おはこんばんは。
暖冬のミネソタも雪が積もったのが嘘のようにどんどん春めいてきてワクワクなような寂しいような複雑な気持ちでいるちゃんちかです。
さて前回のブログでは父の認知症のサイン、今思えばを書いてみました。
それに付随しているのがその父を一番そばで世話をしている母です。
父よりも1歳年下ですがほぼ同じ年ですね。
母はずっと私たちが小さい頃からもパートで家計を支えてくれていました。
父の自由奔放で横暴な言動にも耐え続けてきました。
私の小さい頃の記憶では母は辛抱強いという記憶があります。
でもだんだん年齢を重ねるに連れて、頑固さや気の強さ、生真面目さが強くなってきたように感じます。
母は50代で両膝を手術して、生真面目な性格できちんとリハビリ、ストレッチをしたので当時は体も開脚をして、胸が床につくほどでしたし、健脚でどんどん歩けるほどまで完璧にやり遂げました。
そんな母にとっては、父が膝を手術しないで、痛い痛いということや、やっと手術したと思ったらリハビリを全くしなかったこと、など全く理解できず、みていてイライラしたのでしょう。
いや、私だって、
「なんで私はできたのにやらないの?」
「なんであんたは寝てて私が全部やらなあかんの?」
って思うと思います。
例え父がレビーという認知症で、体の自由も気かなっているんだよと何回説明しても、憎しみや腹立たしさの思いが勝ちすぐて今のこと忘れてるという感じ。
父が出かけて行っては救急車や警察、見ず知らずの方に送り届けていただいているということだけでもストレスなのにある時、警察から
「お宅だけじゃないですからね、 なんとか考えてください」
と言われたこと、そして実家の徒歩圏内で行ける銭湯で父が何度か救急車でお世話になったりしながらも実家のお風呂が寒い母はその銭湯で攻めて広々と疲れを癒そうとでかけたときに帰り際に番台の人から
「あんた、あの救急車の身内やろ? よく、のこのこ来れたな」
と言われたのが相当打撃になったらしく、頭が混乱し、物が考えられなくなり、
私の人生なんでこんなの
私なんて生きている価値がない
早く○んだほうがマシ
などと毎回口にし、二の句は
どうしよう。。。。
と完全に鬱っぽくなってしまっています。
昨年よりもさらに状況は進んでいると思われ、すぐに飛んでいきたい!
でも私の生活、私の家族はアメリカで3人の子供のスケジュールは旦那と2人でなんとか回している状態なので、一番負担が少ないのは3月末の春休み、ということで計画して航空券んで一番お得なのを探して日本へ帰ることにしました。
大まかな状況、母の状態を記録のために書きました。
次のブログで私たち家族、両親でまずやってみようと決めたことを書いていけたらなと思います。
他の認知症のご家族をお持ちの方のブログをフォローさせていただいたりするようになりました。
私のブログは認知症のことを書こうと定めていないのですが、キラキラでない現実を私なりに生きる私のジャーナルとして書いていきます。
共感、体験談などのコメントいただけたら大変励みになりますし、私と同じような方で1人ではないと感じることが支えになれたら幸いです。
今日もお読みいただきありがとうございました。
孝行したいときに親はなし。
と昔の人は言ったものです。
後悔のない生き方を私から実行していこう思います。
毎日の自分との時間、大切な人との時間は永遠ではないですから皆様も今日を大切にされてくださいね。
ミネソタのカフェより愛を込めて。
ちゃんちか