3 出家-絶対的な安らぎを求めて・・・① | Yoga Bija

Yoga Bija

SERVE
LOVE
GIVE



ヨーガを愛する皆さんの生活の起点。
心の拠り所の【場】です。

 

マレーシアへ渡ったシヴァーナンダさんのその後。彼の心を痛め思い悩ますものとは・・・。



出家

 若い医師クップスワミの中に宗教的な資質や傾向が少しずつ芽生えはじめ、サンニャーシンやサードゥの仲間を求め、宗教や哲学の本を頻繁に読むようになりました。本箱はこれらの本であふれ、夜遅く起き出して読み耽ることもしばしばでした。

 サンニャーシンやヨーギーが近くを通ると、たくさんのお布施を持たせました。時には数日間滞在させ、彼らが汽車で次の目的地に向かうときには、ファースト・クラスの切符を渡していました。

 あふれるほどの豊かな思いやり、心からの慈しみ、貧しい人たちへの奉仕は、若い医師クップスワミの精神性を高め、精神生活の支えになりました。

 しかし、クップスワミはこの頃から、この世が不幸と災いに満ちていることにとても悩むようになりました。どうすればこの世に平和と安らぎが訪れるかということを真剣に考えていたのです。周りの人たちは、いつも元気なクップスワミがまったく元気を失い、何か考えこんでいる姿を眼にして心配になりました。

 後に、この頃のことを次のように語っています。

「この人生の中で、毎日の事務的な仕事よりも、もっと高い使命はないのだろうか。一時的な悦びや快楽よりももっと高度な、そして永遠の幸福はないのだろうか。なんて人生は不確かなものなのだろう。この世に存在しているものは、なんと脆いのだろう。この世は病気、心配事、不安、恐怖、失望などに満ちあふれている。名前や形あるものは絶えず変化している。時はとても速く過ぎてゆく。この世の幸福への期待は、苦痛と悲しみと絶望に終わってゆく」

 実際、医師であるクップスワミの周りは、どこに行っても、肉体的にも精神的にも苦しみ悩んでいる人たちばかりでした。彼の心は、貧しさや病気で苦しんでいる人たちのために血を流し、その悲しみがクップスワミの心を引き裂きました。

 このような人生における重大な時期に、彼は病気で苦しんでいるサードゥを診療するということがありました。サードゥは、クップスワミの献身的な看病を喜び、彼の中に何か高貴な霊的輝きを見、やがて世界的な指導者になるであろうことを予言します。サードゥは彼に何冊かの本を渡してよく読むように言い、彼を祝福しました。その中の一冊はヴェーダーンタ哲学の本でした。クップスワミも、神がこのような機会を与えてくださったことに深く感謝しました。貧しく、病気で苦しんでいる聖者への無私の看病が、クップスワミを精神的な道に導き入れたのです。
 無私の行為を通して心が純粋になるにつれ、クップスワミは新しいヴィジョンを得るようになりました。清純な優しさと神聖な輝きに満ちた「家」があるというヴィジョンです。そこには絶対的な安らぎや、永遠の幸福感が満ちています。そのような家は、自己実現を通してしか得られないということを直感したのです。
 クップスワミはある聖典の中の言葉を思い浮かべました。それは「平静さを得た日が、この世を離れる最善の日である」という言葉です。
 そして、ついに病院を去る決心をします。

 決心した次の日にはマレーシアを発ち、母国インドに向かい、真っすぐ生まれ故郷に戻りました。久しぶりに息子の顔を見た両親は大喜びです。
 クップスワミはしかし、皆が慌ただしく歓迎の準備をしていている間にどこかにいなくなってしまいます。家族の者たちは古い友人に会いにいったのだろうと思い、夕食までには帰ってくるものと思っていましたが、何時になっても戻ってきません。
 心配した家族が手分けをして近所中を捜し回りましたがどこにもいません。見つからないのも当然です。皆が捜し回っているとき、クップスワミは駅で、北へ向かう汽車を待っていたのですから。そうとは知らない家族の人たちは何日も何週も待ちました。しかし、クップスワミは二度と家には戻りませんでした。


~・~・~・~・~・~・

 

『シヴァーナンダ・ヨーガ』 成瀬 貴良 編訳


Emi