第四章●知識のヨーガ
(二八)
厳しい誓いをたてて
ある者は財産を捧げ ある者は苦行をする
またヨーガの八秘法 を行う者もあり
またある者は無上の智識を求めてヴェーダを学ぶ
(二九)
恍惚境に入るため呼吸を支配する者もいる
吸気を呼気に また呼気を吸気に捧げ
ついに呼吸を全く止めて恍惚境に入る
また食を制し 呼気を呼気に捧げて供物とする者もいる
(解説)
今回と前回で取り上げた25-28節で祈りや捧げることについて、
こんなにも同じことを沢山の例を用いて説明したクリシュナが言いたいことを簡単にまとめると、
自分にあった方法ならどんな方法でもいいよ。ということです。
欲と結果にこだわらずに行動してもいい、
自然の中にある神を祈ってもいい、
外の音を聞かないようにして集中してもいい、
音だけじゃなく、感覚を制してもいい、
古典を勉強してもいい、
自分を厳しく律してもいい、
どんな方法も前回説明したストレスをアグニで燃やす作業であるわけです。
前回の説明↓
http://ameblo.jp/yogastudio-internal/entry-10825308241.html
大切なことは自分にあっているということです。
神がいるかどうか確信をもっていないのにそれを探したり、
自然を無理矢理神に見立てたり、
食事や遊びを無理に我慢したり、
よくわからないのに古典に書いてあるとおりに我慢したり、
結果が気になるのに、不安なのに見てみないふりをしたり。
そんなことはする必要はありません。
基本的にこうしなければいけないということはありません。
誰かのための方法に無理矢理自分を当てはめて、
それに当てはまらないことに惨めさや辛さを感じる必要はありません。
そもそも、古典といわれる経典も聖書もギータも、
ブッダやキリスト、クリシュナが自分の目の前にいる人達のために話した内容を第三者が記述したものです。
私達のために話された私達に合った内容ではないわけです。
そういう意味で、経典も聖書もギータもただの参考にしかなりません。
それよりもむしろ私達を思いやり、
私達のユニークさを受け入れてくれる身近な友人のアドバイスの方が、
私達には有効です。
そんな暖かい友人の存在に気づくために、
まずはアサナとプラーナヤーマの毎日の実践で、
私達の内側にもある暖かいものを毎日確認しましょう。
そう同じ暖かさは、自然に惹かれ合います。
それを楽しみましょう。
yohsuke