昭和50年12月14日に国鉄最後の蒸気機関車牽引による旅客列車となったのは、室蘭発岩見沢行の225列車というのは有名だと思います。
最終列車が到着した岩見沢駅2番ホーム、当時私は間違いなく、その周囲1km圏内にいました。
もちろん、カメラを構えていたわけではありません。
当時の年齢は〇歳…四捨五入しますとまだ零歳で、チコちゃんにお便りを送ると「5さい(マイナス〇歳)」と書く年齢でありましたので、全く物心つく前のお話であります。
なにせ、住んでいたのが線路ぶちの木造長屋の国鉄官舎でしたからね…親父が岩一区勤めでありました。
で、長じて家にあった「さよなら蒸気機関車」という親父が持っていた写真集を飽きずに眺め、NHKのドキュメンタリー番組を見て育ち、大人買いができる境遇になってその最終列車を牽引したC57-135号機を買ったりなんかしますと、やはり当該機が最後に牽いた旅客列車の編成を再現したくなるわけです。
子供の頃は全く分かりませんでしたが、その編成は以下の通りだったそうです。
① オハフ62 10
② オハ62 119
③ オハ62 105
④ オハフ33 1031
⑤ オハ35 714
⑥ スハ32 836
⑦ スハ32 847
② オハ62 119
③ オハ62 105
④ オハフ33 1031
⑤ オハ35 714
⑥ スハ32 836
⑦ スハ32 847
⑧ オハフ62 13
つくづくネットの便利さを感じるところです。
それにしても最終列車のイベント込みで8両、平時でも4両くらいは連結していたでしょうから、今のキハ40が1両で対応しているのとは隔世の感があります。
で、オハフ62とオハ62は2両ずつ購入済みだったのですが、この度我が家にもう少し客車がやってきました。
④~⑥の部分ですね。
でも⑤はいかんかったですなぁ。
旧製品のオハ35、買う時によく確認しなかったのですが、室内灯が取り付けられないホントの昔のモデルでありました。
買った商品(絶版品)はプラケースに入っていますが、その昔は紙ケースで販売されていたモデルと記憶しています。
「あぁ、どうしようかなぁ」…オークションで出品されていたのもあったのですが、完全新品でスハ32と2両組の8,000円強なんて値段がついていました。
どっちにしてもあと1両スハ32は買うことになりそうですし。
・・・トミックス様、再生産を強く望みます!
にしても、スハ32の小窓が連なる様子は良いですね。
夏休みに、よく小樽築港あたりに海水浴に連れて行ってもらいましたが、その時に乗ったのが函館~旭川の長距離鈍行121、122列車、その列車にも連結されていたこの客車には、古い丸型の電灯が点いていたように思います。
なので、この車両に室内灯を付ける時は、電球色のものがきっと似合うでしょうね。
確か、岩見沢と倶知安の間は4両ほど増結していたので、少なくとも往路は座って行ける列車でした。
まあ、そんな思い出もあるものですから、あと2両…オハ35(青色)とスハ32はきっと探し求めることになりそうです…。