皆様、こんにちわ!ロニサランガヤでございます‼️

今日の人類大救世主大塚寛一先生の教えロニ如是我聞はこれでございます‼️

神軍リクルーターロニサランガヤ


  

 

★奇蹟というものは記録や伝説にたまにはあるが、ほとんどの人がそれを認めないくらい稀なことである。


ところがわしに帰依するものには日々奇蹟が連続して起きている。それは、物事の原理を知って、「自然の法則」すなわち「神の道」に順応せしめたなら、全部の人を目的通りに善導でき、想像を絶した奇蹟が現われてくるのである。


しかし「神の道」は、五感を以てとらえることができない。今の物質科学文化は、五感によってものを判断している文化であるから、その反面にある無形の精神生命の科学原理が欠けており、この変則文化が進歩するほど、人間はますます混乱状態に陥って、今日ほど人類生存上恐ろしい危機に直面した時代はない。


今の人間は、病の真の原因を知らない。だから五感の範囲内で治療している所へ頼って行くが、その頼られた者も、五感によって判断しているから、ガン一つさえ治し得ない。日本だけでも四分間に一人、世界では十五秒に一人、四年間では欧州大戦の死亡者よりも多くの人がガンで亡くなっている。それは病の起こる根本原因を知らないからである。人は神によって創られているから本来は誰もが健康で幸福に暮らし、与えられた天命を全うすると次には超五感の世界へ転生するように仕組まれている。それが悪因縁の作用により、肉眼の奥にあってものの善悪を区別する「心の鏡」が歪んだり曇ったり、または色がついたりして錯覚を起こし判断を誤る。良くしたいと努力しながら良くなれない原因はそこにある。


ところがわしに帰依して「ご神語」朝晩奉唱し、素直に信仰していると、その心の鏡の歪みや曇りがとれ、明鏡のようになって、全てのものが正確に映るから判断が正しくなり、そして運命が好転する。


外観的には、悪因縁により脳の組織が圧迫されて、頭の形が変則になっているものが、帰依すれば頭の凹みがふくらんでくる。また脳水腫のように異常に大きい頭は小さくなって、本然の正しい形に戻ってくる。病気も事故災難にしても、みな悪因縁が根本原因になっている。

 

★勝負でもその通り、相撲には「仕切り」というものがあって、なかなか立ち上がらない。あれは心身の調和をはかっているのであって、その調和がとれ、細胞分子が秩序整然としてくると、相手が乱れているとき、楽勝できる。戦争の場合でも同じ原理である。弓は弦(つる)から矢が離れるとき、鉄砲は引き金を引くとき、すでに当たる当たらぬが決まっている。戦争も、始めるとき勝敗は決している。大東亜戦争前の昭和十四年九月から、当時日本の指導者が行なっていることは極めて危険なことであり、もしこのまま進展すると大変なことになる。もし英米と戦えば、日本は有限の兵を東亜全面に分散しているから、敵は兵を痛めず後退し、国内の防備稀薄ならしめ、数千の敵機が襲来し、わが木造建築物の弱点を衝いて焼き払い、そのときソ連は不可侵条約を破棄して背後から殺到してくることは自明の理であり、三千年来の大敗を招くから絶対に戦ってはならないことを警告し、その反対に不戦必勝の法を教えたが用いず、遂にその通りの結果となってしまった。

 

★過去の悪因縁の消滅は、人類発生して今日までいまだ誰も為し得られなかったことである。そして、できなかった理由がある。今までの宗教は信仰の対象物が二元的になっている。日本の神道は「天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)」、キリストは東方に「天の父なる神」、釈迦は西方浄土の「阿弥陀如来」という信仰対象物をもっている。しかも実体は同一のもので、太陽を朝は東に、昼は中天に、夕方は西に見るのと同様で、そこに宗派的差別が生じたのだ。「太陽」を神とすれば、今までの宗教は「月」の役割を果たしていた。説いていることは微妙で言いつくしているが、月は太陽の反射であるから霜や氷を溶かさない。しかも半面の光であるから、前方の道しるべにはなっても、後方つまり過去の悪因縁は消滅できない。


その証拠には、仏教では人が亡くなると「忌中」と書く。ここは人が死んで悪因縁が漂っているから入ってはいけないという意味である。近親者や友人はやむを得ず行くが、葬式から帰ると塩をまいて浄める。また、死後に極楽へ行くと言っているが、ほとんどの人が死後硬直し、悪因縁が後へ残り、その悪影響を受けている家が非常に多い。また、キリストも「天国へ昇ることはラクダが針の穴をくぐるよりも困難だ」と言っている。



★釈迦もキリストもその信仰対象の中心基点が非常な速度で地上に接近しつつあることを、さらに釈迦は二千五百年後に、キリストは「火の洗礼」の後に到達することを、揃って予言している。その「時」が来て、「神の本源中心」が人と一体化して出現したのが『真の日本神道』である。故に、太陽の直射と同様に、上下前後左右全体に光を放つ。しかも、神の本源の直射は時空を超越し、宇宙三世を貫いてゆく。この超偉大なる神の力に触れるときは、いかなる過去の悪因縁も消滅して、あらゆる方面に奇蹟が起きてくる。


現世だけでなく、前世、来世も救われる。わしに帰依する家族の子供は、母親の胎内にいるときすでに前世の悪因縁が消滅するから、生まれると臍の緒が太く元気で、後頭部がよく発達しており知能が優れている。妊婦が参詣すると、胎児が喜んで活発に胎内で運動を始める。


来世も救われる証拠は、わしに帰依する者が亡くなるときは、過去の悪因縁がとれるから、全部が大安楽現象を伴って次の超五感の世界へ生まれ変わっていく。その現象は、生前に死期を悟り、体は硬直せず、体温もなかなか冷めず、生前に見ない崇高な人相となる。


★神が地上に到達した証拠には、明治中期ごろからの人類文化の発達を見ればよく分かる。それはちょうど、葉もなく枯れたように見えている桜の木が春になって太陽の光に触れると開花満開するように、人間の頭の中に潜在していた叡智が、地上に到達した「神の本源」の直射を受けて働き出しそして文化が急速に発達してきたのである。今の文化は西洋を中心とした物質文化で、これに精神的生命を付与しなかったら、山吹のように一朝にして散ってしまう。この文化に生命のめしべがこもったときに初めて、意義と永続性ある存在となって、真に人類を益する文化に変わってくる。西洋の方は女性的で、有形の物質を微に入り細をうがって研究し、その文化は多くの人の力で積み上げていくことができるが、最後の究極のところまで入るということは非常に困難である。東洋の方は男性的で、無形の精神生命の文化をつくり上げる素質を持っている。そして一人の超人が出て一挙に頂点まで完成し、他の者はその足あとを踏んで行く。その欧米の物質文化と東洋の精神文化が融合一体化して均衡がとれたとき初めて、真の幸福と共存共栄、争いのない平和な世界がこの地上に訪れるのである。その重大な役割が東洋人、特に昔から「神国」と言われている日本の国民に課せられているのである。

★今の人は、ここ四、五十年の物質科学の驚異的発達に眩惑されて、科学で出来ないものは何ものもない、神、何ものぞ、といって神を見失ってしまった。しかし自分の体一つ見ても、巧妙な神によって生かされ、ボウフラが蚊になるのも、木に花が咲き、実ができて永遠の生命をつないでゆくのも全て神から与えられた生命によって培われている。もし、この地球から生命を取り除けたら、いかに黄金の山、ダイヤの鉱脈を発見しても無価値だ。


その肝心な神を忘れ、生命を見失っているこんな冒険旅行の時代は稀である。神を認め、神の働きに誤らないように素直に従ってゆくときは、たちどころに自然の健康な状態に戻り、全部の人が人生を全うして最後には大安楽往生が出来るのである。またこの原理を家庭から国家、国際関係、どの方面にも当てはめてゆくとき、人類の真の幸福と永遠の発展をつかむことが出来るのである。


★わしは、困っている人を治してあげているけれども、本当の目的は「神」というものが実在していることをはっきりした実証を以てあなた方に知らせてあげて、その「神の道」から外れないようにしてゆくところに、幸福と健康、そして永遠の発展があることを知らしめるためである。もしこのまま神を見失ってしまい、物質科学や物欲にとらわれていたならば、聖書にあるノアの洪水以上の人災による火の洗礼を受けて、全人類の壊滅は、火を見るよりも明らかである。


★今の文化でも宗教でも、富士登山にたとえれば胸突き八丁目までしか達していないから、専門化され宗派に分かれている。頂上の「真理の究極」へ到達すれば 〝万教帰一〟 と言って、宗教であって宗教でなく、医学のようであって医学でない。どの方面にも融通無碍、全部に通じてゆく。人間ばかりでなく動植物から無生物にまで通じ、水にでも塩にでもみな浸透して行く。わしの力が全部に浸透して、それが次々に奇蹟現象を起こしてくる。故に熱心な帰依者は、キリストが一生の間に起こした奇蹟ぐらいは楽に起こして他人を救うことが出来る。わしの教えは言葉や文字に関係がない。あなた方が心の中で素直になって念ずれば、ちょうどラジオやテレビが、スイッチの入れ方一つで視聴できるように、偉大な神の力を受けることができる。本当の「神の光」は現象界ばかりでなく、距離に関係なく、万方に通じて救われてゆく。それでなかったら、人種、言語、文字のそれぞれ違った世界三十何億の人を救うことは不可能である。あなた方は「神」が現に実在していることを体験されて、その道から外れないようにして行かれたなら、真に生きがいのある生涯を送れることを保証しておく。

大塚寛一先生