私がヨガを通して伝えたいこと(2) | ​瞑想とヨガと発酵で養う、ホントの自分

8/23の記事の続き。

まずは前回の記事を載せておきますね。

私がヨガを通して伝えたいこと(1)

 

◾️DoingとBeing

                                                                    

 

やる!ということに全力になり過ぎた。

それでいいクラスはある。

私の受け持つ2クラスのうち、後半はそういうクラスにしている。

前半の静的なクラスの話だ。

 

 

みんなの悩みは大体、

首コリ肩コリ腰のコリ。

 

アライメント(並べる・整列の意。運動においては、骨や筋肉を構造に基づいて配置すること)の問題が大きい。

生活の中・ヨガの時間の中・それ以外の時間...

身体を観ること、整えるとはどんな感覚を伴うのか、自分の身体にはどんな可能性が眠っているのか、

少しでも生活の中で気づきにつながってほしいと、

そういうことをやり始めて

早2年が経った。

 

生徒さん達は

流動的なこんな私のクラスに

毎回足を運んでくださる。

 

よくも飽きずに嫌にならずに

来てくれるもんだと、

有難く不思議に思う。

だって60分足首と足指しか動かさないんだよ。

正直ドキドキしながらやったけど

みんなの反応が

いつもより大きかったりして。

みんなもマニアックになったなぁ笑

 

 

などと

生徒さんたちの変化を見ながら

私なりに寄り添ってきたが

今度は「DO」の世界から抜け出せなくなってしまった。

 

瞑想の世界には

「Doing」=能動的に何かをするモード。

「Being」=ただ在る、ただ観るモード。受け入れる、受容する。

がある。

修習と離欲ともいう。

 

何かをやってやってやって努力したのち、

最後は放棄する。

この放棄が何よりも大事なのだ。

 

体感や内観をアライメントを通して、身体の感覚を得る。

それは、何かをするモードに過ぎない。

 

この現代です。

「何もしない」ということがそもそも苦手な人が多い現代ですww

何かするモードが良いことだと捉えらえがちな現代ですよ。(もういいですか?笑)

 

ある側面を重点的に行ってきたら、

もう一方がおろそかになった。

 

ポーズの最中、

みんな丁寧な身体の動かし方が随分とできてきた。

呼吸を観る。身体の感覚を観てアライメントを整える。

少し時間が空くと忘れちゃうくらいだけど

少しずつできてきた。

 

シャバーサナの時間以外(シャバーサナは難しいから今は置いておいて)

最後まで静的に能動的だ。

見た目にはそうでなくても、

心の眼が少しアクティブになり過ぎてしまった。

この2年、私がそういう生活をしていたからだ...。

 

 

 

◾️ラージャヨガ

                                                                    

 

そう思っていた時、

3週連続のクラスがきた。

 

特に何も考えていなかったけど、

なんとなくワークショップ的に、

前半ではラージャヨガを

を行うことにした。

(ちなみに後半は太陽礼拝とヨガニードラ)

 

ラージャヨガとは、

ハタヨガを瞑想的に行うもの。

最古の古典のヨガで

王様のヨガとも言われている。

 

私の師、綿本彰先生のラージャは

前半に準備運動がある。

 

それこそ、

足首。手首。肩回し。首回しなど

小さな準備運動を時間をかけて行う。

 

これを本当に感覚的に行った時

ものすっごく心地が良く

自分の中にある美しさを

無数に知る。

 

初めたばかりの頃、

これが何が楽しいのか全く分からなかった。

それこそ、

瞑想風でやっていた。

 

大きな動きより

小さな動きを丁寧に行うのは

実は難易度が高い。

 

そもそも地味な小さな動きを

キャッチするのが好きな私だから、

こういうことを追求している。

 

この2年でやってきたことだ。

みんながわかっているかはわからないけど。苦笑

 

 

ラーシャをやろうと決めてから、

そろそろ、

心に効かせるヨガをしても

いいんじゃないかなぁ?と思った。

 

そして、試しにやってみた。

 

みんなどう感じているか分からないけど、

私側に大きな変化があった。

 

 

◾️心に触れるヨガ

                                                                    

 

それは、

身体のことか優先になったあげく

伝えたいことを伝えられなくなっていた。

 

直接的に言葉にすることが

怖くなっていた。

 

みんなの空気を読んで(読めないくせに)

少しでも違和感を感じることに

敏感になっていた。

中には内観を少し苦手とする人もいるからね。

 

もちろん急にそういう方向へ転換するのではない。

施設の基本的な考えや生徒さんがありきの上で、

寄り添いながら、

心に触れていく時間にしたいと改めて感じている。

 

 

とてもおこがましいことだが、

ヨガという時間を過ごしたことで

何かしら、ほんの少しでも、

みんなの中に何かが残ったらいいなと思っている。

 

心の方に寄り添って生きてほしいと願っているから。

私がヨガを通して、そういうことを学んできたから。

それが私の好きなヨガの在り方だから。

 

伝えたいことが伝えられない、

心から望むことを押さえつけてしまったら、

私はもうヨガをしなくなるだろう。

この2年がまさにそうだった。

私生活でヨガをしなかった。

できなかった。

 

そこを経て、私の生活にもまたヨガが戻っている。

私のヨガを新たに表現する時がきたのだと思う。

少しずつ形にしていく。

 

みんながどう感じるかはわからない。

私もどんな表現になるのかわからない。

でも

次のフェーズにいくよ。

 

ヨガの時間を

優しい愛ある時間に。