今週のギータ(2011.03.08 レッスンにて) | Yogastudio Internal Blog

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ヨガスタジオ インターナル ブログへようこそ。

YogaStudio Internalは、jymaの認定校であり、
銀座 綿本ヨガスタジオで講師を勤める
小野さつきが山梨県で主宰するヨガスタジオです。

第四章●知識のヨーガ


(二五)
種々様々な 天神地祇(かみがみ)に
それぞれ異なった形式で供養する修行者(ヨーギ)もあり
ブラフマンの火のなかに
捧げものをする修行者もいる

(二六)
聴覚その他の感覚を
抑制の火に投じて供えものとし
また 背その他の感覚対象を
供犠の火壇に供える者たちもいる

(二七)
真我実現を熱望している人々は
心と感覚をすべて抑制し
五官の機能と呼吸までも供犠として
精神統一の火に投じる



人は自分が経験したことのないこと、

消化しきれないことを経験した時に、いわゆるストレスというものが体の内側に発生します。

それは、ちょうど下腹部に発生します。


ヨーガをすることでストレスが解消されるメカニズムは、


その発生したストレスを吐く息とともに行われる下腹部のウディアナバンダ

(下腹部をしたから上に緊張しない程度に引き上げること。)

によって胸の辺りまで持ち上げます。


持ち上げられたストレスは、その胸の辺りにあるアグニという生命の炎で燃やされて消えるというものです。


ちなみに吸う息は、アグニが燃えるための空気を、風を送り込む役割をしています。



今回第4章第25、26、27節において、ギータは瞑想の方法について、

供物と祭火を例えとして説明しています。



日本人の瞑想に対する代表的なイメージといえば、


「無になる。」というものでしょうか。

一部のヨーガスートラの解釈の中にも「心を静止する」という表現があります。



しかし、本来の瞑想とは「あるものに集中して、それと親密性を深める過程」です。

無理に心をなくしたり、静めたりするようなものではありません。



ギータの言わんとしているのは、

どんな方法をとっても対象物に意識を向け、それと向き合うことが瞑想だということです。



5感を制御することは、外界との関係を断つ瞑想法ではなく、

5感と向き合う瞑想法です。

神を崇拝することは、神という存在と向き合う瞑想法。

体の動きや心を制御するといことは、体や心と向き合う瞑想法です。


そのどれも、私達の経験できないものです。

5感を制御すること、神を崇拝すること、体の動きや心を制御するといことによって

体の内側にしこりやストレスが発生し、


それをアグニで燃やすことでそれらと落ち着いた状態で向き合うことができるようになるのです。


制御や静止が必要なのではなく、それも1つの方法に過ぎないということです。

必ずしもその方法で体や心に負荷をかける必要は全くありません。



ご自分に合った方法でいいんです。



スポーツが得意な方はそれと向き合うことも瞑想です。

勉強が好きな方はそれと向き合うことも瞑想です。

恋人に、家族に、友人に、ペットに、自然に、音楽に、芸術に、



すべてのものと向き合うことは瞑想なのです。



向き合うことでお互いが親しくなっていくことに私達は魂から心から喜びを感じているはずです。



その状態を楽しむことこそが瞑想なのです。



立ち向かうことでもありません。我慢することでもありません。


楽しむことです。

アサナとプラーナヤーマ(ヨガのポーズと呼吸)を行うことで、


それらと楽しみながら向き合える土台が作られます。




目的も持たず、意図ももたず、ただアサナとプラーナヤーマを楽しんでください。



yohsuke