座談会『霊力は医学を超越する』大塚寛一先生・国恵先生を囲んで・・・・


皆さんこんにちわ!今から57年前に、人類大救世主大塚寛一先生が座談会で対談された貴重なお話でございます。ロニは、団体への勧誘はしておりませんので、団体名はmaskingさせていただきます❗


(『東京評論』 昭和三十八年一月一日号)より

★自然現象のすべてを対象に


大塚寛一先生:現在は物質科学が非常に進歩したために凡てに専門化してきている。わしは野人ですから、専門的でなくて、体験のうちから来るので、宗教法人として政府に届けを出してはあるが、宗教は内部に包含されているにすぎないのであって、そのほんの一部分です。大体わしらが過去やってきたのは、現象そのものを見つめていって、その中に自然、宗教も含まれてくる。また政治も経済も、医学等も含まれてきている。それで、人生で最も重大なのは生まれること、それと生きて活動して最後に亡くなる、死というのが人類にとって、また宗教の上で眼目とするところです。仏教で言う「大安楽往生」、キリスト教で言う「昇天」、それが宗教の最高極致、いかなる人もそれを通過しなければならない共通の大事な点である。それがわしのところでは、全部の帰依者が最高極致を得られるわけですから、それで宗教として立った。


人が最も大事なものは、世界的人類の悩みもあるけれども、個人にとっては病とかいろいろの苦しみ、それが一番大きい。まずその方から着手していって、そうして一人でも多く幸福に入られることが手っ取り早い道で、そうしてできたのが真の日本神道なんです。わしらは野人ですから、専門というのは一つもない。ですから医学の方から見たら医学のように見えるかもわからない。宗教の方から見たら宗教のように見えるかもわからない。


今度の大東亜戦争でも負けるということは原則の上から言って決まっていた。だから戦時中なんかも戦争は絶対始めてはならない。ドイツやイタリアが敗れるのは日にちの問題だと云って、要路の人々に毎月二千通づつの手紙を送った。それは物理的な原則でちゃんと出てくるんです。人間の運命も、言えば一つの原則があって、その原理・法則に当てはめて、わしらは見ておる。それに当てはめていくと不自然が自然に戻ってくるわけです。だから本当の真理というものは、過去も現在も未来も、どちらの方にも共通して働いているわけです。それが政治にも経済にもまた病にも現われてくる。だから宗教のように見えるけれども宗教でもあり・・・医学でもあり。前例がないからちょっと皆さんに説明が非常に困難です。まず初めから云うと、生まれるときに非常に楽に生まれる。そうして生れてくると、へその緒がみな太い。お産が四十五分以上かかる人はほとんどない。そして生まれてくる者の知能が非常にいい、からだがよくて優良児が出てくる。それがまず最初です。


★不自然が及ぼす悪影響:

大塚寛一先生:それからいろいろの難病がほとんどとれてしまう。奇型児までが。だからわしらから見ると、病にしても不幸にしても一つの法則があって、その法則にどちらか片寄っている、片寄っておるのが正しい軌道に戻ってくると、内在しておる偉大な生命力が働き出してきて、そうして自然の姿に戻ってくるんです。それだから、人為を加えるということが一つもない。現在医学で問題になっておるガンにしても、それから脳腫瘍、脱疽、喘息、全部治ってしまうんです。人為を加えるんじゃなくて、不自然が自然の姿に戻れば、内在しておるいろいろな力が働き出してくるから、本然の姿に戻るわけです。ではその生命力がどのくらい大きな力を持っているかというと、何百倍にも拡大しなければ見えない精虫が婦人の体内に入って、わずか十カ月の間にりっぱな人間ができ上がるだけの偉大な力がある。それがまともに働き出してくると、奇型児でも、早い遅いの差はあるけれども治る。なおさら肉の病気なんかは非常に早く治る。性格まで変わる。わしらから見ると、性格のよしあしはその人が悪いのでなくて、生理作用が不自然な状態に置かれて、そうしてその人は生理的欠陥を生じている。その欠陥がとれて正しい状態に戻って、性格が変わってくる。ちょうど割れ鐘を叩くのと、ひびのない鐘を叩くのと音が違うように、生命力が旺盛になって、正しい状態に戻るといい音が出てくるんです。ひびの入ったものをなんぼ外側から教育しよう、説教しても、音は出ない様に性格もよくならない。それは見えないけれども、内在した力が働き出してくると、自然に健全な音が出てくるんです。

 


★生命力をフルに発揮:

大塚寛一先生:それからガンのような非常に腐敗して悪臭を放っている病でも、二、三回来ると生命力が菌を押えて了うから、先づ臭いがなくなって了う。小児麻痺なんかの足の冷たいのや冷え症の人でも来ると、早い人はその日にぬくうなって了う。もう湯たんぽでからだ全体をぬくめないと冷たいような人が、十回来てぬくうならぬという人はほとんどない。温かくなるのは生命力が旺盛に働き出した証拠で、それがどんどん新陳代謝して小児麻痺や冷え症が治ってくる。脳水症のような大きな頭でも、それらの不純物がなくなって頭が縮まってきて、普通の頭に戻るんです。それだから何が偉大かと言うても、神から与えられておる内在しておる生命力を最高度に発揮する以外に最高の治療方法は他に見当たらない。喘息のようなものでしたら、千人が千人一人残らず完全に、極めて短期間に良くなる。また寿命が来て亡くなるときは、七転八倒して苦しんでおるというガンの人でも、痛みがとまって、最後には大安楽往生して、からだが硬直しない。顔は生前よりも美しくなる。そうして十人のうち七、八人は一週間前くらいに、早い人は二カ月も前から死期を予知できる。


■死後硬直はない:

大塚寛一先生:人間は悪因縁・罪障を持っていると心の鏡が曇って死期を感じない。野生の動物はみな死期を知っている。人間でも悪因縁・罪障・煩悩を断ってきれいなからだになってくるとそれがわかる。そうして亡くなるときに、からだが硬直しない。それだから、いかに人間の内部に潜在しておる生命力が偉大なものかということがわかる。それは、想像を絶した偉大な力を持っている。しかし、惜しいことに、それを見落としているんです。そうして自分の病というものが別にあるように思っているが、事実はそうではない。ちょうど自動車の運転手が居眠りしたり、酔うてハンドルを切り違えておるようなもので、まともに走れる自動車が事故を起こしている。だからハンドルを引き戻してやったらよい。人間のつくったものは外部から修理しなければならないけれども、神のつくったものは内在している生命力が修理工としてついておるわけです。その修理工を忘れてしまっておるのが、現在の人類の大きな盲点です。それは経済の方も政治の方も、国際関係でも全部一つですな。教育にしてもみな一つ、真理の原則というのは時代と場所に関係がなく、どの方面へ持っていっても融通無碍(ゆうずうげ)、共通して当てはまる。どれにでも当てはまっていって、そうして差し障りないものでなかったら、真理とは言われない。真理の究極に達したなら、過去も現在も未来も同時に通じるんですよ。波が水平線を中心にして上下波動を起こしておる、その水平線が真理になっておるように、一切真理の一つの軌道があるんです。


それに順ずるか逆するか、その順逆によって初めて、善悪の差がつくんです。順ずるときは善であって、反するときが悪なんです。それから、善悪の解釈が戦後と戦前と狂ってしまっているんですけれども、ほんとうの善悪というのは時代と場所に関係なく、そうして肉体の上にでも、経済・政治の上にでも、どの方面に行っても、共通して働く。全部に共通して初めて、それが真理ということになる。わしらの体験によると、そういうふうになる。それだから今度の戦争もはっきりしておるんです。


■理に応じた思想:

大塚寛一先生:ソ連に共産主義が出るのは当然です。またアメリカに民主主義が現われるのも自然の必要に応じて発達しておる。だから日本は日本の場所と環境に応じた指導原理を自ら建てなければならない。ところが人によると共産主義をいろいろ言う、民主主義をいろいろ言うけれども、発生した原因があるんですな。原因に即応して成長しておるわけです。それだからソ連に共産主義は結構だし、アメリカには民主主義が結構だ。日本は日本に適した思想を持たなければならない。もしなんでも模倣して、魚が牛や馬のまねをして丘へ上がると動きがとれなくなる。牛は牛でよし、馬は馬でよし、魚は魚でよし、自己の立場と環境に即応して、合理的に進出しなければならない。それだから同じ病でも甲の人の病と乙の人の病と違う。仮に胃病にしても、食べ過ぎて胃を悪くしておる人、過労によって胃を悪くしている人、また心配のために胃を悪くしている人、いろいろある。そこの虎の門なら虎の門で道に迷う。同じ迷うておっても出発点と目的が違うておる。まず原因を知り、そうして目的を知って初めて、その人が目的のところに達せられる。だから病を見たら必ずこれは何で起きているか、それを見破って、善に向かっていく。それだから、わしなんか自然現象ばかり見つめておったですな。


■精神こそ大切:

大塚寛一先生:今日の文化を人間がつくったように思うておるけれども、わしから見ると、これは神の摂理、時の力ですな。今一般の人とわしらと考えが違うのは、物質科学というものが非常に進んでおるけれども精神面が忘れられておる。だから精神文化というものが非常に遅れてしまっておる。遅れているんでなくて、前よりか退歩しているかもしれない。だから物質文化と精神文化の両輪が均衡がとれて初めて人類に真の理想文化が生まれ、幸福が得られる。ところが一般の若い方は精神面を忘れておられるんです。精神がいかに偉大であるかということは、文化が進まぬでも精神が進んでくると平和とか幸福が得られる。文化が進むほど人間は精神が伴うて進んでいかなかったら、上等の自動車で居眠り運転やお酒に酔うて運転するようなもので、それなら文化が進まぬ方がかえって安全です。国の興亡盛衰はみんな精神力です。資源があり、土地が広いから必ずその国が強い、大きな設備があり、資本があるからその会社が発展するかというと決してそうでない。松下幸之助さんのように、またジンギスカンなんか、あの蒙古の原野に産声(うぶごえ)をあげて、世界の七割を征服した。これは武器じゃなく精神力なんです。原水爆なんかつくったのも人間の内部にある精神力の現われです。

 


質問者: 必要な 〝全体を見る〟 能力

(物質科学が進んで専門化されたために、全体を見る能力が発達したんですね。)



大塚寛一先生:わしらが家を建てるんでも、専門技術家とすぐれた棟梁の下に初めて均衡のとれた立派な建築ができ上がる。一般社会でもそうだと思うんです。たとえば学問も専門々々といって、更に棟梁に相当する総合した一つの学問が必要です。それが東洋の精神文化であって、それに西洋の現在の物質文化が伴って初めて理想文化が生まれる。


★(真の日本神道というのは、病気だけを取り上げているんですか?)


大塚寛一先生:そうは言うていないはずです。ただ、病気は一番数が多くて手近い。そして最前言うたように、定命を完うし亡くなるときは、例外なく病が癒えて大安楽往生です。


(あらゆる病がなくなれば、人間は死がなくなりますが・・・)


大塚寛一先生:生あるものに死があるのは原則なんですよ。生がなくなると死がなくなってくる。もし病がなくなれば人間はいつまでも生きられるんなら、畑にある麦や米が三年も四年も五年も十年も青々としている。しかし盛衰は実在の原理です。その原理に反して生じるものは一つもない。ちょうど柿でも麦でも米でも同じですよ。人間だけが例外というわけにいかない自然の法則というものがちゃんと決まっている。


★(病死と自然死、病気と健康の境はぼんやりして一線を引くことができませんが・・・)


大塚寛一先生:最善を尽しての寿命を定命とみなすんですな。全力を尽して、寿命とせなんだらいけない。人間が千年も万年も生きられない、というのは既定の事実で、夜と昼の中間というものがあるように、いよいよとなってくると、割り切っておるつもりでいるけれども、突っ込んでいけば割り切れないものが必ずある。言葉というのはお互いの考えを交換する符牒だから、それを細かく言っていけば話ができなくなるから、大ざっぱに通じさえすればいいんで、厳密にやっていけば直線は絶対に引けないですよ。点も絶対に打てない。けれどもそんなことを言っていたら言えなくなるんで、これは昼ですよ、これは夜ですよというんで話さなければ、細かく言うておったんでは一言も口がきけなくなる。


★真理は万有に通ず:(人間が働いていない「自然」と、人間が働いている「歴史」、そこには別々の法則があるのでしょうか?)


大塚寛一先生:法則は一つです。ちょうど波の姿を記録してみると、波の中には一本貫いておる中心の水平線がある、それから上下に波動を起こしている。歴史というものは常に固定していないんですな。大きい波乱をしたり平和になったりして、ちょうど海の水に水平線があるように、森羅万象、みな一つの真理・鉄則があって、目に見えないけれども、それを中心として上下に動いておる。必ず、下がっただけ上がる。