お遍路最終日:帰京・そしてそれぞれのやり直し | へんろ歌手の日々の歩みと音楽

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日々の活動記録と遍路文化紹介の記事を中心に

足摺岬での生死の葛藤からもどります。

神社でぺこり。


藤田賀子のよちころ


歩く足がすくみます・・・。


バスの時刻表をみると、そう遠くないうちにきます。

バスの向かい側で、もうおばちゃんたちが噂話しているのが

きこえます。


(ごしょごしょ・・・・どこどこで、お宿でお遍路さんが

 被害に遭って・・・こわいわねえ~)


噂話、早すぎ。


昼のドラマみたいに、きょろきょろとあたりを確認して

バスに乗ります。


心とは裏腹に景色は美しくて、涙が出ます。

なんどもこっそりぬぐいます。


藤田賀子のよちころ


そんなときに、バスにのってきたのが

今日とからのKご夫妻でした。


事情を話し、交通費をお借りしました。

※郵便局は田舎は日曜空いていない

コンビニなし。


中村駅にむかいました。


病院・・・と、バスの運転手さんにいいたかったのですが

動ける程度の怪我です。


とにかく先にかえることにしました。

安全確保が第一です


電車に乗り、高知方面へ向かう私を

Kご主人はずっとみおくってくれました。



その後何度か、やりとりを続けています。

影になり日向になり気にかけてくれたことわすれません。



時間をかけて回復してそして必ずお礼を

いいたいとおもっています。
藤田賀子のよちころ

ここで、やっと私は堀江くんに電話をします。

こんなに旅でお互い支えあったのに、

最後がなんて辛いお別れなんでしょう。。。


ありがとうも目を見て言えないなんて。


電話口でなきました。


堀江くんも、知らなくてごめんなさいと泣きました。


でも、堀江くんはなんにもわるくない。


たすけてくれて、そして、一緒に歩いて巻き込まれただけ。


加害者が愛媛方向に向かっていることを教えてくれたのも

堀江くんです。


命拾いしました。

多分愛媛方向に向かっていたら、生きていなかったでしょうね。


この最終日の出来事をそれぞれに悔やんで

次へ進んでいます。


堀江くんはこのあと、


「ちゃんと歩いたって、子供たちに言えない」


そう思い直して、

あえて困難なコースを選択して、この38番までの

コースを歩き直してゆくのです。


以布利遍路橋も写真を送ってくれました
藤田賀子のよちころ

デジカメを携帯でうつしてメールくれるあたりが

堀江くんらしいです(^^)


番組では、その後の堀江くんとして紹介しています。


電車の中、海はどこまでもあおくて

幸せそうな家族づれを見るのが辛かった
藤田賀子のよちころ


途中、私の足を見て

静岡からきていた出張の女性が

「足大丈夫?」

きかれました。


ひきって笑顔で、なんでもない!

と、つっぱねてしまいました。


四国四万十エリアはこうして

やり直しの宿題となったわけです。


藤田賀子のよちころ


安全対策と人を見極めること

変なところでけちらないこと

危ないことをしすぎないこと

無用心にならないこと


その上で取材とレポートを存分にたのしんで音楽につなげること。


私には回復と同時に大きな宿題が残りました。


高知で乗り換え

(このときも・・・きたむらくんに電話しても良かったんだよね

 でも、メールが繋がらなかった時点で諦めてた

 起きてしまったことをいま連絡ついてもどうしようもないから)


藤田賀子のよちころ


乗り換え10分。

お土産売り場改札の外(^^;)


高知県様~。

乗り換えで買いたい時にこれはかなしい。


というわけで遍路中は荷物が増やせなかった私は

お土産を買うことはかなわなかった。


中村駅で少しだけ買っておいたいくつかだけだったのは

そんな理由です。


(どこまでも今自分に起きている状況から現実逃避ですよね

 ここで降りて警察、でもよかったのに、待ち伏せされたらと

 こわかったんですよね)


(電車が香川県をすぎるときがもう・・・・がくがくしてました)

※加害者が香川からこういうことをしに来ていたことを

知っていたからです。




アンパンマン電車みながら


(わらえ!自分、つよくなれー!とおもっていた)


藤田賀子のよちころ


いまおもうと

そんなことより病院行こう???って思うけど。


我慢強すぎる私が病院にいったのは翌日でした。

東京にもどってから。

処置がすぐだったのちがって、

ありえないほど治療費がかかっています(いまも)


これの対処で書類云々、もいまはあるんです。

病院でも対応していただけてよかったです。


最初は悩みました。

でも警察にきちんと相談することに。


でもどうしたらいいんだろう。

親には言えないな・・・という心境から

時間がかかりました。


そして、1通のメールを高知県警におくったことで

電話がかかってきます。


ようやく事情をはなすことができました。



靴の底はすりむけていました。
藤田賀子のよちころ

そういえば、おもったんですが、

遠いところから来る方は「金剛杖」どうやってはこんでいますか?


竹刀を入れるようなケースが必要だなと思う次第です。

すごく・・・新幹線でぎょっとされたから。



東京についたのは19時


朝からほとんど何も食べることはできませんでした



現在もその状況はつづいていて、

人がいて明るく話ながらでないと

ほとんど量が食べれません。



好きなものを少しづつ食べて回復しています。



精神的なショックから立ち直ること、

体力の回復、



それにつとめながらもどってから仕事をつづけました。



ある程度のことをしてから、そうでないと休めない。



報告会ライブでみんなには元気な姿をみせたかったし、



この最終日に突然中継がなくなり、レポートが止まった

その時点でみんなは異変に気がついているだろうから。



いまでも、雨が降ると怖かったことを思い出します。

動けなくなることがあります。



時間をかけて自分で乗り越えてゆくしかありません。



起きてしまったことをどうしようもないけれど

命があって生きて帰って来れた。


こんな体験をしてしまった。

という私の強烈すぎる旅のレポートでした。



※実は終わりそうでここでおわりません。


つづく。