前回は
中学校時代①〜校則という名の規律
校則についてのお話をしました。
今回も
中学校のお話です。
カトリック系の学校でしたので
敷地内に修道院があり
神父様やシスターが常にいる環境でした。
私の家はカトリックではありませんので、
修道院に足を踏み入れるのも初めてです。
年に数回だけ
修道院でのミサに参加したり
新婦様のお話を聞くという機会がありましたが、
普段の時は
ひっそりしています。
夏休み
たまたま、勉強するために
私は学校にいました。
生徒も先生も少ない。
そんな中、
誰もいない修道院の前を通った時、
ちょっと中を覗いてみたい
そんな衝動に駆られました。
「神父様、いらっしゃいますか?」
「。。。」
「シスター、いらっしゃいますか?」
「。。。」
奥の十字架のステンドグラスから
光だけが差し込んできて
すごく神秘的な気持ちになったのを
覚えています。
横にある階段。
この下を降りるとどうなっているんだろう。
シスター達が暮らしているところなのだろうか。
ここで何か行われるのだろうか。
何かに導かれるように
自然に階段を降り始める。
でも
階段の途中でふっと我に気づき、
怖くなり、駆け足で登って戻り、
走って教室に戻りました。
中学一年生の時
副担任がシスターで
シスターが毎日教室にいらしたので
いろいろお話ししたのを覚えています。
どうしてシスターになったの?
修道院でどんな生活しているの?
今考えると
失礼な質問もしたかもしれません。
でも
優しく答えてくれました。
おばあちゃんシスターだったのですが
あの服装で
体育の時に一緒に大縄跳びをしたり
一緒に走って転んで怪我をしていたりして
「規律」や「教え」みたいなことは一切言わず
いつもニコニコして
みんなのお母さんのような存在でした。
朝の祈り
食前食後の祈り
年に数回ある全生徒で行われるミサ
授業に
週に一回「宗教」という授業があり
聖書をひたすら読んでいく
という授業です。
この授業は高校まで6年間続きます。
信じるとか信じないとか
いいとか悪いとか
そういうことではなく
「宗教」というものに
興味を持つきっかけだったかもしれません。
20代のフランス滞在中に
様々な宗教の人に出会ったことがきっかけで
イスラエルに長期滞在したり、
中近東に一人旅に行ったり
インドに長期滞在したり。
人はなぜ
「救い」を求めるのだろう。
人はなぜ
「教え」を求めるのだろう。
それが
ヨガ哲学を学ぶきっかけにもなったと思います。
次回は中学校時代③〜天地創造
に続きます。