「スピリチュアルを学ぶ」

 

とは

 

地球を支配したい存在が

 

民衆を支配するために

 

新聞やテレビを使ったり

 

学校教育を使ったりして

 

民衆に植え付けた

 

「人としてこうであらねばならない」

 

から

 

目覚めて

 

自分に正直に生きて

 

「自分を解き放つため」

 

 

あるもので

 

スピリチュアルを学ぶことで

 

そこで得た知識で

 

「こうすることが正解なんだ」

 

 

「自分で自分を愛せないまま」

 

その知識に従って

 

「自分を縛ること」

 

 

本末転倒なんです。

 

 

 

 

「スピリチュアルで学んだ知識を

 真に実効するとは

 自分に正直に生きることを決め

 それを阻む

 「自我の怖いに飛び込むこと」

 なんです。

 

 

 

 

 

どれだけ

 

スピリチュアルを学んでも

 

人生が

 

うまくいかないのは

 

「自分で自分を大切に扱っていないから」

 

なんです。

 

ただ

 

それだけです。

 

「自分で自分を大切に扱っていないから」

 

他人から

 

認めてもらえない

 

粗末に扱われる人生を

 

受け取っているだけです。

 

それがいやなら

 

「自分で自分を大切に扱う生き方」

 

 

変えたらいいだけ

 

です。

 

自分が

 

「これを食べたい」

 

 

思っても

 

自我が

 

「この値段じゃなー」

 

というところを乗り越えて

 

「自分の想いを叶えてあげる」

 

他人から

 

どう思われようと

 

「自分のしたいことに従う」

 

それを

 

自分に

 

してあげられるのか?

 

そこが

 

「分かれ道」

 

 

なってきます。

 

 

 

 

 

 

人生を楽しんでいる人と

 

人生を苦しんでいる人の間には

 

「優劣」

 

 

無く

 

ただ

 

自分の目の前に現れる出来事の

 

「とらえかた」

 

 

ちがうだけで

 

どちらも

 

同じ赤い血が流れ

 

同じ地球の空気を吸い

 

食べてクソして寝る

 

という

 

「基本は同じ」

 

なんです。

 

 

 

 

 

だから

 

誰かと比べることで

 

自分は傷つくんだから

 

「私のこれまでの人生

 それが

 いまの私が

 今の段階で

 このことに気づけるために

 私が必要としていた体験だったんだ」

 

 

認めてしまって

 

「過去こうだった」

 

「いまのわたしはこう」

 

 

「不幸自慢」

 

をして

 

「うらやましい誰かと比べること」

 

 

自我の中に芽生える想いに

 

「縛られる生き方」

 

 

あなたが変えることができたとき

 

あなたは

 

「あなた本来の道」

 

 

歩み始めることに

 

なります。

 

 

 

 

 

結局

 

生きるのが

 

苦しいのは

 

「いまここの

 あるがままの自分を

 あるがまま

 認め 

 受け入れること」

 

 

できないからです。

 

なぜなら

 

自我が

 

「このままの自分ではだめだ」

 

 

あなたに

 

言い聞かせるからです。

 

高いお金を出して

 

誰かに頼らなくても

 

「あなたがあなたを

 まるごと受け入れること」

 

 

できたなら

 

あなたは

 

苦しみから

 

解放されるのです。

 

 

 

 

「自分を大切に扱う」

 

 

 

 

「決心」

 

して

 

それを

 

自分の人生で

 

実行するだけで

 

いいのです。