皆様、おはようございます。ロニサランガヤでございます!


ところで、日本は神道の八百万の神様が守ってくださっていると言われていますが、無開祖、無経文、無偶像、無戒律で「三種の神器」にその究極の哲理が封じ込まれ、「挙上げせず」とひたすらそれを信じてきたこの「神の道」にこそ、これからの人類を救う鍵があるとRoniは思っております。


さて、今日は「太鼓」のお話です。太鼓は誰でも知っていますが少し、歴史的な面を御紹介しますね。

 ★和鼓(わだいこ)は、打楽器のひとつ。日本の太鼓の総称。大きく分けて長胴太鼓(宮太鼓)、桶胴太鼓、附締太鼓の3種類がある。祭礼、歌舞伎、能、神社仏閣における儀式等に用いられ、木でできた胴に皮を張り、それを振動させて音を出すものである。撥(ばち)で叩くものを太鼓と呼び、手で叩くものは鼓(つづみ)と呼ばれる。


神軍リクルーターロニサランガヤ

 演奏動画


 


 

太鼓とは?

http://www.discovernikkei.org/en/journal/article/3317/?show=ja

和太鼓もとても長い歴史を持っています。太鼓は、ほかの文化財とともにアジア大陸からわたってきた人々が日本に持ち込んだと考えられています。日本最古の太鼓は、縄文時代(紀元前1万年~紀元前300年)の遺跡から考古学的発掘により発見されています。土器でできた太鼓や太鼓を打つ埴輪は、古代日本において太鼓が宗教的儀式や儀礼に使われていたことを示しています。時代が下っても、太鼓は精神世界を表現する楽器として使用され続けました。基本的に農耕民族であった日本人は、豊穣を祈り、厄災を取り除くために太鼓を打ちました。仏教の夏祭り、お盆は、太鼓を使ったとても重要な年中行事でした。盆踊りには人々はやぐらの周りを輪になって踊ります。やぐらの上では、歌い手、太鼓の打ち手、そして笛吹きが踊りの音楽を奏でます。伝統的には、太鼓は決められた人が、決められた場で、決められたリズムを打つことになっていました。それぞれの村が独自の節を注意深く守り、それを世代を越えて伝えていきました。多くの日本の村は、今でもこれらの節を継承していますが、いくつかの節は村の境を越え、国境をも越えて広がりました。今では国際的に知られた太鼓の曲がいくつかありますが、このような現象が見られるようになったのは、第二次世界大戦後に太鼓の社会的機能が劇的に変化した後のことです。楽器としての太鼓はこのように長い歴史を持っていますが、私たちが現在「太鼓」と考えている音楽は、第二次世界大戦後に生まれました。太鼓が音楽として演じられるようになったのは、長野出身の小口大八というジャズドラマーが、大きさの違う太鼓を隣同士に置いて同時に叩いたことがきっかけでした。小口は御諏訪太鼓を1951年に結成しました。数年後、東京盆太鼓コンテストで優勝した小林正道が大江戸助六太鼓を結成しました。御諏訪太鼓と大江戸助六太鼓は最初のプロの太鼓集団となり、太鼓が音楽演目として発展するのに重要な役割を果たしました。こうして太鼓は、宗教的儀礼から離れ、コンサートホール、コミュニティセンター、デパート、ビアガーデンなどの場所で演じられるようになったのです。