昨日はらっきょうを5キロ漬けました。

昨年2キロ漬けて1年もたなかったので。

鳥取はらっきょうの生産地なので

生産者のところへ行けばスーパーより

キロ200円安く買えます。

 

らっきょうには2種類の漬け方があって

去年簡単な方でうまくいったので

今回も簡単な方を選んでいます。

 

まずは

軽く水洗いし塩をまぶし放置します。

それを水洗いして

 

そして、熱湯で10秒殺菌します。

 

それをJAが作った専用のらっきょう酢に漬けます。

この酢を使うと本格的なやり方でなくても

らっきょうを漬けることができるからです。

左が1年らっきょうを漬けた酢。

右が今回新しく買った酢。

それぞれ漬け分けて味がどうなるか

実験しようと思います。

 

5キロ漬け終わりました。

らっきょうが浮いていますが

これから2,3日ビンを回すと

だんだんとらっきょうが底に沈んでいきます。

 

 

 

今日は天気が良かったので

午前と午後と職場を抜け出して

また海へ瞑想に行きました。

 

 

 

ここによく来る人は

私がなぜ

こんなにも頻繁に

職場を抜け出して

海に行っても

クビにならないのか

疑問に思う方も

おられるかと思うんですが

ただ わたしは

 

「いつ クビになってもいい覚悟」

 

を持っていて

 

そうした結果何が起こるかは

宇宙にお任せして

 

「いまの自分がしたいこと」

 をしているだけ

 

です。

 

それでも

クビにならないんです。

今のところ。

 

つまりね

 

「自分が何かを失ってもいいと

 本気の覚悟を持って

 行動に移したことは現実になる」

 

ということを

 

いつの日か

わたしが

誰かの前に立って話すときの事例を

まだ人前に立てないいまの自分で

作っておきたいだけなんです。

 

 

だって

地位 財産 収入 他人からの評価 

何をどれだけ守っても

やがては

一番失いたくない

この自分の肉体を

手放すときが

来るのですから。

 

 

この自分の肉体以外のものを

死ぬ前に

手放すことで

「自分が自分らしく生きられるのなら」

それは

安いものです。

 

 

しかしながら

そう思える自分になれても

いまでも

こんなにも

手放せない想いや

トラウマが多くて

ひとりぼっちで

金が無い現実しか生きられない

わたしに

これまで積み上げてきたものを

誰かに直接伝える機会が

これからの

わたしのシナリオの中に

あるのかどうかは

わかりませんが。

 

 

午前中に行った海は

右を見てもひとり。

 

左を見てもひとり。

 

前を見てもひとり。そして瞑想。

 

物質世界では、わたしを認め受け入れてくれるひとが

ひとりとして現実として直接目の前に現れることはなく

わたしはいつもひとりですが

目に見えない存在が

手のひらを天に向ければ

エネルギーとして

「わたしに意識を向けてくれていること」

はっきりと感じ取れていますので

実質、わたしは「ひとり」ではありません。

 

午後は場所を変えてここで瞑想しようと思ったのですが

隣でカップルがシートを敷いて寝そべっていたので

邪魔しちゃ悪いと思って、午前と同じ場所で瞑想しました。

 

 

 

浜辺には、ヤドカリが住む穴がいっぱいありました。

 

 

帰りに真ん中に見える斜めの筋が

 

 

背びれをつけてどんどん変化していきました。

 

続けて撮った写真にはなぜか、斜めの筋が写っていました。

(肉眼では見えませんでした)

 

 

家に帰ると

クイーンエリザベスさんが新たな花をつけていました。

 

 

 

 

いつの日かわたしも

自分の人生にすねないで

自分自身や他人を

 

「素直に愛せる自分」

 

 

なりたいです。

 

そして

 

そうなれた自分が

 

わたしと

 

同じ道のりを歩んでいるひとたちに

 

いつの日か

 

「きっかけ」

 

 

提供できる日が

 

生きている間に

 

来ればいいな

 

 

思う自分がいます。

 

これまで生きてきて

 

誰からも

 

求められることがなかった

 

わたしが

 

そう思うことは

 

「傲慢」

 

かもしれませんが。