こんにちは、ちかこです。
訪問ありがとうございます。
炬燵に入りながらコーヒー飲んで、
まったりのんびりの休日に、ブログ書いております。
幸せですなあ。
実はこの「幸せ」をほぼほぼ、いつも感じています。
幸せだなあ…と、感謝するは一致していますね。
幸せだと、ありがたいなあと感じるし、
ありがたいと感じている時には、幸せを同時に感じますもんね。
前によく、阿部さんと黒斎さんの「阿雲の呼吸」という
コラボイベントに参加していましたが、
お二人が、この世界「感謝」で出来ているよね、
なんて話をしていたことを思い出します。
そして、それは言い換えると「愛」なのですが、
男の自分たちには「愛」ってこっぱずかしくて言えないよねって
笑って仰ってたことも覚えています。もう10何年か前の話だから、
今はもしかして、こっぱずかしくないのかもしれないし、
変わっているかもしれないけど。
でもね、本当に至福だと感謝がわき、
そして、この世界はすべて愛で出来ていると感じるんです。
ってことで、今回は前置き長くなったけど「愛」のお話。
またしつこく、藤井風くんのまつりの歌詞だけどさ、
最初のフレーズ、
「愛しか感じたくもない」
っていうかね、愛しかないんですよ。
この愛というのは、自我が語る愛とは違います。
2元の世界は裏表、愛にも裏があるのです。
たいていが、何かを求めていて、見返りを求めていて
愛のエネルギーが重いのです。
面白いことがありました。今って、スーパーで買い物をする時、
自分で買い物バッグを持っていくでしょ?
それに買ったものを入れて帰ってくるんだけど、
たまたま、たまねぎを出し忘れていたり、大根を出し忘れていて、
あれ?袋が重いなあと中を探ると出てきたりします。
で、ある時、またなんとなく袋を持ちあげたら重くて、
何か入ったままだったかな?と探っても、お財布と携帯くらいしかなくて、
「あれ~?出し忘れていなかったのに重く感じた」と独り言を言ったら、
それを聞いていた次男が「俺の愛が入っていたんだよ」と
くっさいセリフを言った。
「愛は重くないでしょ」と笑いながら答えると、
「いいや、愛は重いんだよ…。と、本に書いてあった」と…。
なんの本を読んだか知りませんが、
「本当の愛って言うのは重くないよ。それは2元の愛だ」
なんて答えたんだけど、その答えは息子はもう聞いていなかったようで…。
だけど、私自身が「あ!」と気づいたんです。
確かに、2元での愛は「重い!!!」
私もそんな重い愛を息子に向けていたのか!
そりゃ、重かっただろうなあ...と。
それって、言い換えると「執着」
普通、当然のようにこの世界では思っているのではないでしょうか。
息子が苦しんでいたら、なんとかしてあげたいと思う事。
大変な思いをしている人がいたら、救ってあげたいと思う事。
病気だったら心配して、悲しんでいたら慰めて、
困っていたら親切にしてあげて、何かを求めていたら、それを分け与えてあげる。
いいんです。それも別に全然いいのですが、
〇〇をしてあげる。してあげたい…という思いは重くって、
それが特に家族だったり、身近になると、
なんとかしてあげねば!とさらに執着になって重くなる。
相手にとっては足枷のような、知らないうちに鎖で縛っているような、
そのくらい重いエネルギーが相手に行っちゃっているんだろうな…と
それを感じたんですよねえ。
そして、なんとかしてあげたいとは、実は相手をコントロールしたいってことになり、
なんとかしてあげようと苦悩することになり、
なんとかしてあげられないと苦しみ、そういうエネルギーでいるようになる。
わあ、重いよね。読んでいても重くなるよね?
夫婦や恋人同士でも、相手を大事に思うと同時に、
相手にも大事に思われたい…と見返りを求め、
愛すると言いながら、同等の愛を得たいと思うだけです。
他の人に愛を向けることも許せなくなったりする。
子どもも、笑顔でいてほしい、幸せでいてほしい、元気でいてほしい、と
そう願うのは親として当たり前…と一般的に思われているでしょうが、
笑顔じゃない時も、病気の時も、落ち込んでいる時も、
子どもは子ども。変わりはないわけで、
それを変えようとコントロールする必要もないんですよね。
幸せにしたい…もエゴ。その思いは実は重たいもの…。
で、2元ではない世界では、ジャッジもないし、
コントロールしようという思考もないわけです。
まつりの歌詞、
「今ならすべて受け止めるから。」
まさに、それなんです。どんな相手も、どんな世界も、
あるがまんま、すてべ受け止めるのです。
そこには何の差もなく、比較もないんです。
そして、歌詞の中の、
「何も知ったこっちゃない。好きにしてください」とは、
観念やら、思考が出ようと、そんなの知ったことではない。
もともと、現れるものには意味なんてなくて、
思考で意味づけしようとしているだけのこと。
目の前の人がどんなであろうが、
自分がどんなであろうが、好きにしてていいですよ。
そのまんまで、丸ごとOKだから。ってことなんですよね。
これが、非二元的なと言いますか、自我ではないところの「愛」なんです。
すべてこの「空」に現れているものは、在るがまま許されている。
もう、そのまんま、愛なんです。愛しかないんです。
何もかも、そのままで愛されているのです。
どうぞ、目の前の世界、現れるもの、そのものを
そのまんま受け止めて下さい。
もし、嫌だと抵抗が出たら、その抵抗すらあるがまま、受け止めて下さい。
もし目の前の人が苦しんでいるように見えても、
そのまま、好きにさせてあげて下さい。
その時に、なんとかしてあげたい、という思いが出ても、
その思考も、好きにしてあげて下さい。
何もかも、変えることなどできないし、変えようとしなくてもいい。
コントロールできないし、コントロールしようとしなくてもいい。
そのまんまでいい!
それが「愛」なんですよねえ。。。
それは重くないエネルギーと言いますか、
逆に軽やかで自由で、なんの重さも深刻さもない。
何もない。
すんごく楽になっちゃうんです。
また、藤井風くんの「まつり」もアップするね。
これ聴いているだけで今ここに戻るし、
好きにしてくださいってフレーズは、楽にしてくれる。
ジャッジする思考をいっぺんに吹き消してくれるよ。
最後までお付き合いありがとう!
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