もうずいぶん前の話ですが、依存症の家族の会に通ったことがあります。
すごくショックなことがあり、すがるような思いで飛び込みました。
自分でパソコンで調べて、その会の存在を知ったのです。
それまでは、そんなものと私の人生は無縁のはずでした。
泣きながら話す私を、よしよしと言うように初老の男性や女性が迎えてくれました。
20代の可愛らしい女性もいました。彼女もまた私と同じように信じていたものが足下から崩れる経験をしたのです。私の話を泣きながら頷きながら聞いてくれました。
私はこの会にどんなに救われたかしれません。
今でも感謝しています。
しかし、だんだん違和感を感じるようになりました。
それは、一言で言うと、「聞きっぱなし」を守れていないということです。
言いっぱなし聞きっぱなしにすること、こうしなさいとかこうすれば?という口を挟まないこと、という基本ルールのようなものがあるのですが、とてもそうは思えないようになってきたことと、
自分の話に酔ってしまう(と私が感じた)人が中心になってきたことです。
全国各地にこの会はあります。
その地区によっても多少雰囲気の違いはあるはずです。
私が通ったところは閑静な住宅街にありました。
教養のありそうな話しぶりをする女性が延々と持論を述べる日もありました。
例えば残り40分の時間制限のある中で、10人の人が順番に思いを吐き出そうとすると、だいたい1人4分だなと計算できますよね。話の短い人もいれば少しオーバーする人もいるので、だいたいの目安ですが。
その延々と話す女性はそういうことに気がつかないのか、気がついていても話に夢中になるのか、とにかく長かったです。苦しい胸の内を話すのではなく、前向きな話だったように記憶していますが。
で、その女性が例えば5番目に話したとすると、あと5人の人が話す機会があるはずなのですが、残り時間は5分だったりする。そうすると、「時間もアレですし、今日は私はパスでいいですよ」という人が出てくるわけです。
ちょっと違うところも行ってみようと、同じ会の別の場所にも行ってみました。そこは土地柄なのか(盛り場に近い)人数が多かったです。進行役の人がいきなりその日そこにいない人のことを語り出してビックリ仰天しました。
「あそこの息子さんはまだまだ立ち直っていない」的な話です。
さすがに参加者の中から「いい加減にしましょうよ」という声が出ましたが、
ああここはとんでもないわ、とその日1回行ったきりです。
でもまた住宅街のほうに通おうという気にもなれず、そのままになってしまいました。
詳細は書けないので、ざっと思い出して書きましたが、
本当に救われたし勉強にもなったので、今も運営を頑張っておられる方々には感謝しています。
ただ、私には少々しんどいところもあったという、そういう話です。