我が息子はなぜ自◯してしまったんだろう。

それは交通事故みたいなものだろうか。

例えば横断歩道を青でわたっていたら車がつっこんで来て惹かれてしまう。


この時もし家を出る前にトイレに入って、出るのがすごし遅れたら轢かれることはなかったはず。


息子も、もし現場に行く途中、友達とかに会って遊びに行く約束なんかしたとしたら、

実行は少し伸びたかもしれない。


そして、心も落ち着いてそこまで至らなかったことも考えられる。


さらに考えると発病の原因になったカウンセラーその人に出会わなければ違ったかもしれない。


全ては出会い頭の積み重ねが、招いた事なのか。それを運命というのかもしれない。


何か屁理屈。


そうでも考えなければ、今ここに息子がいないことを認めることができない。


交通事故と同じ様に不運な事故と考えてなんとかこころに落とし込もうと考えてる。


少し無理があるかな。


亡くなってから、1年と4ヶ月。


まだまだ悲しみは消えない。