品川区 ヨガファミリーです
本来なら1年かけて習うことを、6日間の短期集中講座で
「ギュー!!」と詰め込んで学んだYIC。
全9回の講座も1日で2回分受けるので、もう頭パンパンでした。
講座終了後、テキストを何度も読み返して、お正月休みを利用して
宿題を書きました。
2018~2019年の年末年始は、YIC一色でした
(この間、色々な番組で「U.S.A.」を見ながら踊ったのが、私の息抜き)
今回は、「智慧のヨーガ」とも言われるギャーナ・ヨーガについて。
後に習うバクティ・ヨーガが右脳なら、こちらは左脳と言ったところでしょうか。
詳しいことは、他のサイトで見てください(丸投げ)。
宿題には書いていないけど、この講座を通じて「自己放棄」
について改めて考えました。
「自己放棄」と言う言葉、ヨーガを語るうえでよく出てきますが、私には
なかなか理解できず。
何せ、自分のことが大好きな私(「私イケてる、最高」と常に思っている)なので。
講義の中で、
>>自己放棄と自暴自棄は別物。自暴自棄は、「自分はちっぽけな肉体である」
「汚れた小さな心である」と思い、結果、他人の体を犠牲にしても自分の体を
守ろうと考えてしまうのだ。
これを聞いたとき、「腑に落ちた」と感じました。更に、自己放棄は自己犠牲でも
ないことも。「自分に対する執着を捨てる」と言うことと、理解しています。
これが分かったことが、YICを受けた大きな収穫だと思っています。
前置きが長くなりましたが、ここから2回目の宿題です。↓↓
コピペは禁止ですよ!
1)スミス・ヴィヴェーカナンダ大師の「ヒツジとライオン」の例え話。
人間は、育った環境・経験により、固定観念や思い込みを持つことがある。しかそれらを外すきっかけ(人との出会いや経験)により、自分の真の姿に気づくことができる。
シンプルに言うと上記のようなこと。これを深めて考えていくと。
人間は、「自分には無理」と、自身の限界を決めつけていることがある。しかし、実際に行動を起こすと、思った以上の力を発揮できることがある。自分自身を認めると、様々な可能性が広がってくる。そのためには、人との出会いや経験も「異なるもの」と拒まず、受け止めてみることは大切である。
→自身に当てはめると。
私は子どもが大嫌いだった。10代の頃は、結婚しても母親になりたくないと思った(故人の名誉のために書くと、自身の母親との関係は概ね良好だった)。
しかし、結婚して夫との生活は楽しいが、このまま二人だけで生きていくには人生長すぎるし、母親になって新しい経験をするのも悪くないかも(安易とも言えるが、軽い気持ちでいたのが良かったのかも)と思い、夫と話し合った上で、親になることにした。
2005年長女を出産。最初の子育ては無我夢中で、自分が子ども嫌いということも忘れるくらい。長女が寝返りを始めた4か月くらいに、初めて「かわいい」という気持ちを持った。私もこんな気持ちが持てるのだと、驚いたと同時に嬉しくなった。日々のお世話をするうちに、ジワジワと母性が湧いてきたようだった。
それから13年。相変わらず、私は子ども嫌いである。ただ、「行儀の悪い子ども」「優しくない子ども」がである。子育てを通して、自分はどういう子どもが嫌いなのか、分かってきた。そして、他人の子どもを何の躊躇もなく叱る、「怖くてイヤーなおばちゃん」になっている。
追記
私は「妊娠・出産」は、大変なことがあったけど「好機」だと捉えている。しかし、ヒツジに育てられたライオンは、自身がライオンと気づいたことが幸せなのか疑問だ。そのまま、ヒツジ達と一緒に暮らしていた方が幸せなのでは(もう1匹のライオンは、無理やり湖に連れて行くので)、とも考えてしまう。
真の自分に気づくことや意識を変えることが、必ずしも幸せとは言えないのではないか。
2)「幸福の定義」の3要素
①内心の状態が、「良い集中状態」にあるときの心
映画館で、映画を鑑賞しているとき(自宅でDVDを見ているときは、良い集中状態にはなれない)
②心がゆっくり動いているとき
時間に急かされず、空いた電車に乗ってボンヤリ外を眺めているとき。
③内心の静けさ/無心さを感じているときの心
ヨーガのアーサナを取っているとき。趣味の空手・ダンス・ピアノは激しく動くが、動くことに集中しているので、無心を感じられる。
・自身の幸福感の変遷とヨーガ
ヨーガを習う前は、ダンスを習っていた。根が目立ちたがり屋なので、自分を精一杯表現して、「カッコいい自分」になるのは楽しかった。
妊娠でダンスは止め、産後子連れ可能なヨーガ教室に通った。その頃は、ダンスの代わりに体を動かせることをして、体を引き締めたいと思っていた。実際体はよく動き、講師から「体のラインがキレイですね」と言われ、調子に乗り喜んで通った。
ある日ふとテレビを見ると、プロのダンサーが踊っていた。いつもなら、「上手いな」で終わるところだが、この人はこんな難しい振りを笑顔で踊っているのだろうと思った。対して、
以前見たダンサー(アマチュア)で、上手だが見ていて疲れる人もいて、この違いは何なのかと、疑問に思った。気づいたのは、呼吸の有無だった。上手い人は踊りながら呼吸を続け、酸素不足にならないので、表情にも余裕が出てくるのだと。
自身を振り返れば、ダンスをやっていたとき呼吸を意識したことはなかった。難しく苦手な振りのときは、息を止めていたように思う。上手い人は努力や素質だけでなく、ヨーガをしていなくても呼吸を意識できるのかもしれない。
意識的な呼吸は、物事を楽しく上手にすすめていける方法なのかもしれない。そう考えて、少しずつ日常生活の中でも呼吸を意識するようになった(特に嫌なことがあったとき)。
縁あってダンスを再開することができたが、10年近くのブランクがあるにも関わらずそれなりに踊れるのは、ヨーガを続けてきたからか。年齢考えると、息が上がってもおかしくないのに、平然としていられるとき、その効果を感じる。
妊娠してダンスを止めたとき、不思議なくらい執着はなかった。だから、また私のところに戻って来たのかもしれない。
ヨーガとダンス(そして空手)、やりたいことに囲まれて、幸せだなと思う。
3)アイソメトリック負荷について。
・声出しをする理由
声を出すことで、意識が内面に向き、集中できるから。
・負荷なしの指導
高齢者-負荷の掛け方が分からず(2分の1、3分の1、4分の1の違い)、最大筋力で負荷を掛ける危険性があるから。
交感神経優位の心身状態を持っている人-心理作用速度を原則させるから。
・負荷ありの指導
初心者-意識が内面に向き、集中できるから。
体力のある人(動きたい人)-関節と筋肉が強化でき、アンチエイジング効果が期待できるから。
↑↑ここまで
読んでいただき、ありがとうございました。