寛大な心 | Tomokoの”White note"

Tomokoの”White note"

女性の為のヨガの第一人者✨
シングル歴17年〜再婚〜高齢出産、17歳差姉弟のママ✨
女性の健康に関わるお仕事をして30年。
産前産後運動やケア、ホルモンバランス療法セラピストなど全ての女性を健康にするお手伝いをしています

私には「優しさ」や「思いやり」がもっと必要なんだろう。

人生のあらゆる場面で「わかってはいるけど・・・」という自分の中で理解は出来るけれども、こうであって欲しいとかこうあるべきだという観念が働いたりする。

私は自分の人生経験の浅さが自己概念を強く働かせた出来事と出くわしました。

今日、娘のピアノの発表会でした。
これで4度目の発表会。
先生は普段はOLをされていて、土日だけ教えてくださっています。
子供達に音楽を通して、創造性や表現の豊かさを教えてあげたいとおっしゃっています。私も娘も先生が大好きです。
発表会は先生と先生のお知り合いのピアノ教室の方と合同でいつも行います。ピアノやエレクトーン、アンサンブルといったものがあったり、曲目もクラシックにこだわりません。
私は子供達が楽しそうに演奏するので毎年笑みを頂きます。

最後に必ず先生が挨拶をするのですが、お知り合いの先生がされるのです。(これはきっとうちの先生の配慮でしょう。先輩っぽいので)

感情豊かなその先生はいつも涙されます。
ということは、私はここ4回ずっとそれを見ているわけです。
アットホームな発表会ですし、先生の感激した気持ちもわかります。
ただ、本当にがんばって練習してきた子供達にエールを贈るならば、それを見にきた人にも伝えたいのであれば、
涙が溢れ出る状態でもしっかりと伝えるべきだと私は思うのです。
「もう泣いちゃってダメですね。」とか言って挨拶もままならず・・・。
1回目ならともかく、もう4回同じように見ていて、1度くらい凛と立ち話しをしてもらいたいなと感じました。

これは同じ指導者だからか?
親としてそう感じたのか?

私は考えました。

感極まってしまうのは、わかるのですが・・・です。

私がもっと思いやりを持ち得ていたのなら、ただ優しい気持ちで大きな拍手を送れたのでしょう。
しかし結果は違いました。
少し残念な気持ちで拍手を送りました。

きっと残念と思ったのは、私のエゴです。

まだまだ、いえ!いつまでも人生の修行を続けていくんだと考えた今日でした。





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