初めの一歩を支えるピクラーの育児法
どの子にも宿る生命の叡智を信頼し、最大限に伸ばすために
子どもが生まれてから、幼稚園に入るまでの3年ほどの短い期間は、過ぎればあっという間ですが、子どもにとっても大人にとっても人生最大級の成長を遂げる時期ではないでしょうか。人生の土台となる最も重要な時期です。
It takes a village to raise a child.
(子どもを育てるのは村全体の仕事)
アフリカのことわざだと言われていますが、現代社会では、村はもとより、家族生活も急激に様相を変えて、親として益々戸惑う時代です。しかし、同時に、古い村社会の枠を超えて、より自由に創造出来る時代になったともいえます。
シュタイナー学校でも、誕生から3歳までについては、「各家庭でやってください」という状態でしたが、ここ20年ほどで、研究が進められ、今では、親子教室などの学び合いの場も増えてきました。その中でも、70年も前から続く、ハンガリーの実践が重要視されています。ハンガリーの小児科医、エミ・ピクラー(1902-1984) は1946年、ブダペスト市政府から要請を受け、戦争孤児のための孤児院を創設しました。現在も同じ場所にあるこの施設は、その住所、ローツィ通りから、通称ローツィと呼ばれています。開設当初から現在まで、子ども一人一人の綿密な記録は膨大な量になり、ピクラーの哲学を実証しています。
大人との揺るぎない信頼関係が第一
ローツィでは、孤児院という事情から、一人の子供に対して、主担当の保育者が決められ、言わば親代わりの存在となります。いつも同じ保育者が、おむつ交換などのお世話に驚くほどの注意を払い、たっぷりの時間と愛情をかけて行うことにより、大人との揺るぎない信頼関係が築かれます。お世話の時間に体も心も十分満たされた赤ちゃんは、お世話の時間以外は、一人でも安心して過ごせ、遊びに没頭できるようになります。自発的な運動・遊びを尊重するために、安全で探索しがいのある空間を用意し、遊びの途中で横から不用意に邪魔をしたりしません。この、ゆるぎない信頼関係と子どもの自発心の尊重がピクラーの2本柱です。細心の注意をはらい、愛情をこめて丁寧に行うケアにより、安定した信頼関係が築かれ、子どもの自発的遊びが花開くのです。
子どもを子ども扱いしない
そしてその基本にあるのは、幼い子どもであっても一人の人間として畏敬の念をもって接すること、子どもの尊厳を尊重することです。子どもを”子ども扱い”しないことは、思ったよりも難しいものです。親心で、周りがみんなそうだからと、つい無意識にやってしまっているのです。
たとえば、抱き上げるとき、突然ひょいっと取り上げたりしていませんか?(私もやっていました。) ちょっと想像してみてください。もし大人が後ろからひょいと肩でも捕まえられたら、まずはびっくりするでしょう。中には怒り出す人もいるでしょう。赤ちゃんはただそこにいるようでも、今何かを見つめていたり、何かやろうとしているのです。ローツィーでは、抱っこのやり方一つも、おろそかにはされません。赤ちゃんをびっくりさせないように、ゆっくりと近づくと、目を見て、「今からお風呂だから抱っこしますよ。」などと伝えてから、赤ちゃんの反応に対応しつつ、細心の注意を払い、決められた手順で抱き上げます。さながら、茶道の作法にはすべてわけがあり、形式だけに見えて実は無駄一つない究極の手順であるのと同じようです。
必ず声をかけてから
「今からオムツを取り替えますよ」とか、「鼻水をきれいに拭きましょうね」と、今から起こることを毎回しっかり伝えてあげることは、どんなに小さな赤ちゃんに対しても、いや、小さければ小さいほど、大事なことです。そうすると、赤ちゃんは安心して 親との信頼関係を深めることができます。加えて、自分の体という新しい住み家の心地よさを感じ、それを安心のベースとして、心身の発達を遂げていきます。つまり、より高度な動きや体位に挑戦する余裕と自信が生まれるのです。
お隣に引っ越してきたばかりの、当地に不案内な、新しい住民がいるとします。そんな時、突然の大騒音とか、家を揺する巨大な揺れとかが、度重なって起こったら、どうでしょう。安心して新しい家に住み、生活を築き始めることができるでしょうか? 赤ちゃんは言わば、この地上に引っ越してきたばかりの新しい住人です。
お世話の時間は親とのスキンシップを深める時間
お世話の時間は、大人にとって手間のかかる仕事の一つ、かもしれまん。しかしローツィでは、お世話の時間は子どもと大人の関係を深めるための貴重な機会として位置づけられています。着替えの手順もまず右、そして左というようにいつも同じにし、「はい、ズボンを履きますよ、まず右足、あんよが出たね、次は左」というように優しく言葉がけしながら行うことにより、赤ちゃんが着替えに参加して、足を伸ばしたり、腰を上げたり、手伝ってくれるようになります。つまり、大人との共同作業になるのです。こうして、お世話されるだけの受身の存在から、大人との関わりを楽しめる参加者となり、そしてやがて一人前の生活者として少しずつ自立していくことができるのです。
いつも同じ手順でお世話すると先を見通す力がつく
オムツ替え、着替え、授乳、1日に何回もあることです。その度に、毎回同じように行えば、小さい赤ちゃんでも、だんだんと見通しを持つことができるようになります。見通しを持てることの大切さは、私たち自身の生活に照らし合わせてみればすぐ分かります。毎日、今から何が起こるかわからなければ、不安でちっとも落ち着いていられません。毎日の規則正しいリズムがあり、「今から~~しますよ。」という言葉がけで、赤ちゃんは、安心して過ごせるのです。そのようにして育つと、たとえば、「抱っこしますよ」と言うと、抱き上げてというように、両手を伸ばしてきたり、もっと小さい赤ちゃんでは目で大人を見つめ返してうれしそうにしたりします。
みんなもそうしているから、大丈夫?
それでは、お世話以外の時間はどうでしょうか?
自分でほとんど何もできない赤ちゃんは、おなかがすいても、お尻が気持ち悪くても、寒くても暑くても、寂しくても、周りがうるさ過ぎるから静かに放っておいてほしくても、泣くことしかできません。だからといって、赤ちゃんをモノのようにひょいっと持ち上げたり、泣いたらグッとおしゃぶりを口に入れて黙らせたりするのをよく見かけます。みんなそうしているから、つい、何も考えずに、そうしていませんか?
遊んでいるときはどうでしょうか? 赤ちゃんとどのように接するのが良いでしょうか?
ピクラーの鋭い観察眼
小児科医として、ピクラーは鋭い観察眼を持っていました。多くの子どもとその親達の関わりの様子を見るうち、大人が赤ちゃんに座る、立つ、歩くといった動作を先回りして教えたり、支えてやらせたりすることが日常的に行われていることに問題を感じました。もし大人が手で支えたり、クッションで固定したりしてお座りをさせなかったら、その赤ちゃんはどうなるでしょうか? ずっとお座りできないままでしょうか?
赤ちゃん自身が一番よく知っている
ピクラーは自分の子どもたちや家庭医として定期的に訪問した家庭の子どもたちを観察して、赤ちゃんは大人に教えられなくても、いや教えられないほうが、健全に発達することを発見しました。赤ちゃんは十分な広さ、安心できる環境に置かれれば、寝返り、ハイハイ、腕を立てて上体を反らすなどの様々な動作を遊びの中で続け、ついには、自分でちゃんとお座りができるようになります。立つ、歩くも同様です。逆に大人に教えられると、赤ちゃんは近道をして早くできるようになるかもしれませんが、近道をしたことによって、お座りに必要な筋力、バランス感覚を発達させる機会、そして何よりも自分で何度も何度も繰り返すことにより物事を成し遂げ獲得するプロセス(後に学ぶ力、生きる力となる)も逃してしまいます。
そんなに急いでどこへ行く?
生まれたばかりのかわいい赤ちゃんをうっとり見つめていられる幸せな時間はあっという間に過ぎていきます。育児の大変さもさることながら、それよりも私が思い出すのは、「もう~~できる?」という、周りからのプレッシャーです。寝返り、お座り、ハイハイ、伝え歩き、そして一人歩き。喃語 (なんご) は出たか、歯は生えたか、離乳食は食べられるか? 発達に遅れがないかと心配することは仕方がないですが、行き過ぎて、早いことがいいことかのように、次から次へと課題を与えて行かなければいけないかのように感じさせられる昨今です。赤ちゃんの身にもなってください、寝返りができたら、次はお座りよ、さ、ハイハイしておいで、今度はタッチしてごらんと足をツンツン・・・。今できていること、お座りなり、寝返りなりを十分楽しむより、次のこと、まだできないことに常に焦点が当てられています。
ここ二、三十年ほどで、よく早く、より多くを美徳とする傾向がどんどん加速度を増しました。いつだったか、まだ幼いころ、我が家の黒いダイアル式電話がプッシュホンに代わったときは、感動したものでした。今はどうでしょう、技術が発達して、いつでもどこでも瞬時に情報が手に入る、そのおかげで、私たちはますます忙しくなっています。
もっと楽に、ゆったり暮らせるのかと思えば、まったく正反対のことが起こっているのは誰の目にも明らかです。こんな時代、赤ちゃんはたっぷりと時間をかけて赤ちゃん時代を過ごせているでしょうか。0歳向けのコンピュータゲームがアメリカでは売られています。24時間いつでも見られる子供向けのチャンネルもあるようです。きっと日本でもこの傾向は同じだと思います。こうしたスクリーンの害についてはまた別の機会に譲りますが、目まぐるしい量の情報の波の中で、日々忙しく過ぎていく現代に生まれた幼い子どもにとって、本当に大切なこととは何でしょうか。どうすれば、私たち大人は、子どもの発達を最大限に引き出してあげることができるでしょうか。
その子独特の成長の力・プロセスを信じる
這えば立て、立てば歩めの親心、とはよく言ったものです。わが子が出遅れないように心配し、少しでも楽な道、近道があればそれを保障してやりたいのは当然の親心だと思います。しかし、ピクラーは、この親心をぐっと抑えて、今赤ちゃんがやっていることを十分させてやりなさい、赤ちゃんは自分がすべきことを一番知っているのだと言いました。まだ自分でお座りできない赤ちゃんを、椅子やクッションで固定して座らせたり、まだ歩けない赤ちゃんを歩行器に乗せることは、赤ちゃんが今発達させている体や知能の健常な働きを妨げると言います。
幼い子どもにとって、より早く、は害になることが多いのです。早く歩けるようになった子がだめだというわけではありません。自然に早い子はいます。ただ早く歩いてほしいと思って、今ハイハイしている子を立たせることが害になるのです。そしてゆっくりペースの子はそれでいいのだと急がせず見守ってくれる大人が必要なのです。
内なる子どもの個性を引き出す全人的な教育
シュタイナー教育との共通点はまさにここです。7歳以下の子どもに読み書きや算数の勉強をさせないのは、なぜでしょうか? 7歳以下の子どもには、今、発達段階としてやるべき仕事(自発的遊びや規則正しい生活による心身の安定した発達など)があるのです。
発達に合わせた物的・人的環境を整え、その中で、子どもの内なる力を信頼し、自発的動きと遊びを最大限に保障する教育法です。ここから、体の土台がしっかり育ち、心豊かで、想像力たくましい、輝くような個性が引き出されてくるのです。
赤ちゃんだけでも安全に過ごせる環境
そのために、まず、部屋を片付け、必要ならゲートを取り付け、広く安全な空間を準備しましょう。「ここは来たらダメ! それはさわっちゃダメよ!」と赤ちゃんを叱る必要のないように。安全な空間とは、ピクラーの弟子マグダ・ガーバーによれば、"赤ちゃんだけで、一日中家に閉じ込められるような事態が起こっても、命の危険がない環境"だと言います。寂しくて、お腹がすいて、オムツが汚れて、おもちゃが全部ソファの下に行ってしまって、赤ちゃんが大泣きしているとしても、命には別状なく居られる空間、そこまで徹底して安全を追求して初めて、大人も安心して赤ちゃんの自由な探索・遊びを見守ることができるのです。
少しずつ引き算から
かといって、いきなりそこまで目指すのはハードルが高すぎるでしょう。まずは、少しずつ引き算する位から始めてみましょう。今まで泣けばすぐ手を出していたところを、一瞬待ってみる、おもちゃを減らしてみる、着替えを意識的にゆっくり丁寧にやってみる。実験精神でやってみて、丁寧にお子さんの様子を観察してみてください。親御さんの感覚は、専門家よりも誰よりも、お子さんのことを敏感に感じることが出来る、最高の受信機です。そして毎日の生活の中で何度も繰り返しチャンスはやってきます。だからこそ、お家が最高の教育環境となるのです。
赤ちゃん期を過ぎたら?
2歳、3歳となり、幼稚園に入学する頃になっても、この原則は同じです。
心を込めた丁寧なお世話 → 子供と関わる時間はじっくり丁寧に真正面から向き合う。
自発的な遊びを尊重する → 安全で想像力を掻き立てるようなシンプルな環境を用意し、大人は子どもが自分で遊ぶのを見守る。
失敗から学び、親子で前進
シュタイナー教員養成の勉強中は、目からうろこの連続で、これまでの自分の育児の間違いに罪悪感にさいなまれることたびたびでしたが、先生達は、新しい知識を得ることは素晴らしいが、それを武器に他人を傷つけてはいけないし、自分も傷つけてはいけない、とよく言いました。
例えば歩行器ひとつを見ても、登場してから久しく、私自身も歩行器に乗った写真がありますし、今でも広く使われているのを見ると心が痛みます。だからと言って、私の両親や今歩行器を使っている親御さんたちを責めるつもりはありません。私も知らなければ、親心で子どものためを思ってきっとそうしたでしょう。子どもは大変辛抱強く、私達の成長を促してくれます。お子さんがまだ1歳の親御さんは、親としてはまだ1歳ということです。問題や失敗は裏返せば成長へのステップです。お子さんへの深い愛情と子ども自身の内なる生命力があれば、乗り越えなれないことは何もありません。
© Hiromi Niwa
参考文献
“Emmi Pikler’s Trust in the Wise Infant” Jane Swain, “A Warm and Gentle Welcome: Nurturing Children from Birth to Age Three”, The Gateways Series Five, 2008 Waldorf Early Childhood Association of North America



