日本活育協会 Yogaマイスター
きのしたゆりです。

今回の旅先で、今まで一度も考えた事の無かった、或いは感じる事の無かった、そのような体験をさせて頂きました。
それが余りにも衝撃的だったものですから、何から書けば良いのか、どのように伝えればそのままをお伝えできるのだろうかと、一言一句確かめながら、或いは言葉さえ選べず沈黙が続く中、今こうして記事に向き合っております。


その方との会話は二時間ほど続きましたが、生きると云うことの何たるかを、自問自答しつつ迷いつつ、あれこれと可能な限りの知識と感情を駆使して、必死になって言葉を追いかけ続けた時間でした。



案内の方に手を引かれ部屋に入ってきた男性。
その方の両目が閉じられていただけではなく、まるで蓋を閉じたように瞼が平らなのを見て、
一瞬で目がお悪いのだと分かりました。


その方は大きな声で


「私には眼球がありません。産まれた時から目というものがありませんので、視覚については何も答えることが出来ないのです」

唐突にこのように切り出されました。


しばしの沈黙の後

「光そのものが無いと云うことでしょうか?」

この言葉を発するまでに心の中で、
ではいつも真っ暗闇?いや、光の存在すら無いのだから、それさえ無いだろう。しかし眼球はパソコンでいえばウインドウみたいな物で、本体は別だから・・・
人間も観ているのは脳の働きだし・・・
めまぐるしい程の情報が飛び交っていました。
飛び交っていたのは情報だけではなく、感情もそれに違わずぐるぐる巡り、どのように言葉を発したら良いのだろう?失礼な言葉には気を付けないと。
でも余りにも特別扱いをするって、それって却って失礼に当たるのでは?


最初のフレーズを声にするまで
今考えられる限りを考えました。


私には色というものが、全く分からないのです。
この恋路が浜が白い砂浜だと言葉では知っていますが、それは悪までも言葉上の理解です。
太陽が昇ってくるのも言葉では理解していますが、それがどのような色をしているのか、さっぱり分かりません。
色そのものの概念が無いのですから。




更に言葉は続きます。


手で触れてその形状や大きさは分かります。
でも手で触れられない大きさのものは、私が思っているものと同じかどうか、それも曖昧です。


太平洋も、広い砂浜も、太陽も、
皆さんと同じようにお話は出来ますが、私が分かっているかと云いますと、多分分かってはいないでしょう。
だって見た事が無いのですから。


今頃一番困るのが蝉の鳴き声です。
一斉に鳴かれますと恐怖です。


え?!
蝉の鳴き声が恐怖なんですか?


はい。
車の音も何もかも聞こえなくなりますので、自分を取り囲む四方八方から何が飛び出してくるのか分かりません。


それと
雨の音。
特に土砂降りで雨合羽を着たら最悪です。
雨音が合羽に当たって跳ね返る音はすさまじく、蝉の声とおんなじです。

だから私は雨が降って頭からずぶ濡れになっても、合羽は着ません。



もっと、もっと、沢山の事をお聴きしましたが、お話の途切れた合間を埋める形でお訊ねしてみました。

視覚が閉ざされているってことは、他の器官がそれを補って、視覚にかわる働きをしてくれると云うことなんですね?
完璧に補いきれるものではないにしても、ある程度は。



そうです。
耳がその代わりをしてくれています。
だから
聞こえないということは、私にとって動けないと云うことなんです。



では聴覚がアナタにとって、最も大切な働きなのですね?


いいえ、嗅覚です。
私にとって一番大切なのは、匂いが分かるということです。


聞こえないことは危険と隣りあわせなので、それも大切ではありますが、
匂いが分かると云うことは、感情的にはとても大きいものなのです。
うなぎの蒲焼の臭い
焼肉の臭い
ご飯が炊き上がる臭い
味噌汁の臭い
漬物の臭い
食べることばかり言ってますが、実際に美味しいものを食べているときが、一番楽しい時ですから。

その他にも
カビの臭い
ゴムの臭い
潮の臭い
花の匂い
石鹸の匂い

匂いが分からないと、私の生きている喜びの大半は失われるでしょう。



確かに!
命と直結する食べるという動作。
味覚は別物として
匂いが分からなければ、その美味しさも半減です。
自分の周りに様々な匂いが溢れかえっていることを、そしてそれが彩りを添えてくれているものであることを、納得の想いでお聴きしました。



私は生まれつき何も見えませんので、見えないことへの葛藤と云うものがありません。
だって比べようが無いのですから。
見えないのが私の平常です。
それに引き換え、
途中で全盲になった方は大変です。
あったものがなくなるのですから。
途中からでは不慣れもあり、常に不便さを感じ続けられると思いますし、見えなくなったことへの恨み辛みとまでは云いませんが、視覚が働いていた時の事を想い、その胸中は悲しみで一杯になるでしょう。
初めから与えられていないことには、不服を持ちようが無いので、私は助かっていますね!


お別れ間際になって


奥さんは何かを教えてられる方ですか?

えっ、どうして分かるのですか?

言葉が実に明瞭でしっかりと話されます。
語尾まできちんと話される方って、案外いないんです。
私は奥さんを見ることは出来ませんが、感じることは出来ます。




声や話し方にも
その人柄が表れるのだと
改めてしみじみと納得の想いで
その言葉を大切に頂戴いたしました。

ここに私の気持ちを書くことなど、どう熟考しても出来ませんが、
言葉には言い表せない深いものを
与えて頂いたように想います。