それを忘れると
単にヨガができる人に留まってしまう
アサナ(ポーズ)はなんのためのあるんだろうか
ブラティーピカー、サンヒターなどに書かれたアサナを見ると、あきらかに「生きる」に直結したものばかりで、基本的な「生きる」の快適のためだったりする
難解なポーズや深い前屈や後屈も本来ある機能性とは何か教えてくれていて、元々のあるべき場所(骨や筋肉、臓器)を教えてくれる
だからハタヨガの練習をすればするほど
姿勢は整い快適な動きを持つはず
冷えや浮腫を取りたいなどという目的があったら
それは解消されていくはず
そんな練習を自ら見出していくことが大切だと思う
アサナの取り組みをどれだけわかりやすく丁寧に教えられる先生がいても、普段の立ち姿勢を見て残念になりたくない
しかしながら、多くは難解なポーズをしている姿を見て賞賛を与える方々が多いわけで、
そもそも
なんのためにヨガをしているのか?
を忘れてしまうんだと思う
面白いもんで、人は忘れる機能を持っている
ヨガはそれもわかっての教えだったりするから
やっぱりすごいな
というお話