5 布教ー無私の奉仕の教え・・・② | Yoga Bija

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ヨーガを愛する皆さんの生活の起点。
心の拠り所の【場】です。

 

 ひろみです。今年もあと1ヶ月。

慌ただしい毎日の中でも、一つ一つ大切に、を心がけております。

それでも「あれもこれも…」と焦っておりましたら、家族にひとこと言われました。

「そんなときは、肩の力を抜いてにっこり笑いましょう」と。ヨーガな人がここにも。

 

 一九四七年七月十日には、シヴァーナンダ・アーシュラムの現総長でもあるチダーナンダや、現在アメリカで活躍中のサッチダーナンダがイニシェーションを受けました。

 スヴァーミー・シヴァーナンダはまた、「汝の敵を愛せ。汝と同じように彼らも愛せ。害を与えられても、善い行いで返せ。汝を軽蔑し迫害する者のために祈れ」というキリストの言葉の信奉者でもありました。

 そして、この言葉を身をもって弟子たちに示す出来事が実際に起こりました。一九五〇年一月八日のことでした。その日、シヴァーナンダはいつもと違って、大きなターバンを巻いて夜のサット・サンガに出席しました。サット・サンガを行っている最中、ゴーヴィンダンという男がホールに入って来るなり、いきなりシヴァーナンダの頭を凶器で殴りつけたのです。周りにいた弟子たちはびっくりして、何がなんだか分からないまま彼を取り押さえ、部屋に閉じ込めました。サット・サンガはそのまま続けられ、いつもどおりに終わりました。

 サット・サンガが終わると、シヴァーナンダはゴーヴィンダンに会いに行きました。弟子たちは、自分たちのグルを襲ったゴーヴィンダンを今にも打ちのめそうとしていましたが、シヴァーナンダは弟子たちをとめました。たまたま弟子のうちの一人が、ゴーヴィンダンは札付きの悪人で、今までにも何回も警察に逮捕された前歴があることを知っていました。しかし、シヴァーナンダは一向にゴーヴィンダンを叱りもしないし、警察に突き出すこともしません。反対に、シヴァーナンダは興奮している弟子たちに言いました。

「ゴーヴィンダンを叱ってはいけないよ。わたしたちの義務は、悪い人を正しい人に変えることなんだからね。だって、正しい人を善い人にする必要なんかないのだから」

 シヴァーナンダは翌日、ゴーヴィンダンに生まれ故郷の南インドまでの切符とお金を渡し、「オーム ナモーナーラーヤナーヤ」というマントラを毎日唱えることと聖典を読むことを約束させ、何か必要なものがあったら連絡するようにと言って、彼を送り出しました。

 

 シヴァーナンダは、著書と月刊誌を発行するため、アーシュラムに印刷機を購入しました。弟子のうちの一人がシヴァーナンダに訊ねました。

「アーシュラムは瞑想するところなのに、グルジーはなぜアーシュラムに印刷機を入れたのですか」

 シヴァーナンダは答えました。

「それは無私の行為をとおしてお前たちが早く進歩するようにだよ。しかも、世界中の大勢の求道者たちにたくさんの本を配れるからね」

 シヴァーナンダはアーシュラムに来た人たちみんなに著書を無料で配りました。弟子たちは、読み書きのできない人たちにまでなぜ著書を配るのか理解できませんでしたが、「無学の者に配ることによって、彼らは読み書きのできる自分の子どもたちに何が書いてあるかを聞くことになります。そうすれば両方の勉強になるでしょう。あるいは、彼らは本を読める人や興味を持っている人にあげるでしょう」というのがシヴァーナンダのねらいでした。

 シヴァーナンダはできるだけ多くの人たちに精神的な智慧を伝えたいと思い、一九六三年にマハー・サマーディに入るまで、三〇〇冊以上の本をエネルギッシュに書きあげました。

 忙しい毎日なのに、どうやってそんなに本を書く時間を見つけることができるのですかという弟子の質問に対して、次のように答えています。

「毎日、あるいは二日に一度でもいいから、そのために一時間を割り当てるようにするんだよ。六ヶ月も経ったら、こんなにもできたかと驚くだろうよ」

「まず最初に、心のうちにそのための計画と方法を考えておき、それから実際に進めるんだよ」

 アーシュラムの出版担当者は、タイプするようにとノートを預けられても、なかなかすぐには戻せませんでした。このため、シヴァーナンダはたくさんのノートを持たなければなりませんでした。また、書きたいと思ったときにはいつでも書けるようにと、書斎に何冊かのノートを置き、オフィスにもまた何冊かを置いていました。ペンも何本か持っていました。メガネも、書斎に、棚に、オフィスにと、いくつも置いていました。これらを探すのに無駄な時間を使うことがないようにです。

 ライトも、ベッドのすぐ側に、書斎の机の上に、くつろぐときに使う椅子の上にと何本かありました。たとえ真夜中であっても、よい考えが浮かんだらすぐに書き留められるようにしてあったのです。

 かつて弟子の一人にこう言ったことがありました。

「わたしは書くことをやめることはないよ。眼が見えなくなるまで書き続けるよ。たとえ眼が見えなくなったとしても、きっとだれかに書き取らせるだろう。死ぬまで精神的な教えを広め続けたいと思っているよ」

 シヴァーナンダは、文法に気を遣ったり、高度な文体で書き上げるというようなことはまったく考えていませんでした。彼の主な関心は、できるだけ早く精神的な智慧を広めるということにあったからです。

「わたしはお前たちが、短時間で最高の精神性を見いだしてくれることを信じているよ」とマドラスの弟子に書いています。

 シヴァーナンダは、書くという行為を通して奉仕をしていたのです。ペンは彼の武器ですが、それを優しく使いました。彼は厳しく批判したり、強引に説き伏せるということはせず、自らの精神的な深さと知的な説得力によって書いたのです。自分の教えを読者に伝えるためには、あらゆる文学的方法を取りました。詩、劇、手紙、エッセイ、物語、譬え話、金言、講演録など、神聖なる智慧を広めるために、あらゆる手段が取られたのです。使われる言葉もたいへん簡潔なもので、明快で分かりやすく、生き生きとしています。

 熱心な求道者がシヴァーナンダに訊ねたとしましょう、「いま、わたしは何をしたらよいのでしょう?明日の朝は何時に起きたらよいのでしょう?スヴァーミージーは、わたしが何をするのをお望みなのですか?」と。

 このような修行者にとって、シヴァーナンダの本は天からの恵みのようなものです。なぜならば、100%実践的なものだからです。

 

『シヴァーナンダ・ヨーガ』 成瀬 貴良 編訳

ひろみ