牡丹の花のつぼみがだいぶ大きくなってきました。

右に写っているペチュニアのように

たくさんの花を咲かせる存在もあれば

牡丹のように「一点集中」の存在もあります。

花も人間も同じ「自然の一部」で

それぞれが「宇宙の多様性」を

「表現」しているにすぎません。

花もわたしも

「同じ地球に生きている同じ命」

です。

「花よりも人間のわたしの方が上」と

無意識に思っている限り

あなたは

「本当のこと」に気づけません。

 

 

ダリアの芽がだいぶ出てきました。

 

 

なぜか、鉄のフライパンを

シーズニングして育てたいと

買ってしまいました。

その理由が理解できない先に

わたしのどんな理解が

待っているのでしょうか。

その理由が得られなくても

「自我の理解」を超えて

「魂の求め」に応えることが

「わたしが生まれた意味」

近づくことだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

わたしたちは

 

「自分の内側にある不足感」

 

 

「こういう理想の自分になれたら」

 

 

「自分の外側にある現実」

 

 

「満たそう」

 

 

しますけど

 

その願いは叶いません。

 

なぜなら

 

あなたの内側が投影されて

 

スクリーンに映っているのが

 

あなたが出会う現実であって

 

あなたが

 

あなたの内側で

 

「これがない」

 

「これがたりない」

 

という

 

「不足感」

 

から

 

何かを

 

求めている限り

 

いつも

 

「これがない」

 

「これがたりない」

 

 

思っている自分と

 

また出会うだけ

 

です。

 

 

 

 

 

 

 

でも

 

本当は

 

あなたが

 

「ないもの」

 

「たりないもの」

 

だけに

 

意識を向けているだけ

 

であって

 

「すでにあるもの」

 

「すでにたりているもの」

 

 

意識を向けられていないだけ

 

なんです。

 

そこに

 

「意識を向き変えること」

 

 

できたとき

 

あなたは

 

あなたが決めつけていた

 

自分の人生の

 

「自分が気づかなかった側面」

 

 

気づくことが

 

できるようになるのです。

 

 

 

 

 

 

あなたの人生は

 

愛でできています。

 

愛とは

 

あらゆるものを含んでいて

 

自我が一方向から見て

 

「こうだ」

 

 

決めつけることが

 

できないものなのです。

 

それが

 

「なんでこんなことが

 わたしの人生で起こるの?」

 

 

あなたが混乱する原因に

 

なっていることです。

 

 

 

 

 

 

 

「どうすることが

 正しいことなのか」

 

「どうすることが

 自分の身を守ることなのか」

 

から

 

「どうすることが

 自分で自分を

 ここちよくさせることなのか?」

 

 

あなたが

 

「人生の舵を切ったとき」

 

あなたは

 

「自分の中から」

 

あなたが本当に欲しかった

 

「答え」

 

 

受け取ることになるでしょう。