明日を変えるなら今日を変えなきゃ
分かってる 分かってる けれど・・・

 

満たされないと泣いているのは 

きっと満たされたいと願うから・・・

 

愛されたいと泣いているのは 

人の温もりを知ってしまったから・・・

 

死ぬことばかり考えてしまうのは 

きっと生きる事に真面目すぎるから・・・

 

 

 

もしいつの日か

自殺したい人が

この文章を目にするときがきたら

わたしは

「あなたがそうしたいのならどうぞ」

言います。

 

 

でも

こう付け加えます。

 

 

あなたが

今回の自分の人生から

自殺して逃げても

「宇宙からは逃げられませんからね」

と。

 

 

例え自殺したとしても

「この宇宙の外」

逃げられないあなたは

またこの宇宙の中で

生まれ変わった次の人生で

前回の人生で

あなたが自殺を選ぶ原因となったものと

また

出会うことになります。

 

 

自殺って

「究極のいやがらせ」

なんです。

 

 

「あなたのせいでわたしは

 こうなったのよ」

 

 

という

相手に対しての。

 

 

 

でも

「相手のせいで」

ではなく

「自殺すると決めたのはあなた」

なんです。

そして

あなたが自殺しても

あなたを自殺に追いやった連中は

「何とも思ってない」

のです。

そして

その連中が

未成年ならば

現状のこの世界で

名前が公表されることもなく

裁判により

裁かれることもありません。

本当にこの世界は

〇〇の13人衆の末裔の

〇〇家に代表される

人口の1%にも満たない

「こころを持たないひと」

支配していて

だからこそ

民衆の中の

「こころを持たないひと」

のびのびと生きられる世界

なのです。

 

 

 

 

そんな連中のために

「こころを持つ」

あなたが自殺するなんて

馬鹿らしいとは

思いませんか?

 

 

 

 

だから

「他人が自分をどう扱うか?」

自分の価値を見い出すのではなく

「自分は本当はどうしたいのか?」

意識を向けないといけないのです。

 

 

 

 

「それがすべて」

という意識から抜けて

また違う場所に行けば

「また違った体験」

できるのです。

 

 

 

 

自殺したいと

思っているひとが

この文章を見たなら

とにかく

なんとか生き延びて

 

あと8年待ってください。

 

4年後

世界は大きく変わり

8年後

「あのとき死ななくてよかった」

思える日が

来ますから。

 

 

自分が生きていられる間に

「死ぬ」

という結論を出すことは

「自分で自分の

 これからの可能性を殺すこと」

なのですよ。

 

 

 

僕が死のうと思ったのは ウミネコが桟橋で鳴いたから
波の随意に浮かんで消える 過去も啄んで飛んでいけ
僕が死のうと思ったのは 誕生日に杏の花が咲いたから
その木漏れ日でうたた寝したら 虫の死骸と土になれるかな

薄荷飴 漁港の灯台 錆びたアーチ橋 捨てた自転車
木造の駅のストーブの前で どこにも旅立てない心
今日はまるで昨日みたいだ 明日を変えるなら今日を変えなきゃ
分かってる 分かってる けれど

僕が死のうと思ったのは 心が空っぽになったから
満たされないと泣いているのは きっと満たされたいと願うから

僕が死のうと思ったのは 靴紐が解けたから
結びなおすのは苦手なんだよ 人との繋がりもまた然り
僕が死のうと思ったのは 少年が僕を見つめていたから
ベッドの上で土下座してるよ あの日の僕にごめんなさいと

パソコンの薄明かり 上階の部屋の生活音
インターフォンのチャイムの音 耳を塞ぐ鳥かごの少年
見えない敵と戦ってる 六畳一間のドンキホーテ
ゴールはどうせ醜いものさ

僕が死のうと思ったのは 冷たい人と言われたから
愛されたいと泣いているのは 人の温もりを知ってしまったから

僕が死のうと思ったのは あなたが奇麗に笑うから
死ぬことばかり考えてしまうのは きっと生きる事に真面目すぎるから

僕が死のうと思ったのは まだあなたに出会ってなかったから
あなたのような人が生まれた 世界を少し好きになったよ

あなたのような人が生きてる 世界に少し期待するよ