「オトンとワタシと、時々、オカン」な昔話 | 【東京渋谷区】筋トレなしボディメイク。骨格×脳神経から垢抜ける、疲れない身体へ

【東京渋谷区】筋トレなしボディメイク。骨格×脳神経から垢抜ける、疲れない身体へ

筋トレや運動をするほど太る、ゴツくなる、疲れがとれなくなった経験者。脱力して動ける身体、動いても疲れない、ゴツくならない美ボディを「骨格」と「脳神経」から変えるボディリフォーマー「大宅菜穂」のブログ

父よ、ありがとう。


 

父は他界していない、もう関係ないんだなとスルーしていた父の日。


 

(綴っている間、鼻水は顎下まで垂れて氷柱。目元は滝。主演女優賞をとれるんじゃないか?私w)

 

 


 

あーしろこーしろ、だめだと

言われた記憶はほとんどない。

 

 

父が亡くなり、数年後に母から聞いた話。

 

 

当時、高校生の私は

美容師か特殊メイクの専門学校に行きたくて

入学資料を取り寄せまくった。

 

 

「ワシが言うても変えんやろ。ナホの性格や。そのうち気づくわえ。」と

父は言っていたそうだ。

 

 

さすがは父。

人を見る目、見抜く力は確かな人だった。

 

 

 

英国留学から帰国した高校3年。

私はやっぱり大学に行くと言い出した。

父、的中。

 

 

とはいえ、受験勉強をちゃんとやっていないから最終的に浪人。

大学受験だけで何百万。

翌年は大学進学をしたから、そこにさらにウン百万。

 

 

「300万は余裕でこえたで!

“ナホが満足するようにさせたらえーよ”と

お金のことは何にも言わない、

お父さんのおかげだよ」と母。

 

 

 

やりたいことへの投資も

悩みはすれど、最終的には高額でも出す。

(むやみやたらになんでも出費、衝動買いはしないよ)


諦める、やらないことの後悔こそが失敗だと思うから。

 


お金との付き合い方も、自ずと引き継いでいる。



 それを分かっていて

父は教えてくれていたのだろうか。


多くを語らない人だったけれど

好きな仕事を命が絶える直前までやっていた。





「あえて何も言わない。

自分で自分の人生の舵を取れ。」

 

 

 

やさしくも厳しい想いからだったのかもしれない。

 

知らんけど。そう思いたい。

 

 

 

やりたいことをやらせてくれ、行きたい大学に行かせてくれた。

東京に出ることも賛成してくれた。

 

 




自分で答えを出して進む。

ぼっち体質でしんどいこともありますが、それが私。

 

 

父よ。

あなたの娘は今もやりたいことに邁進中です。

 

 

父でいてくれて、ありがとう。

存在してくれて、ありがとう。

 

 

happy father's day

endless LOVE..★