「大日本精神」

(建白書)昭和十五年七月六日 東京日日新聞に掲載

■大日本精神

一、法は人の作る可きものに非(あら)ず、人が道を現わすを真の法と言ふ

一、法は人の正しき自由を発揮せしむべきであり、そこに国家最高の発展がある。ただし、人は放縦と束縛に陥る欠点あり。故に統制の要あり

一、法は簡単にして厳なれ。複雑にして厳なれば民萎縮して国衰微す

一、法複雑にして厳ならざれば、法の威信地に堕ち、悪人跋扈(ばっこ)して善
人隠る!


②世界の大転換に処する国民の覚悟

古今未曽有の大転換期に直面したとは云へ、この難局を打破すべき国家の為政者が、無益なる形式に走り、一刻を争ふ貴重なる時間を空費することは実に憂ふべき限りである。我れ等は、解党も結党も何等関知する処にあらず、一人一党、自己の信ずるところを披瀝(ひれき)して、冷静なる判断の許(もと)に総合的、最善の策を樹てられんことを望む。その中に傑出せる大思想の許にでき上がる超党的大団結こそ国民挙げて希望するところである。しかし、党利や利己的であってはならぬ。然るに明年度の選挙の不都合上、時局に名を借り大団結を叫び、又、自党の分裂につぐ動揺と摩擦を逃れんため、純正なる新党樹立の許に参加を企てる如きは再び動揺拡大と為政者と国民の離反する恐れあるを憂ふ。

 国民よ、腐敗せし古酒を、新器に盛って代用酒などとすすむとも飲むなかれ、新規の器より名の有無にかかはらず上酒を撰べ、改心せぬ悪人が改名し来るより改名せずとも改心を望むものである。その上にて、国政に当たる時は明治時代のごとく政党を超越し、日清日露両役のごとく、挙国一致ができるのである。独伊の一国一党は一個の種が大地に芽生へ次第に成長し大樹のごとく一国一党まで進展したのである。今日国内で企図せる薪束(まきたば)のごとき各党の寄せ集め的一貫したる生命無き一国一党では断じてなし。生命なき集団は、一貫した活動力なく、尚更、現状を看破し即応すること難し。ゆゑに止(や)むなく他の皮相的今日を見て、明日のために模倣するも、変化激しき今日と、明日は、千万里の開きあり、古言に曰く、先んずれば人を制す、先んぜざれば人に乗ぜらる、何ぞ模倣して先んずることを得んや、いわんや本物と模倣せしその物自体に、大なる相違あるに於ておや。吾れ等の渇望する処は、愛国の情熱に燃え、その中より生れ出づる大磁石力の出現である。万物皆、陰陽二物を蔵するも、常に調和して、無きが如し、しかれども一度び、大磁石力の出現せんか忽(たちま)ち国民全般に渉(わた)り、鉄粉の集るごとく、陰陽整然として、立ち処に大活動力化し、その時初めて、真の一国一団たる国民政治ができ上がり、経済思想に一切を超越したる善政の許にこの難局が突破できるのである。今日のごとく世界の大転換期に直面せる我が日本にとっては、国内の整理完備するとも、なかなかこの難関は従来のごとく容易に突破する事は困難である。然るに、内政、今日のごとく複雑化せる時代無く、また一方、支那との重大事件を引き起し、何時果つべくもなし、幸ひにして武力的事件は遠からず治まるとするも、経済的首尾を結ぶ事、これまた事件以上に困難である。然るに欧州の情勢は刻一刻驚異進展をなし、いついかなる転換をなすやも知れぬこの際、刹那(せつな)的政策に時を逸する事は、座して怒濤(どとう)を迎ふるに如(し)かず、と云って、また、盲動は、今日に勝る危険なし、この急転せんとする危局の一歩は、死活存亡の分かるる重大岐路にして明治維新のごとく、国内にての勝敗にあらず、国家存亡の秋(とき)にして、また、全アジア人の起伏の存するところ、近くは諸君の近親父子兄弟始め、高貴の方々までが酷暑百数十度酷寒零下四十余度の奥地深く、悪水疾病を冒し言語に絶する悪戦苦闘を続けつつあり。万一善良なる為政者に隠れて、自己の権勢を悪用し、貪欲に眼暗み、金甌無欠(きんおうむけつ)のわが国体を顧みず、スターリンの夢を描きつつあらゆる角度より自己の勢力を拡大せんがため、各相の機構を遠謀の許に攪乱(かくらん)し、国家を益々難局に陥らしむる者ありとすれば、いかに手段や形式を換ふるとも、今日の悪弊は、絶対的除去すること難し。かくのごとき混乱に陥らしむる者は、実に憎むべく天人共に許すべからず。大逆賊たるは、もちろん、即刻是正せざるべからず。特に今日は、世界の意表に出でざれば国民総意の政治に依るも難局打破、容易ならず。此の古今未曽有の国家存亡の重大時機に際し、応召して戦場に身命を賭するとともに、進んで国難打破の憂国の青年出でて、国内の矛盾と悪弊を一掃せよ。然らざれば多くの英霊と巨費を投じ、国民の総努力を水泡に帰せしめ、光輝ある我が国を滅亡の深淵に陥らしむる恐れあり。この危急存亡の秋に際し、一億国民の多くは、太平の堕眠未だ覚めず、此の難局を対岸視し、利己的寸前の小利に没頭するは、大堤防爆破前夜の蟻労に過ぎず。目覚めて而して立ち上り、一大国民運動を惓(ま)き起し、此の難関を突破し、異国の空に苦闘しつつある将兵を一人たりとも無意義の犠牲たらしむるなかれ。国家は陛下の国家にして、国民は陛下の赤子なり。一部特権階級にのみ委(まか)せて、此の難局を顧みざるは、その無責任の罪、最も重く、自から蒙らざるべからず。





  時代に適応すべき教育の是正

 国民の教育は、国家の盛衰に重大なる影響あり。その教育にも種々あるが大別すれば、学校教育、社会教育、国家教育の三種類あり。明治初年までは、学校教育よりも歌舞音曲により国民の老若男女の別なく、終身教育をなし、一般平民に至るまで日本の武士道精神を養成せしめ、勧善懲悪により人道を誤らしめざるやう教育し来りしが、明治初年より、次第に学校教育に変調し社会教育設備は大部分破壊され、それに引き換へ西洋の利己主義的思想は文学に、映画に、あらゆる機関を通じて浸入し来り、日本精神は根底より腐敗せしめられ、その残れる学校教育も、その根本教育の精神を離るることは、日増(ひまし)にその度を増しつつあるは、実に寒心に堪へざるなり。学校教育は、特に、人間の根本教育が必要なるに拘らず、枝葉末節に走り、小児の発育を害すること甚だし。とくに最近の入学試験方法の如きは、全く常識では判断できぬ点が多い。先(さ)きに大阪には安井知事当時、国史一本鎗(やり)を突き出したが武士と見え、引く事も早かったが、その都度、迷惑するのは児童と父兄であり、それだけ国家の損失となる。国史一本鎗とはいへ、暗記力だけで何の思考力もいらぬ、然し、人は最も必要なのは創造力である。世の進歩発達は、創造力に俟つ外ない、また万物の霊長と誇る人間も、創造力を省きては、全く資格なし、只の記憶力だけに於ては、人間より勝りたる動物が他にも多く、手近かなる犬の如きも、なかなか人間以上に働く場合が多い。また、創造力者の中には、至って記憶力の悪い者が沢山ある。であるから記憶力のある者にとっては誠に結構であるが、他の九人は実に迷惑千万である。また、昨年より学科試験廃止是れ亦我れ我れの常識で判断ができぬ。成程草案された方は、高島嘉衛門以上、人心看破力ある人に違ひあるまいが、一般教師に、その役割をさせることは過重すぎる。それを専門に職業としてゐる警察官や裁判官でも、なかなか人心看破は困難である。エヂソンは学校に始め入学する時、低能視され断られ、慈母の教育により異彩を世界に放った。また、体力本位もどうかと思ふ。横綱を大臣の椅子(いす)に据えても、国策は、樹てぬ。十貫そこそこの犬養は、憲政の神と謳はれたが、小兵のためか、政友に身売りしたが、廿余貫の大兵が、その下に集まり、拝聴してゐるのは、一層、格好が悪い。そこに行くと、楠公は賢い。一芸に秀(ひいで)た者は何によらず召し抱へて、そして適材適所に使ふた点は大いに教へられる点がある。今日の教育も各その天分を充分発揮せしむることが大切だ。一人の英雄を育て上げることは、百の豪傑が附属してでき上がる。一個の超人を生み出せば、忽ち一国が転換する。然るに、今日のごとき方法では、左甚五郎も落第坊主となり世の下積(したづみ)となりたるやも知れず、西郷が今日このごろ生れてゐたなら、機械や化学工業方面の技術者で了(おわ)るやも知れず、神代杉の如く、伸びんとする天才も現今のごとき単一教育により伸びる芯(しん)を止められ、不要の所に曲げられ盆栽化せざるを得ない。その結果、明治初年以来今日の国民は実に気魄のないこと夥(おびただ)しい。斯(か)くの如き誤れる指導方法は一時(いっとき)も早く改めねばならぬ。最も必要な根本教育は、年数に於て四、五年あれば充分である。今日の如く多額の経費も要らぬ。却(かえ)って学校生活と家庭生活の上に大なる開きのあることは思想上面白くない。吉田松陰は、茅(かや)小屋の中で、然も短期間に明治の志士を養成している。また、貧家に多く孝子出で、富豪に放蕩(ほうとう)者多く、外観立派な学校ほど赤化し易い。また、人間は身長の伸びると共に知能も発達し、充分活動ができる貴重な人生を社会より隔離させ、温床の中に黴(かび)らすこと国家的不経済である。中には三十以上も学位や免状のために、活動期を逸してゐるが、かくのごとき教育を受けてゐたならば、ナポレオンも歴史のページに記録されなかったかも知れず、ヒットラーやムッソリーニも形式的教育法によらず根本精神を把握せしがため、短期間に老若男女の別なく教育を施し、今日あるを得た。是れが即ち国家教育である。此の重大危機に直面せる際、迂遠(うえん)なる科目は即刻省除し、学童の負担と国民経費を軽減し、真に国家の柱石たらしむる教育を施さねばならぬ。


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