理解する耳を持っていないから分からない。かえって人間よりも動物のほうが敏感だ。わしが電車に乗ったりバスに乗ったりしても、隣の人は一向に何も気がつかない。ところが、付近の犬や猫や動物はわしの力を感知(かんち)しているから、病気になるとやって来る。1週間くらい日参して、良くなったらまた帰っていく。いろいろの所作によってやることを「術」と言う。術というものは限界がある。そして「合う」「合わない」によって功罪が分かれてくる。術では必ず全部が良くなるとは言われない。度を過ぎ、用い方を誤ると、空気が口を塞(ふさ)いでいて、ポンプでそれ以上に空気を入れると肺が破裂(はれつ)するように、禍(わざわい)を起こす。けれど「神の道」「神の力」というものは過不足なしに通じていくから間違いが起きない。為さずして成り、無為にして化す。だから何事でも、加持祈祷などの類は一切用いないのである。

現在の組織本部は下記です❗
nispi.jp/
一般社団法人 日本精神復興促進会

2020/2/19 -「日本精神」には、世界平和のヒントがある ー 一般社団法人日本精神復興促進会.
ときめきが続く、お花の定期便bloomee(ブルーミー)

 

神軍リクルーター ロニサランガヤ
(下記は、信者ではない友人マイケル様のブログから引用でございます。尚、ロニは団体への勧誘は致しておりませんので、あしからず。ご自分でご判断願います。神界佇立の大塚寛一先生に貴方の祈りが届けば、奇蹟現象を体験させていただけます。実証を見てから、ご判断願います。)
http://blog.livedoor.jp/mysticart/archives/1820026.html