今週のギータ(2011.05.14 レッスンにて) | Yogastudio Internal Blog

Yogastudio Internal Blog

ヨガスタジオ インターナル ブログへようこそ。

YogaStudio Internalは、jymaの認定校であり、
銀座 綿本ヨガスタジオで講師を勤める
小野さつきが山梨県で主宰するヨガスタジオです。

第四章●知識のヨーガ


(三十)
供犠の真意を知って行う者は
罪障の業報を免(のが)れ 身心を清めて
その供物の残余(のこり)である甘露を味わいつつ
永遠の楽土に入って行くのだ


(三一)
クル王朝のなかで最も勝(すぐ)れた人よ
以上(いま)話した供犠を行わない者たちは
この生涯で決して幸福にはなれず
まして次の世では どんな目にあうことか


(解説)


前々回から続く、自分にあった方法ならどんな方法でもいいよ。の結論です。
ギータは古代の文章なので、現代に適した表現にすると、


人生においてどんな方法論を用いても構わないません、

しかし、その根底にはアートマンを思う気持ちがなくてはなりません。



アートマンとは、内なる神です。ご自分自身のことです。



あなたがあなた自身の神として、生命としてのすばらしさを思い出す。

その上であればあらゆる方法も生命の喜ぶ、望むものになるということです。


逆に言えば、生命であるすばらしさに目を向けずに、

何か自分以外の存在になろうと知識を得たり、神に祈ったり、お供え物をしたりしても

それは、善悪の、良い悪いの判断で、思い悩む原因の1つを作るだけです。

それは、堂々巡りの終わりのない悩みです。


私達の身体は人類の知識をもってしても未だ解明できない、

まさに人知を超えた存在です。


そして、その魂、生命はその存在を証明できないにも関わらず、

すべての人がその存在を認めています。


人とはそういうものです。精工で崇高な存在なのです。


生まれた時からそのすばらしい存在であるため、

私達はそのことを忘れています。


そして、お互いに等しくすばらしい存在である人間同士で

お互いのことを「足りていない。能力不足だと。」罵り合って勝負しています。


神VS神の罵り合いに決着はありません。勝敗はありません。

どちらもすばらしいのですから。


そのすばらしさを思い出すために

アサナとプラーナヤーマを毎日、7分でも実行して、

私達自身の清々しさとすばらしさを私達の心に刻み込みましょう。


私達を小さな枠に縛り付けているのは、今までの習慣と知識です。


毎日のヨガという新たな習慣でそれを塗り替えましょう。





yohsuke