わたしは

 

家族も親戚もなくなってしまい

 

天涯孤独で

 

貯金もない

 

借金しかない

 

今いる職場でも

 

浮いた存在で

 

誰からも認められることのない

 

存在です。

 

56年生きても

 

自分が出会う現実が

 

金がなく

 

孤独で

 

誰からも認められない

 

「その現実が変わらない」

 

その体験を通して

 

ようやく気づいたことは

 

 

 

 

 

 

「自分が自分を愛していない限り」

 

「自分が否定せざるをえない現実」

 

 

「自分で自分に用意するんだ」

 

ということです。

 

 

 

 

 

 

 

「人生の救い」

 

とは

 

聖書や

 

悟ったひとの言葉の中

 

 

あるのではなく

 

わたしがわたしを愛し

 

わたしとつながることで

 

わたしの中の真実に

 

気づくことであり

 

かつて悟ったひとたちも

 

同じプロセスをたどっていたんだな

 

ということが

 

根拠もなく

 

そう思えたんです。

 

 

 

 

 

 

 

だから

 

わたしは

 

残りの人生

 

「自分で自分を卑下しない」

 

「自分で自分を愛する」

 

「いま起こる不都合なことは

 いつかの気づきのために起こっている」

 

 

そう決めたんです。

 

今回のブログは

 

ただその報告であって

 

あなたにとってなんの役にも立ちません。

 

 

 

 

 

 

わたしは

 

「結果を得るため」

 

にではなく

 

「体験するため」

 

 

生まれてきました。

 

自我は結果を求めるけれども。

 

 

 

 

 

 

 

桜ももう散ってしまいました。

 

 

昨日はこの海の前で瞑想していました。

 

 

今日は樗谿神社で瞑想したあと ホームグラウンドの

この海で瞑想していました。

 

 

そのあと、今滝さんに呼ばれて瞑想していました。

 

 

自分の持っているクリスタルを今滝さんの水につけました。

 

 

 

 

 

 

 

 

今滝さんの帰り、青谷上寺地遺跡に寄りました。

1800年前の人もこの写真と同じような空を

眺めていたのでしょうか。

 

雲は自由に形を変えながらいつか消えてしまうことを

あたりまえに受け止めています。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは

誰と比べることなく

このわたしを

生きることを

決めました。