皆さんこんにちは❗ロニサランガヤでございます‼️ 人類から『死の恐怖』が無くなる時代が到来しています!
今日の人類大救世主大塚寛一先生のロニ如是我聞です‼️
神軍リクルーターロニサランガヤ
人類大救世主大塚寛一先生に帰依した方は、息を引き取る数日か数週間前には、死期を悟り来世の結構なところが目に映ってきて、家族や知人に愉快に別れを告げて、まるで物見遊山に出かけるように、楽しい気持ちで旅立ってゆきます。極楽へ転生してゆくのが分かるので、死の恐怖はなく、従って息を引き取った後にも、体が硬直しないのです。また、体温がなかなか冷めず、死臭や死斑も現れません。その上、生前にも見られなかったような崇高(すうこう)で安らかな相貌(そうぼう)に変わります。
それは、法医学で言われる「死後の現象」としての硬直、死斑、死臭、体温降下がないということです。また死期を事前に悟っていろいろ準備し、花見遊山に行くように楽しく来世にいくということですね。大塚先生からは過去、自力でこの転生ができたのは、空海他、ごく少ない人だけであったとも拝聴していますが。これから人類からは「死の恐怖」が無くなる時代が来るとも拝聴しています。そのフィルムを公開できないのは残念ですが、英語で作った動画はこれです!
ちなみに、大塚寛一先生から昭和39年のラジオ放送等でも「崇高な転生」について下記骨子を拝聴、如是我聞しています。
それは、法医学で言われる「死後の現象」としての硬直、死斑、死臭、体温降下がないということです。また死期を事前に悟っていろいろ準備し、花見遊山に行くように楽しく来世にいくということですね。大塚先生からは過去、自力でこの転生ができたのは、空海他、ごく少ない人だけであったとも拝聴していますが。これから人類からは「死の恐怖」が無くなる時代が来るとも拝聴しています。そのフィルムを公開できないのは残念ですが、英語で作った動画はこれです!
ちなみに、大塚寛一先生から昭和39年のラジオ放送等でも「崇高な転生」について下記骨子を拝聴、如是我聞しています。
わしのところへ来て亡くなる人は、一人残らず極楽へ行く。極楽へ行く人は、絶対、体が硬くならない。痩せた足が肥えてくる。にこやかな顔になる。生きた時に見たことのないような荘厳(そうごん)な立派な顔になる」
「病気で亡くなった人は、焼いたら必ず骨が黒かったり、黄色くなって残る。わしのところでは、過去の悪因縁罪障が皆消えてしまうから、真っ白になる。亡くなっても、誰も泣く人がいない。皆喜んでいる」
「人の悩んでいるのを救ってあげて、喜びの顔を見ると気持ちがいい。喜びの声を聞くと楽しい。どこへ行っても400~500人来る。それでも疲れないのは、喜びの顔を見てるからです」
大塚寛一先生1972年5月18日に逝去されました。このことは「御神座」と呼ばれ、神の座に戻ったことを意味します。81歳でした。生前、多数の人々を大安楽往生、崇高な転生をさせていた大塚先生は、自らの往生の時において、想像を絶する神々しさ(こうごうしさ)を表しました。逝去の後、その尊体を正式に安置する準備が整うまでに、翌年2月までを要しました。そして(その間の)約9か月においても、大塚先生のご尊体は、少しも変わることなく艶々(つやつや)として、温かく、柔らかでした。こうして大塚寛一先生は、地上での聖業を終えられ、より大きな神の御業(みわざ)をされるために、天に帰られたのです。それは、終わりではなく、新しい段階の「輝かしい始まり」でした。
つまり、御尊体を奥多摩万寿山の降臨閣にお移ししたのが昭和48年2月であり、御神座からそれまでの9か月間、東京目黒区青葉台の御聖居に仮安置されていた御尊体は、全く腐敗などすることがなかったのです。暑い真夏を挟んだ9か月間です。1973年2月6日に「御神座祭」がなされました。今、人類大救世主大塚寛一先生の「ご尊体」は、ご聖地奥多摩萬寿山降臨閣の下に、そのままのお姿で鎮座されておられるとロニは聞いております。