8月6日 | ベジフルで美×myself

ベジフルで美×myself

群馬の野菜ソムリエ&ベジフルビューティーアドバイザー。自分らしく日々を楽しみ、野菜や果物のような彩りのある毎日を綴ります


今日は
8月6日。


66年前
広島へ原爆が投下された日です。



私の祖母は
大正13年広島生まれ。


20歳になるその年
原子爆弾が投下された

爆心地から約1.2キロの

アパートの2階で被爆しました。


私は小学生の時に
祖母から原爆の話を聞き
夏休みの作文にしたことがあります。



その日は
青空がとてもきれいだったこと。


仕事へ向かう準備中、
回覧板を持ってきた
隣のお姉さんと挨拶をかわした直後、
ピカッと空が光り、
2階にいた自分が

気づいた時には1階にいたこと。


回覧板を持ってきた
お姉さんが

外で真っ黒になって亡くなってたこと。



家族を捜して

実家へ向かう途中、

がれきの山のなか

被爆をして

焼けただれた体の

たくさんの人たちが苦しんでいたこと。



市内を流れる川には

火傷をして水を求めた

多くの人たちが

亡くなり浮いていたこと。



地獄のような世界が

目の前に広がっていたこと。




祖母は

淡々と話し、

「ここまで」

と言いました。



その横顔がとても辛そうで、

それ以上聞くことはできませんでした。




祖母は両親と双子の妹を亡くしました。


仕事中の弟は、

体に大きな火傷の痕を負ったそうです。




私は被爆3世です。




被爆した方々が高齢になるなか、

体験談を聞くことは

次第になくなっていくでしょう。



爆心地から

1.2キロ内での当日の生存率は

50%とも言われている中、

ほぼ無傷だった祖母。


当時のことは、誰が聞いても、

「思い出したくない」

と、話すことを拒んでいた祖母。



親族の中でも、

とりわけおばあちゃん子だった

私にしか

原爆の話はしていないそうです。




被爆2世、3世の人間の

原爆による影響は

ないとも言われていますが、

まだ裏付けされていません。




祖母は今年で87歳になりますが、

元気に暮らしています。




母は

初めて受けた人間ドックで

何もなかったと嬉しそうでした。



私も元気です。





唯一の被爆国として

知っておかなくてはいけない事実

思い出すのも、話をするのも

とても悲しく辛い出来事だけど

わたしは未来へ繋いで行きます。