皆様、こんばんはー。
ブログをUPDATEすると言ってから、またまた1か月位たっちゃいましたネ![]()
まずは一曲。
最近、私がハマってる、イスラエル出身の「Idan Raichel Project」

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1クリック to the 中東!)
この中に、 「Boee come with me」と言うタイトルの曲があるのですが、ぜひぜひ聞いてみてくださいナ。 今、私の一番のお気に入りの曲です。
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さてさて、
お待たせいたしました!
「インド~ネパール~イスラエルの旅 2008」 UPDATEしていきます![]()
旭川空港から、韓国の仁川空港へ。
仁川空港で27時間を過ごし、次の日にインドへ飛ぶ。
空港から乗ったタクシー
左が空港で知り合った「デ●ップ」。右が●ータン王国王族の御子息。
デリー近郊、王族ファミリーの家で3日程ホームステイさせて頂く。
この時期のネパールは選挙が始まる次期で、情勢も良くない。
でも、この時期を逃したら、ネパールに入国するのはもっと大変そうだから、ネパールに渡ることを決意。
デリー郊外の「チべタン難民自治区」から、バスに乗ることに決め、取りあえず自治区で一泊。
ダラムサラに「ダライラマ14世」が説法に来ていた。
なので、インド各地からダラムサラへ向かう経由地として、デリーにたくさんのチべタン坊さんがが自治区に。たくさんのお坊さんと「チベット」の現状について話す。
話すよりも、目の前でみた悲しい現実がそこにはあった。
レストランで食べていると、その隣に若い男の子。
レストランの中なのに、その子は中国製のカップラーメンを夢中で頬張っていた。
やせ形な彼の顔や服は真っ黒に汚れていた。
片言の英語とジェスチャーでの会話が始まる。
彼はチベット出身の18歳。
チベット仏教の勉強がしたくて、遠くヒマラヤ山脈を越えインドへ渡る。
彼は一か月かけて、雨の日も雪の日も危険な道中を、たった一人っきりで歩いてインドに亡命してきたのだ。
「一度、亡命すると、2度とチベットの地には足を踏み入れることはできない。チベットに残っている両親とはこの人生でのお別れをしてきた。」と、話す彼のまっすぐな目・やせ細った体を見て、胸が熱くなる・・
現実を目の前にして、状況は簡単に終わるものではないな・・・と、その夜はなかなか寝付けなかったのを、今でも鮮明に覚えている。
FREE TIBET!
次回は「インド~ネパールへの旅2」 です。



