出産から休みなく始まる育児
それはそれは大忙しっ
自分にかまう暇も余裕もなく
(私が不器用なだけだけどw)
おっぱいあげて
ゲップさせてオムツ変えて
お風呂入れて
疲れて一緒に寝て
そんな感じの毎日が過ぎていく
忙し過ぎて
接触障害は出なかったけど
次々勝手にやってくる行事と
いい嫁でいなければと
まわりの機嫌をとる自分に疲れと
ストレスがかなりピーク
産後なかなか戻らないお腹の脂肪、皮に
愕然とする
メイクすらしない
やつれた自分を見て落ち込む
勝手に大きくなったおっぱいに苦しみ
母乳をあげることでかなり疲労していた
(母乳は血液と同じ🩸
母親は命懸けで我が子に栄養を送るのだ)
親になってみて
親の大変さを知ったり
違う目線で親を見るようになった
自分たち親子とはまったくちがう
環境の親子を知ることがあって
価値観は切磋万別
同じ親子関係は
一つとしてないことを知り
自分の価値観を知らず知らずに
相手に押し付けてしまっていたこと
押し付けてはならないことを知った
そして自分は本当はどう生きたいのか
育児しながらも
人生についてよく考えていた
(哲学者かw)
幼い頃の私とおじいちゃんと妹
ヘアーサロン母の
なんとも不思議な髪型の姉妹w
子供たちがとにかく可愛い
ということが
私の人生のすべてだったな
子供たちが小さいころは
その時ご縁があって仲良くしてくれた
親子がたくさんいて
公園や海で遊んだり
一緒に出かけたりもして
そのときはそのときで
楽しんで生きてはいた
でも心の片隅で
ここは私のいる場所じゃない
もっと他にやるべきことがある
っていう気がしてて
いつもそんなことを考えていた
そこから私はいろんな経験をする
結婚→離婚→裁判→事実婚→事実婚解消
とにかく気力と体力が必要な時期だった
はじめは
絶対離婚すると決めたことによって
とにかく働こうと行動して
縁あって始めた介護
それが今となっては
ものすごく大切な経験で
今に繋がっている
そのあとに働いた
フィットネスクラブもたくさん学ばせてもらい
フィットネス、マインドフルネスで
起業するに繋がった!
そうそうこの頃には
【自我】が強く目覚めてきていて
(というか思い出してきていて)
接触障害はなくなっていた
育児中
家に一日中缶詰めで
誰とも話さないなんてことが続くと
かなり鬱っぽくなり
時々吐いていた
表ではいい格好しいというか
腹のうちの黒い部分を
外に出さない代わりに
身体の内側に邪気が溜まっていたのか
時々オエーっ‼️って
悪いものを吐き出すかのように
吐いていたのを
覚えてる
子育て中っていうのは
本当に全く綺麗事ではなく
何も思う通りにならない
毎日がいつ非常事態になるか分からない
いつも緊張して
子供たちの安全に意識を向けている
ワンオペのママさんたちはみんな
そんな【必死】な毎日を
生きているのだから
世間は優しい目で
見守って欲しいと思う
子供たちはどんどん成長し
ますます可愛さは増していく
そして少しずつ
安全を守らなきゃという
必死の時期は終わっていく
子供のいる人生を
選びたくて選んでいるママたちも
思いもよらぬことに
時に傷ついたり
苦しんでいたりもするの
とにかく1番大変な時期を
走り抜けるように生きたい気がする!
年子3人育児奮闘期
とでも言いましょうか
私本当によく頑張ったと思う❣️
座る暇もないくらいの
育児奮闘記が書けそうw
きっとどこの家庭にも
いろんな大変なドラマがあるのよね❣️
特に離婚、裁判のころは
どんなに気を張っていても
押しつぶされるような苦しみがあり
何があっても子どもたちを守らないとという
思いだけて
精神を保っていた
それにこの時の経験が
今となっては
私をとっても成長させてくれた
どんなに辛くて泣きたい時も
人は笑える
どんなに死ぬほど辛いときも
許せないことの中にも
感謝できることが
たくさん隠れている
自分のしてきたことに
自信があるなら
どんな場でも揺るがない自信を
持って
意見できる
そんな精神力がついたし
本来なら恨みたい相手にも
感謝できるようになった
そして私の大変な騒動の一連を
1番支えてくれていた
今のパートナーは
私の接触障害を完全に治してくれた人でもある❣️
私が太っても
痩せても
ロン毛でも髪が短くても
シワが増えても
どんな私でも愛してる
そんなふうに
凝りずにたくさん伝えてくれる
愛情深い人❤️🔥
それがきっかけで
これまでのいろんな自分を
許すことができて
私は食事を心から楽しめるようになったのだ❣️