「孤独死」という言葉に違和感 | ヨガとリハビリを組み合わせたヨガビリー®︎考案者の須之内美知子

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昨日という1日は
一生忘れられない1日となりました。



わたしの記録として
そして
この社会で生きていくために
大切なことや価値観を
共有したいので
このブログにしたためます。



忘れられない一日となった出来事とは



子供の頃からわたしや弟、妹、
さらにわたしの娘までも、可愛がって面倒みてくれた近所のおばちゃん(88歳)が突然亡くなったこと。
その経緯もわたしの中では
とても衝撃的だったからです。


その経緯とは


今日は午前中のレッスンを終え
午後のレッスン前に
特別用事もないのに何を思ったか
普段だったら寄らないのに
両親が営む会社に立ち寄ったのです。



すると、うちの母
『おばちゃんの家今朝からずっとシャッター閉まったままなんだよね。どうしたんだろ。
朝から出かけているのかな』
なんて気にしてる様子。


なぜなら
おばちゃんは、ずっと独身で
身内も亡くなったりして身寄りがない
一人暮らしが長い方なので
うちの両親が毎日
シャッターの開け閉めで
安否確認してたようです。


そこで、わたしが電話をかけてみたが出ない。


なんか嫌な予感がして家に行くと
リビングで倒れていました。


しかも、リビングやトイレ、浴槽には
吐血痕が複数ある。


呼びかけにはうっすら反応し、水を欲していたので
水を飲ませて救急車を待つ。


水をゴクゴク飲んでいたので
貧血や脱水を起こしていたのでしょう。


五分ほどで救急車が来て
隊員が姿勢を変えようとしたら
真っ黒な吐血をした。


救急車にわたしが付き添いとして乗り込んだが
受け入れの病院がなかなか決まらず
40分ほど待機。とても長く感じました。
その時点でもう危険な状態でした。


救急隊員から
おばちゃんの身内の連絡先など色々聞かれましたが
もう親戚付き合いがないことを以前から
聞かされていたし
身元保証制度や成年後見制度などに
一切登録してなかったみたいで
もちろん遺言状もない。
近所の民生員さんの情報だけが頼りでした。


民生員さんの情報だけでも足らず
それが病院がなかなか決まらない理由の一つだったと思う。


わたしは結局
ただの近所という赤の他人。


とにかく今自分ができることは
付き添い人でいることと思って
午後のレッスンは急遽代行の講師に代わってもらって
病院からの指示を待つ。



ようやく近くにある病院が
受け入れてくれることになり
病院に搬送。


わたしは待合室で3時間ほど待機。
ドクターが来て
延命治療するかしないかと聞かれる。


例え延命治療したとしても高齢のリスクがあるし
元のようには戻らず
植物人間のように
心臓だけ動いて入院する可能性が高いと言われた。



1人で自由に生きてきて
身寄りもないのにこの状態で
管をつけて生きながらえるのは
おばちゃんにとっても
周りの人にとっても幸せではないだろうと
わたしや周りの人たちも
理解していたが



わたしは子供の頃から共働きの両親に代わって
色々お世話してもらって
まるで身内のように思っているけど
他人であるわたしが命のピリオドを
わたしが判断できる立場ではないと感じたので
病院側に委ねました。


もう意識もなく反応もしなかったけど
『おばちゃんみちこだよ』
と呼びかけたら口をモゴモゴして
片目を開けてくれました。
そして
『ありがとうございました』と伝えました。
これがおばちゃんとの最後の
コミュニケーションになりました。


その二時間後に亡くなりました。
 

民生員さんによると
おばちゃんは高血圧の薬を飲んでいたくらいで
特に大きな病気もなかったそう。


悠々自適に生活していたようでした。


うちの娘が大きくなってからは
おばちゃんとの交流が少なくなり
たまに両親からおばちゃんの様子を
聞くくらい。



だから今になって
もっとマメに連絡とっておけばよかったとか
色々後悔したらキリがないけれど
おばちゃんはピンピンコロリに近い状態で
しっかり自力で生き切ったし
最後に虫の知らせで
おばちゃんの最後に立ち会うことができて
良かったと思うようにしています。



そして今回の件で
とても違和感を覚えたのが『孤独死』という言葉。



違和感を覚えところに
遺品整理のプロのコラムを読んで
めちゃくちゃ共感した内容がありました。



よく、一人暮らしの人が
誰にも気付かれず亡くなったりしてるのを
孤独死と言われて
悲惨な死に方のイメージですが

 

孤独死って言葉はそもそも無くて

2000年代に単身者、高齢者が増えてから

メディアで使われるようになっただけ。




単に一人暮らしで突然亡くなっただけで

心配してくれる人、泣いてくれる人がいるのは

孤独ではありません。




今、家族でおばちゃんとの思い出をしては
みんなで泣いて
もうこの世に居ないと思うと
寂しさでいっぱいだけど
周りから心配されて
悲しんでもらえる
おばちゃんは決して孤独死ではない。



それに

誰だって最後は1人になる可能性あるし

1人で気楽に楽しく生活をし

『おひとりさま』という言葉が出てきたくらい

歳を重ねても誰にも気を遣わず

1人でも楽しめる世の中になっている。



さらに健康寿命が伸びると

ほどよい距離で身内や友人がいながら

自分のペースで『おひとりさま』

の生活を楽しむ人が

これから益々増えていくし

これはとてもポジティブな事だと捉えます。



さらにこの件で
学んだことをシェアします。


生前、おばちゃんは
年寄り扱いするな的で
終活の話には一切耳を貸さなかったそう。


それが今回の混乱に繋がったので
やはり終活は大切だと実感しました。